2012年3月31日土曜日

思い出は心に

Clip to Evernote
以前、こちらの記事を書きました。

23-seconds blog: 見返すため

その中で、私自身が意識的にライフログを残している意味や理由について書くつもりがあると述べました。

今回はその話です。
私の感覚に基づきますので、おそらくわかりにくい内容になるものと思います。


一つめの理由


意識的にライフログを残そうとする一つめの理由は、その作業や動作自体が楽しいことです。

ライフログを残すのは、かかる手間が大きくなるとやらなくなってしまいますので、簡単にできるようにいろいろと工夫した末の作業になります。
そのように、作業手順には手が掛かっていますから、どうしてもそれ自体に愛着がわいてきます。このあたりから、作業自体が楽しいような状況が生まれてくるのです。

さて、多くは語りませんが、前回「目的と手段」とのエントリを書きました。
これが、そういうことなのです。


二つめの理由


二つめの理由は、一つめに関連したものです。

意識的にライフログが残されていることは、ある面でそれらが一か所に集められていることを意味します。これは、以前のエントリでも書きましたが、ライフログとは人生において残されるものの総体である、との考え方に依ります。

一か所にライフログが集められていると、自分の人生がきちんと残っている安心感が得られます。
別に見返すわけではないのですが、「もし一年経ったときに今のことが思い出せなかったら…」と思うと不安になります。実際に思い出すわけではありませんが、思い出せないことになってしまうかもしれないのが不安なのです。


三つめの理由


上の二つに比べて、やや重要度の落ちる話です。

様々な物事を、「記録しよう」とする視点から見ると、そうでない場合には決して得られないような側面が得られます。
つまり、残った記録よりも、記録を残そうとする動作が重要だとする考え方です。

ここには明らかにメリットがあるのですが、意識的にライフログを残すことに対して明らかなメリットはそうないと思っていますので、重要度の落ちる話になるのです。


その他のこと


冒頭で示したエントリ内で、「ライフログが将来役に立つかもしれない」ことを述べました。
確かにその通りだと思いますし、理解もしているのですが、私の中での重要度はかなり低いです。
理解はできるけど納得はしていない、というやつでしょうか。
(元ネタは工藤新一です。)

さらにもう一つ、よく言われることに、記録は自分を客観的に見せてくれる、といった話があります。
こちらも、確かに間違いないことです。多くの場合で、自分の認識は間違っています。

ですが、私の中ではあまり重要ではありません。
以前、本ブログ「aTimeLoggerを使用してみて」のエントリで、思ったより食事に時間がかかっていなかった、といった話をしました。そのこと自体は非常に大事な発見ですが、一度気づけば十分だろうとも思います。

細かい話は置いておきますが、いろんなことを抜きにして、ライフログを残しておくのは良いのです。


余談


こちらもよく言われることですが、旅行などに行った際に「思い出は心に焼き付けるから、写真は必要ない」といった話があります。

これには大筋で私も同意です。
ぜひ、思い出は心に焼き付けましょう。

ですが、私は写真も目一杯撮ります。
まず見返すことはありませんので、思い出のために撮っているわけではありません。思い出は心にあります。
では何のためかと言いますと、写真を撮ること自体が楽しかったり、安心感であったり、いろいろするわけです。
本エントリの内容をよく表した事例だと言えるかもしれません。


終わりに


わかりにくい内容になりました。

目的と手段

Clip to Evernote
たった今、非常に驚くべきことが起きました。

ブログを書き始めようとポメラを取り出したのですが、電源を入れる直前に、「ああ、その前にRSSの未読を確認しておこう」と思ったのです。
私は、今日のブログでは「目的と手段」について書くことを予定しており、それを考えながらのRSS確認でした。

そこで発見したのがこちらの記事です。

情熱の矛先を決める!「手段」が「目的」になったときこそ最高!! | jMatsuzaki

なんと、まさに「目的と手段」に関する、素晴らしい記事でした。

私にはこれほどの記事は書けません。
一瞬ブログを書くのを諦めそうになりましたが、同じテーマでも、書いてみれば新たな切り口が見つかるかもしれませんし、それ以前にこの話をしておかないと本ブログが先に進めません。

という訳で、今回は「目的と手段」についてです。


目的と手段


かねてから、私は「目的と手段」あるいは「手段が目的化している」といった表現に、引っかかるものを感じています。特に、「手段が目的化している」がまるで良くないもののように言われている際には、それを強く感じます。


記事を読む


このことはかなり昔から考えていたように思うのですが、あるとき以下の記事を読み、非常に感銘を受けた記憶があります。
(「記憶はあてにならない」という話は置いておきます。)

034 「所詮」心構えの話にすぎませんが – ライフハック心理学

引用いたします。
どんな行為でも「これは目的」で「こっちは手段」ときれいに分解できるわけではありません。
これが、私が手段と目的の話を嫌う一つめの理由になるはずです。
記事内でも述べられていますが、手段と目的の分類は人によって異なるでしょうし、同じ人でもその瞬間で異なってくるはずです。
したがって、常時変化し続けるものに対して、人間が「これは手段」「これは目的」と認識するのは不可能です。

それにも関わらず、「手段が目的化している」と言って批判するのは妙です。

また、手段と目的の分類を突き詰めれば、すべてのことは生きるという目的のための手段になってしまいます。
ここは個人差があってしかるべきですが、私はこういった話が好きではありません。

そういった類の話ではないのです。
無理を承知でこの文脈で物を言うなら、どんなことでも手段であって、どんなことでも目的です。


二つめの理由


話を進めるために、大雑把な認識としての目的と手段があると仮定します。

この場合、「手段が目的化している」との文言は「手段にこだわりすぎている」ことを意味しているはずです。

さて、ある目的を達成するための手段が何でもいいということは、まずありません。
あえて具体例などは出しませんが、ぜひこれを読んでいただいている方が頭の中で挙げていただけると良いです。
(「頭の中で」がポイントです。)

これが二つめの理由になり、こちらの方が直感的にわかりやすいと思っています。


終わりに


どうやら、冒頭で掲げたjMatsuzakiさんの記事とは似ていない話になったようで良かったです。
そちらの記事は本当に素晴らしいので、ぜひ読んでいただきたいです。

2012年3月30日金曜日

見返すため

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このところ、ライフログがはやっているようです。はやっているのが「ライフログ」なのか、「ライフログという言葉」なのかははっきりしませんが、とにかくはやっています。
もちろん私の観測範囲内での話ですが、そういうことを言い出すとあまり話が面白くならないので、表明するだけにとどめておきます。(この表明は大事です。)

さて、したがって、この場で改めてライフログについて説明することはしません。
また、意識的にライフログを残すべきか否か、といった問いに対しては明確に「残すべきである」と答えます。
それについても特に解説は必要ないでしょう。一見面倒なことをこれだけたくさんの人が行っているわけですので、その一点だけでも、それなりに「残すべきである」の根拠にはなります。

本エントリでこれから取り上げたいのは、以上とは別の、ライフログについて言われるあることについてです。


「見返すため」


意識的にライフログを残す意味としてよく言われるのが、「見返すため」です。
ライフログは見返すために取っているのだから、見返さなければ何の意味もない、といった主張になるでしょうか。

私はここに疑問があります。
疑問と言いますか、「ライフログは見返すためにある」に引っ掛かったためにライフログを意識的に残すことをしない選択をしてしまう人がいるかもしれないのが、とてももったいなく感じるのです。
(ちょうど、Twitterに納得がいかないからSNSはやらない、との選択がもったいないのと同じ理屈です。Google+ をするのが良いです。)

私も多少は意識的にライフログを残していますが、見返すことはほとんどありません。まず二度と使用されることのないデータを、Evernoteにせっせと溜めています。


ライフログの意味


意識的にライフログを残すことの意味や理由としては、こちらの記事で言われていることを基に考えられることがあります。
(ここで回りくどい言い方をしているのは、こちらの記事でgoryugoさんが言おうとしていることが、恐らく私と異なっているためです。あくまで、こちらを基にした私の意見を述べます。)

「ライフログ」という言葉について思うこととか 【ごりゅご】3月21日版 | goryugo

引用いたします。
キーワードとしての「ライフログ」ってのは、別にそれでいいんだけど「ライフログを取る」だとか「ライフログを残す」だとか、その手の言葉がどうしても自分の中でしっくりこない。 
ライフログって、自分の中では「結果的に出来上がったものの総体」であって、そういう自分の中での抽象語を「目的」みたいなニュアンスで使ってる感じが、違和感の元なのかな。
ライフログとは、人生の中で結果的に出来上がったものだということです。これは非常に納得がいきます。
結果的に出来上がってくるものであるなら、それは見返すべきもののはずがありませんし、ましてや見返さなければ意味がないものではありえません。見返すか否かに関わらず、残っているのがライフログだからです。


さらに積極的な意味


しかしこれだけでは、手間をかけてまで意識的にライフログを残す意味がわかりません。
自然に残っているものだけで良いのなら、声高にライフログを叫ぶ必要がないのです。
(手間がかかると言っていますが、これは、ゼロよりは手間であることを意味しています。実際にかかる手間はほとんどゼロです。)

これに回答できる、良い文章に出会いました。こちらの書籍からです。

『記録するだけでうまくいく』(佐々木正悟 富さやか)
では、全ての番組をとりあえず予約録画しておいたらどうでしょう? こうしておけば、「予約するのを忘れていた!」「せっかく録画しておいたのに時間がずれてしまった!」といったトラブルとは、永久におさらばできます。この「全ての番組を録画しておく」というのが、ライフログの発想なのです。
言い換えると、「何かあったときのために備えておくのがライフログ」となります。
残念ながら、備えが役に立った体験をしていないとわかりにくいことではありますが、ほとんどゼロのコストで備えておけるなら、悪い話ではないはずです。


まとめ


本エントリでは、意識的にライフログを残すことの意味を概観した形になりました。結果として、誰にとってもわかりやすい話ができたように思います。
これを踏まえて今度は、私自身が意識的にライフログを残すことの意味を日本語にしたエントリを書いてみるつもりです。そちらは、誰にとってもわかりやすいものにはならないかもしれません。


終わりに


本文中で、
疑問と言いますか、「ライフログは見返すためにある」に引っ掛かったためにライフログを意識的に残すことをしない選択をしてしまう人がいるかもしれないのが、とてももったいなく感じるのです。
と書きました。
どうもこれが、まどろっこしいと言いますか、日本語として良くないような気がするのですが、納得いく文章にできませんでした。
もし時間を持て余して困っているという方がいらっしゃれば、これを良い日本語に直すことに挑戦していただくと、暇つぶしになるかもしれません。

2012年3月28日水曜日

「私が気持ちよく歌えるカラオケ曲ベスト5」に乗らせていただきます!

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訳あって数日Webの世界から離れていたのですが、その間にブロガー界隈でまた新たな企画が立ち上がっていました。

ワタシがちょー気持ちよく歌えるカラオケ曲ベスト5 #5karaoke | 和洋風◎
「ワタシがちょー気持ちよく歌えるカラオケ曲ベスト5」と題して、すこぶる歌ってて気持ちが良いカラオケ曲を5つご紹介したいと思います!
上の記事が元のようです。始めに知ったのは以下です。

カラオケ行った時にはだいたい歌う歌5曲~男性編~ #5karaoke – Tanakamp的ヒトコト。

ブロガー界隈という場所では、「私の~5つ」といった企画がよく行われているのですが、私はあまり書いたことはありませんでした。
しかし、カラオケとくれば話は別です。

右上には「テクノ」との文言が掲げてあるものの、歌詞のある音楽も半分くらいは聞きます。
音楽において歌詞の有無とは、
  • 歌詞がない
  • 意味のない歌詞がある
  • 意味のある歌詞がある
に、非常に大雑把ながら分類できると思っており、このそれぞれには全く別の良さが存在すると言えます。
余談でした。

それでは、その5曲の紹介に移ります。順序に意味はありません。
曲名 / アーティスト名 とします。


1曲め



シルビア / Janne Da Arc

これまでに相当な回数歌っています。
Bメロで早くも限界の高さに至り、サビではそれ以上の高さと裏声を要求される曲です。
きついのですが、だからこそでしょうか、納得いくように歌えると気持ちいいのです。


2曲め



未成年 / the GazettE

この曲のころは表記が「the GazettE」ではないのですが、とりあえずこうしておきます。
低域からの高域シャウトな曲です。
かなり勢いで持っていけますので、気持ちよく歌えます。
the GazettEで一番好きな曲は「Filth in the beauty」ですが、こちらはカラオケで歌ったことがありません。


こちらの記事でも言われていますが、好きな曲と、歌って気持ちいい曲は違うということでしょう。


3曲め



闇より暗い慟哭のアカペラと薔薇より赤い情熱のアリア / D

Dからは多すぎて選ぶのが厳しいです。
この曲はシャウト、アカペラ、ファルセットとギミックが多いのですが、難しいのは地声部分だったりします。
ボーカルに気を取られ過ぎて、格好良いギターリフを聞き逃さないようにするのが注意です。


4曲め



メランコリック / Plastic Tree

Plastic Treeからも、選択は困難を極めます。
この曲は「我を忘れ 時を忘れて」歌えますので、ここに持ってくることにしました。


5曲め



To All Tha Dreamers / SOUL'd OUT

今回の趣旨は「歌っていていて気持ちいい」ですが、それなら、この曲を外すわけにはいきません。
こちらは、私が歌う際にはライブDVDを参考にしていますので、画面に表示される歌詞とかなり違うことを言います。
とても楽しく、気持ちよく歌えます。


終わりに


歌詞のある曲はこういった楽しみ方ができるので、非常にわかりやすいと言えます。

2012年3月25日日曜日

感謝のエントリ

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訳あって、四月から私の周辺では様々な変化が起きます。
日々の時間を費やす場所も変わりますし、生活も現在とは離れた場所で行います。もっと根本的な部分もたくさん新しくなります。

「私の周辺では」と言ったのは、つまり「私の中身」は今のところ変わるつもりがないことを意味してはいますが、これだけ多くの外的要因にさらされますので、おそらく変わっていってしまうのでしょう。
別に悪いことではないはずです。

さて、私が人生の先輩として、そして男として、非常に尊敬している人物がいます。
先日、その方とお話しする機会があったのですが、その際に新生活や人生についてアドバイスをいただきました。
私の備忘録めいてしまいますが、ここに記しておきます。


目指すところ


まず一つめです。
人生において人並みになるのもなかなか難しい時代だけど、そうだからこそ、人並み以上を目指してほしい、というお話でした。

もちろん現在の私にはそもそも、人生が人並みであるとかそれ以上であるとかが、どういった物事や状況を指しているのかすらわかりません。
でも、忘れずにいようと思います。


子どもから


その方には、子どもさんがいらっしゃいます。確か小学校に入ったくらいの年齢だったと記憶しています。
人生の話から家族の話に至った際に印象に残ったのが、「子どもから教えられることがあるってよくいうけど、本当にある」というお話でした。

その方が挙げたのは、非常に単純で、素晴らしい例でした。

普段生活していて、子どもに何かしてもらったとします。まだ小さな子どもさんですので、これは大したことをしてもらうわけではありません。何か取ってもらうとか、そんなところだそうです。

簡単なことであれ何かしてもらったら、「ありがとう」と言います。これは、大人から子どもに言っている状況です。

するとその子どもさんは、「どういたしまして」と言ったのだそうです。
これに、その方は衝撃を受けました。

普段生活していて、ある程度年齢も経た、少なくとも子どもではない人たちと関わっていて、「どういたしまして」と言えるだろうか、ということです。
人から感謝されたときに、「ああ」とか「いいよいいよ」などのよくわからない返答しかしていないと思うけど、「ありがとう」と言われたら「どういたしまして」だろう、というのが、その方の見解です。

私も衝撃を受けました。まったくその通りだと感じたのです。
このことも、忘れずにいようと思います。


終わりに


エントリのタイトルに「のエントリ」という単語が付くのは、楽曲のタイトルが「~の歌」となっているのと同様の現象です。

2012年3月24日土曜日

社会の生産性

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こちらの記事を読みました。

「 2 」か「 9 」で割ってみる - ナイトシフト

内容はとても興味深いので、ぜひリンク先の方をお読みいただきたいと思っていますが、本エントリはやや目先を違えた話です。


ミスを探す


同記事から引用いたします。
例えば、経理の仕事をしてたりすると、仕訳を全部入力したのに帳簿の残高と実際の預金残高が合わないということがあると思います。会計の仕事をしていない人でも、家計簿ソフトを使ってて、レシートを全部入力したのに現金の残高が合わないなんていうことがあるんじゃないでしょうか。
記事内容としては、数字の入力にミスがあった場合の対処法についてとなっています。
私は実際にそのような場面に遭遇したことは(たぶん)ありませんが、想像するだけでも恐ろしい状況です。入力する数字はかなり多くなるのでしょうし、ミスがあったとなれば、きっとそれらを始めから一つずつ見ていくものと思います。

そして、記事ではそれを楽にする、手間のかからない方法を伝えています。


社会が幸せ


その方法自体はまったく手間のかかるものではなく、それでいて効果が大きそうです。
つまり、単に知っているか知らないかの違いになるが、その差がかなり大きくなる、ということになります。

単純な入力ミスはなかなか避けられるものではないため、これは有益でしょうし、この方法がもっと周知され常識と呼べるくらいになれば、それに携わる人たちの負担が格段に減ることにつながります。
その人たちは早く帰れるかもしれませんし、あるいはさらに多くの仕事に取り掛かれるかもしれません。また、早く帰れば買い物ができるかもしれません。

そして、手法は使う人を選ぶようなものではありませんので、とにかく広まりさえすれば、社会的に見ても多大な時間を確保できます。
つまり、社会としての生産性が高まることになりますし、そこまで大げさでなくても、たくさんの人が早く帰れるのは良いことのはずです。

小さいながらも、情報が世界を変える瞬間だと私は捉えています。
(社会レベルで生産性を高める方法など、そうそうありません。)


冷凍トマト理論


この時代では、幸運なことにこういった知識を共有するのがずっと容易になっています。
同時に、それが常識のようになる可能性も高くなります。

これは喜ばしいことです。積極的に知識や情報を共有していきたいものです。

その際、非常に参考になる考え方があります。
「冷凍トマト理論」です。


記事があまりに素晴らしいので、私から説明するところがないと言いますか、正確には、記事を全部読んでいただきたいので、一部だけ引用してしまいたくありません。

という訳で、ぜひリンク先をお読みいただければと思います。


終わりに


この「冷凍トマト理論」は、ずっと紹介したくて機会をうかがっていました。
今回がベストだったかどうかはわかりませんが、とりあえず紹介できて嬉しいです。

マイナスの括弧をはずす

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以前、このようなエントリを書きました。

23-seconds blog: 方べきの定理

この中で、「本ブログでも数学について触れていく」といったことを言いました。
今回はそのシリーズです。

前回がセンター試験からでしたが、今回は中学一年生の問題を取り上げます。


括弧をはずす



(a+2)-2(4-3a)

という式があり、括弧をはずしてこれを整理しなさい、というよくある問題を考えます。
(aが変数(未知数)です。それにはxを用いることが多いですが、テキストだと見にくいのでaにしておきます。)
もちろん手順としては、

(a+2)-2(4-3a)
= a+2-8+6a
= 7a-6

で良いです。


間違えない


とりたてて複雑な部分があるわけではないので、普通ならまず間違えるような問題ではありません。

しかし、特にこれを習ったばかりの中学生の方ならわかっていただけると思いますが、これとそっくりで数字だけ異なっているような問題を、何十問とこなさなければならないような状況が出てきます。問題集かもしれませんし、テストかもしれません。

すると、問題数をこなすにつれて徐々にそれが面倒になってきます。
ほとんど変わり映えのしない問題を機械的に解き続けるので、これは仕方のないことです。

面倒になって最初に発生するのは、

(a+2)-2(4-3a)
= a+2-8+6a
= 7a-6

の、二行目(途中式というやつです)を省略して、頭の中でやってしまおうと考えはじめることです。
手を動かすより、頭の中でやってしまう方が楽に見えるのです。


間違える


非常に残念なことなのですが、この二行目を省略すると、必ず間違えます。
もとい、ほとんどの問題では間違えないと思いますが、いつかは、の話です。

重要なのは、「必ず間違える」ことです。
これは、その人が数学が苦手だとか、うっかり者だとか、注意深くないとか、そういうことには一切関係なく、必ず間違えるのです。

このことはよく理解しておく必要があります。


「うっかりミス」


この、途中式の省略を試みて解答を誤った際に、非常によく言われるのが「うっかりミス」です。

「本当はわかっていたのに、うっかり間違えてしまった」などの主張がなされて、「次は気をつけましょう」という解決策が提案されます。

やはりというか何というか、それでは間違いはなくなりません。

間違いの理由を「うっかりミス」としてしまうと、そこで思考停止となってしまいます。
その間違いを引き起こした原因も調査されませんし、当然まともな解決策も出てきません。
(「次は気をつけましょう」がまともでないのは明らかだと思います。)


解決策


つまり、今回の例での解決策は「マイナスが付いた括弧をはずすときには、必ず括弧をはずしただけの途中式を書く」となります。

さて、こういうことを言うと必ず「ああ、途中式を書けば大丈夫なのか」といった話になります。
さらには、本エントリを指して、「なるほど、マイナスの括弧をはずすときには途中式を書きなさい、という記事だった」などという感想になることもあるでしょうか。

まさか、そんなはずがありません。


終わりに


中高生の「数学が得意(不得意)」が、面倒でも途中式を書けることや、単純な計算を素早くできることなど、数学の本質とは離れた要素に依存してしまっていることが、昔から気になっています。
ただ、これはおそらく多くの人が気になっていることだと思いますので、かなり仕方ない部分もあるのでしょう。

2012年3月23日金曜日

スピーチ内容を考えない

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こちらの記事を読みました。

英語でスピーチ! | | traceroute 8008 | あすなろBLOG
先日、英語でのスピーチを行いました。
私は特別英語が使えるわけではなく内容について語ることはありませんが、それとは別に一つ共感できる部分がありましたので、ご紹介したいと思います。

引用いたします。
準備時間が約30分でしたので、何を話そうか?という点を考えましたが、以下の点を気にして話すようにしました。


話すことを考える


重要なのは「以下の点を気にして話すようにしました。」の部分です。
つまりここでは、直接話す内容を考えることはせず、気を付ける点を先に決めてから、それにしたがって話す内容を考えています。

言い換えると、話す内容の前に、話す内容はどうなっているべきかを考えるということです。
これは、始めから話す内容を考えないため、一見余計な手間をかけているようにも思えるかもしれません。

ちなみに、近いことは本ブログの「抽象指向思考」というエントリでも述べていたりします。
メタ視点とか、抽象思考とか、表現はなんでも構いませんが、そういうことです。


利点が二つ


この場合に「抽象思考」を行うことには、ある独特の利点があります。

まず一つは、次に同種の物づくり(ここではスピーチの原稿づくり)を行う際に、「抽象思考」したものを使いまわすことが可能になることです。

おそらく、まったく同じ条件でスピーチを行うことは滅多にないと思います。例えば、持ち時間や会場が異なったり、聴衆が有している知識レベルが変わったりといったことが起こります。
そのため、スピーチの内容が完全に一致するようなことはありませんが、一方で「何に気を付けるべきか」の部分は同じものを持ってきて構わないのです。

これが話す内容を直接考えている場合だと、ほんの少し条件が変わるたびにゼロからの作り直しを余儀なくされてしまいます。

さて、やや言葉足らずなようですが、この「汎用性」といった言葉で表現される辺りは突き詰めると厄介なことになりそうですので、ここまでにしておきます。


もう一つ


もう一つの利点は、スピーチ内容が失敗だった場合においてのものです。
自分で失敗したと気づいているなら、おそらく何かしらの反省点が見つかっており、次にスピーチ内容を考える際に生かしたいと感じるはずです。

しかし内容を闇雲に考えていたとすると、何がどうなってその反省点になる部分が現れてきたのかがわかりません。
次のスピーチ時にもまた同じように考えるしかないため、反省点を生かそうにも、それが入る余地がないのです。

ここで「抽象思考」がなされていると、その中のどこかの部分に誤りが見つかります。
例えば、「結論を最後に言おう」と決めてスピーチ内容を考えたが、やってみたら結論は最初に言うべきだった、といった具合です。

ここから、「たとえそれが間違っていても、内容はどうなっているべきかを抽象的に考えることには、価値がある」ことが言えます。
間違っていれば当然後に修正することになるわけですが、それがきちんと考えた結果の間違いであれば、軌道修正は容易になります。

ですので、何度も間違いながら少しずつ良いものを目指していこうとする、泥臭い手法であると言ってもいいかもしれません。


終わりに


ちょっと不満の残るエントリになってしまいました。
将来このテーマについて再度挑戦するかもしれません。

2012年3月20日火曜日

悪くない事実の確認

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よく言われることには気になる部分が付きものですし、それが「~すべきである」といった事柄だと尚更です。
本ブログでは何度も行っていることですが、今回も、そこから一つ取り上げて考えてみます。


よく言われること


よく言われることの一つに、「借り物ではなく、自分の言葉で語るべきである」といったものがあります。
これは、借り物の言葉では人々は振り向いてくれない、などのことを根拠としている場合が多いです。

本エントリで取り上げたいのはそれです。
ただ、これも非常によくあることですが、こういった話を突き詰めていくと、最終的に「借り物の言葉」や「自分の言葉」をどのように定義するか、の話に行きついてしまいます。

それだと単なる言葉遊びめいてきてしまい、陳腐です。よって、そういった話をするべきではありません。
と論理的に結論付けても構わないのですが、そんなことより、そういった話をするのは私があまり楽しくなかったりします。

ですので、それはしないことにして進めていきます。


借り物の言葉


確かに、「他人が言った言葉を借りてきて」よりは、「自分で考えて」の方が字面的には良さそうです。

実際、もっと前の時代ではそれで正しかったと思います。
以前は、表に出ている情報が現在よりずっと少なかったため、自然と自分で考えて発信する必要があったはずです。言葉を借りてこようにもその選択肢は少なく、同様のソースを他の人も読んでいる可能性も大いにあります。

他方、現在の状況は違います。無料で手に入る情報だけでも、完全に手に負えない量に達しています。
すると、他人が同じソースを目にしている可能性は非常に低くなります。また、使える時間のほとんどを情報収集に充てることは珍しくなくなっています。

そのことから、大量にインプットされた情報を厳選してアウトプットに回すことは、現在においては十分にオリジナリティのある情報発信であると言えます。


賢い人


もちろん、賢い人は大量のインプットを経るなどといった苦労をしなくても、ユニークな発信をすることができるでしょう。そのような方は、そのままで構わないと思います。
そして同時に、今よりもっと前の時代は、素晴らしい発想は賢い人にしかできないものだったということも言えるかもしれません。

しかし現在は、多様な情報をインプットして様々な工夫を凝らすことにより、賢くない人にも良い発信を行うことが不可能ではなくなっています。

私はこのことを、なかなか悪くない事実だと認識しています。


終わりに


こういうことをわざわざ確認しておかないと、駄目な私が現れてきてしまうのです。

2012年3月17日土曜日

賢い人には回りくどい

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以前、このようなエントリを書きました。

23-seconds blog: ベーシックインカムについて

ベーシックインカムについていろいろと考えたものですが、その冒頭で、「私はベーシックインカムという概念すら知らなかった」と述べました。

これを伏線として、その少し後に以下のエントリを書きました。

23-seconds blog: なじみのないトピック

その名の通り、「自分にとってなじみのないトピック」についてアイデアを出すことについて考えたエントリです。

これらのエントリを念頭に置いて、今回は、私がなじみのないトピックであるベーシックインカムについての記事を書く際に、実際に行ったことについてまとめてみます。

「なじみのないトピック」のエントリの終わりに、「私がこういうことをするのは珍しい」と断った上で、述べた手順のまとめを書いたのは、本エントリのための布石だったのかもしれません。


なじみのないトピックについて、アイデアを出したい


ベーシックインカムについての記事を読み興味深く感じたため、本ブログでエントリにしてみようと決めましたが、私はそれについて語るような知識や意見を持ち合わせていません。

何か手を打つ必要があります。
これは要するに、知識を得るだけなら物を読めば一応なんとかなるが、そこから意見を出そうとすると大変であるため方法論が必要になってくる、という解釈になると思います。


それについての知識を大量にインプットする


そこでまず行ったのは、「ベーシックインカム」でキーワード検索し、一日一つの記事をピックアップすることです。

それを、そのタイミングで一度読んでから「Read It Later」に保存します。


Read It Later Pro 2.4.7(¥250)App
カテゴリ: ニュース, 仕事効率化
販売元: Idea Shower - Idea Shower(サイズ: 7.1 MB)


Read It Laterには読みたい記事が溜まっているので、適当に時間が経った後に再度読むことになります。

すなわち、同じ記事を都合二回読むことになるわけです。

この作業を一週間ほど続けました。
ピックアップする記事は一日一つとしているため、負担に感じることはありません。

また、記事で述べられている内容はよく理解できないことがほとんどなのですが(なにせなじみがありませんので)、気にせず、とにかく全部読むことを考えます。


隙間の時間に考え続ける


上記を続けながら、隙間の時間に、読んだことを思い出して考えます。
隙間の時間というのは、階段を登っているときや買い物の途中など、本当に考えること以外何もできないようなときのことです。
このような事情から、メモを見ながら考えたり、メモをとったりといったことはしません。

こちらも、どちらにせよ何か考えているしかすることがない時間を充てているだけですので、負担なく行うことができます。


「時間による熟成」を狙う


何日かこれを行っていると、自然と読んだ記事に対して、あるいはベーシックインカムそのものについて、思うところが出てきます。

残念ながらこの状態に至るまでには何日かかかりますし、その日数を見積もることはできません。
(今のところは、できません。ひょっとすると、複数回行いログを取れば可能かもしれません。)

そのため、成果物を仕上げる期限が区切られていると、あまり嬉しくないことになってしまいます。


自然に語るべきことが見えてくる


あとは、思ったことを文章で表せば良いわけです。
これだけでも十分難しいのは承知していますが、本エントリのスコープからは外しておきます。

さて、現実に手間となるのはこの段階のみであり、これは普段ブログを書く作業に含まれてしまうため、本エントリで述べたものは全体として新たな負担のかからない手法であると言えます。
毎日が忙しくて新しいことを勉強する時間がないという方にお勧めですが、本音としては、そのような物言いにはまるで意味がないと言いたかったりもします。


終わりに


こんなに面倒なことをしなくても、始めからなじみのないトピックでブログを書くなどと思い立たなければ良いという話ではあります。

それから、私より賢い人にとっては実に回りくどい手法です。

モレスキン レゴを購入

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レゴとコラボレーションした、モレスキンの限定版を購入しました。

LEGO®

ハードカバーのみ、四種類あるようです。
私が購入したのはこちらです。

MOLESKINE モレスキン LEGOノートブック ルールド(横罫)/ ポケット

日本での呼び方がいま一つはっきりしませんが、ここにある「モレスキン LEGOノートブック」が正しいようです。
「モレスキン レゴ」とか「レゴスキン」は俗称といったところでしょう。

さて、今回はこの「モレスキン LEGOノートブック」をざっとレビューして、エントリとしてしまおうと思います。


表紙



表紙はこんな感じです。レゴブロックが一つくっついていて、その他イラストが描かれています。



レゴブロックがくっついています。この写真からわかる通り、わりと厚みがあります。
限定版モレスキンは過去にいくつか買いましたが、厚みがあるのは初めて手にしました。



もう一枚、レゴブロックの様子です。存在感があります。


表紙を開く



表紙を開いた裏側には、「Think with your hands」の文字があります。
「MoleskineノートブックとLEGOの共通の哲学」なのだそうです(「MOLESKINE モレスキン LEGOノートブック ルールド(横罫)/ ポケット」のページより)。



こちらはおなじみ「In case of loss」のページです。
ここはいつも通りかと思いきや、「As a reward: ___ bricks」になっています。芸が細かいです。


ノート部分



さすがにノート部分は通常通りですが、しおりのひもは黄色になっています。


拡張ポケット周り



拡張ポケットの隣のページには、LEGO Groupのコピーライト(と呼ぶのかはわかりません)が入っています。


拡張ポケットの横のつなぎの部分が、黄色になっています。
個人的には、いちばん「限定版だ」と実感する部分です。
普段からモレスキンを使用している方は、この点だけでも「モレスキン レゴ」を買う価値があると思います。それほど、衝撃的と言いますか、ノートを開こうとした際に「あ、違う!」と感じるのです。



拡張ポケットの中には、通常の物に加えて、ステッカーが二枚入っていました。

私見ですが、こういったステッカーなどは、大事にとっておかずにどんどん貼ってしまうのが良いです。


終わりに


iOSのGoogle+のアプリが、先日インスタントアップロードに対応しました。

Google+ 1.0.10.4565(無料)App
カテゴリ: ソーシャルネットワーキング
販売元: Google - Google Mobile(サイズ: 17.4 MB)


お陰で、Bloggerでこういったエントリを書くのが非常に楽です。今回初めて実感しました。

それもあってか、非常にブログらしいエントリを書いたような気がしています。

2012年3月16日金曜日

抽象指向思考

Clip to Evernote
最近、非常に共感する記事を読みましたので、今回はそれをご紹介してエントリとしてしまいます。


読んだ記事


読んだのはこちらの記事です。

“具体”は実践的で役に立つ、“抽象”は机上の空論で役に立たない、と決めつけてしまうような風潮がビジネスの世界ではありますが、これは思い違いです。
この文は、私が本ブログで再三伝えようとしてきたこと、私が大事に思っていることを見事に表しています。
こちらではビジネスについて言及していますが、決してそれに限った話ではないと、私は捉えています。


抽象的な理解


本ブログで何度か書いてきたことに、例えばきちんと具体的であるなど、一見厳密で良さそうなことにはあまり意味がないという話があります。
この発想は元々私のオリジナル(だったはず)ですが、上に掲げた記事でそれに似た主張がなされており、非常に嬉しく、また心強く感じました。
該当する部分を引用させていただきます。
しかし、抽象化なり論理化の力がないと、思考が具体ベタベタ、バラバラになり、目線が低く、視界が狭くなり、すぐに行き詰ってしまいます。
私がもやもやと考えていたことが、力づくで言語化された気分です。

まさにその通りで、具体的な「仕事」や「行動」には、必ず抽象的な物の見方や理解がないと行き詰まってしまいます。
逆に抽象的な理解が進んでいると、例えば次に取る行動が発想しやすくなったり、具体的なもの同士を結び付けたりできるようになります。

私が本ブログでタスク管理やEvernoteの話をするときに、具体的な行動例などがあまり出てこないのは、これが理由になります。
「行動」も大事ですが、同時に「考え方、捉え方」が大事だと思うのです。
また、他にも、「考え方、捉え方」がよく考慮されているなら、そこからもたらされる具体的な行動はバリエーションに相当し、人によって異なっていても構わないとの思いもあります。
同記事にもそれに言及した部分がありました。
ごく具体的な詳細のレベルでは、一つとして同じ仕事はないからです。必ず少しずつ違ってくる。
ともかく、「具体的」に偏って物事を捉えることには、私は賛成しません。
もしどちらかを選ぶのであれば、「抽象的」な理解を優先すべきとすら思っています。


アイデア発想


同記事から引用いたします。
具体の地平の上をひたすら横滑りしているだけの人からは、結局のところ具体的な打ち手についても平凡な発想しか生まれません。そもそも「人と違ったことをする」というのが戦略ですから、そうした人には戦略は構想できません。
戦略の構想とは、いわゆるアイデア発想の文脈にあります。抽象的に物事を捉えることができればアイデア発想にも強くなる、というのがここでの主張です。

ここでのアイデア、あるいは戦略とは、具体的なものであることを前提にしておきましょう。「戦略」ですので、間違いはないと思います。

今回は「すごろく」を思い浮かべていただけると良いと思います。

まずは具体的にしか物を考えない人の場合です。
現在その人は何かしらの状況に置かれていて、それがすごろくで言うところの「今いるマス」に相当します。
その人が(具体のレベルで)一生懸命アイデアを発想しても、次の一歩を踏み出せる方向は、ほとんどの場合で一種類で、(たまに複数の方向に進める場合もありますが、)しかもこれはどこまで行っても一種類です。
これが、上の引用文で言う「具体の地平の上をひたすら横滑り」の意味です。

一方の抽象的な思考ができる人の場合を考えます。やはりすごろくで喩えます。
抽象的に物事を見るとは、すごろくなら、「今いるマス」にある駒(のような、自分のいる場所を表す何かのことです。人生ゲームなら自動車です。)を、プレイしている人間が取り上げてしまうことに相当します。
人間が取り上げてしまえば、次に駒を置くことのできる場所はたくさんあります。

つまり、一度物事を抽象化することで、アイデアを自由に発想することができるのです。


まとめ


何だかいろいろ言ったような気がしますので、話をまとめておきます。
  • 具体的で、一見きちんとしていそうな考え方は、実はあまり価値が高くない 
  • 抽象的にものを見られると、アイデア発想の力が高まる 
もちろんアイデア発想に限った話ではありませんが、本エントリでは特にそれについて述べました。


終わりに


森博嗣氏のような記事タイトルが思いついたので、付けてしまいました。 『幻惑の死と使途』のイメージですね。

ちなみに『幻惑の死と使途』は名作です。

2012年3月14日水曜日

ライフスタイルの本

Clip to Evernote
先日『エンジニアのための時間管理術』を読了しました。

『エンジニアのための時間管理術』 (Thomas A.Limoncelli)
今回は、それについて簡単にまとめてみたいと思います。


タスク管理の視点


本書の大部分を占めるのは、著者が「サイクルシステム」と名付けたタスク・スケジュール管理の方法です。
本書は2006年に初版が著されているようですが、考え方としては、現在でよく言われているタスク管理手法とかなり近いものです。

その一端をご紹介します。
タイムマネジメントに関するものをすべて1か所にまとめる。
いわゆる、「ここになければ、どこにもない」の話です。現在でも非常に有効なアプローチです。
もう一つ引用いたします。
今取り組んでいることに頭を使い、それ以外のことには外部ストレージを使用する。
これも、「脳のリソース」といった表現で有名です。
関係ありませんが、コンピュータに関わる人を対象とした本ですので、「外部ストレージ」といった言葉が説明なしで使えて便利だと思いました。
それからもう一つ。
定期的に行うことに対しては日課(ルーチン)を定める。
早くもタスクシュート的な考え方も登場してきています。(中を見ると、完全にタスクシュートとまではいっていないようです。)

さて、本書では、このように現在のタスク管理と相似したシステムが語られているわけですが、それゆえ、本書のシステムを詳しく説明することは単にバリエーションを増やしているだけに過ぎない可能性が高いです。


タスク管理以外の視点


しかし、それはタスク管理に限った話です。

本書で語られるのはそれだけではありませんし、むしろそちらの方が、本書をユニークにしています。
そのすべてをここで紹介すると、本書と等しい文字数がかかってしまいますので避けますが、すべての原理となる考えが「はじめに」に載っていたので、引用しておきます。
いいですか、筆者が言いたいのは、システム管理が仕事ではないということです。それはライフスタイルなのです。私たちのライフスタイルを私たちの言葉で述べ、私たちの問題を解決するタイムマネジメントの本が必要なのです。
このことを象徴する例としては、「タイムマネジメントの結果空いた時間をどのように使うか」という話があります。なかなか独特の視点だと思います。


その他のこと


その他、気になった考え方をいくつか拾っておきます。

ストレス管理の話です。
歯磨きもさぼろうと思えばさぼれますが、あとで痛い目を見ます。同様に、精神衛生のための活動もさぼろうと思えばさぼれますが、あとで苦しむことになります。
この意味では、精神的に余裕があるときに「精神衛生のための活動」を模索しておく必要があるかもしれません。
もう一つはメモの話です。
特定の時間に特定の場所で顧客と会う約束をしたときは、相手の目の前でそれを記録することで、あなたが約束を重んじていることを示す。
メモすることの重要性は論を待ちませんが、ビジネスパーソン的な視点では、このようなことは非常に重要だと思います。
つまり、きちんとしている「ように見える」ということです。これもなかなか、「時間管理」にばかりとらわれていると出てこない考え方だと言えます。


終わりに


どうも紹介の仕方が変化球な気がしてならないのですが、一生懸命やりました。

2012年3月11日日曜日

ブロガーの誇り

Clip to Evernote
ご本人がどう考えていらっしゃるかはわかりませんが、私から見て「この人、すごいブロガーだな」と思えるような方々が大好きです。

「ブロガー」という人種が格好良くて、憧れて、私もブログを書いてみようと思ったのです。
(ですので、私の究極の目標は「ブロガーと名乗れるようになること」だったりしますが、それは内緒です。)

個人のブロガーが発信できる情報の種類は非常に独特で、偏っていたり、主観的であったり、細かかったり、ものすごく速報だったりします。

しかし、私が憧れるブロガーに共通して言えるのは、どの方も個人ブログとして情報を発信することに誇りを持っており、知識を共有していくことの力を信じていることです。

前回エントリでも書いたような気がしますが、知識は目に見えないものであり、それを共有しようとすることには、何か神秘的な、尊さを感じます。

私も、個人ブログとブロガー、そして情報の力を信じています。

私にできるのはここでこうして信じていることだけですし、ブロガーにできるのは情報を発信することだけです。
それでも、一生懸命情報を発信しようとすることで、何か救われる人がいるなら嬉しいです。

そんなことはありえないと言うなら、こうしてブログを書くことで、それを忘れないためにほんの少しだけ貢献したことにします。
記憶が薄れたら、このエントリを見返します。

ブロガーにだって、できることはあるはずです。

私と電子書籍

Clip to Evernote
今回は、個人的な電子書籍についてを概観してみます。


統一のフォーマット


やはり、電子書籍についてでは、統一のフォーマットがないために販売者ごとに閲覧ソフトのインストールとユーザ登録が必要になってしまう、といったことがよく言われます。
その結果として様々な問題点がありますが、もしその販売者がサービスを終了してしまった場合に自分の購入した本が読めなくなってしまうことが、私は特に問題だと考えます。

これは何かしらの対策が待たれます。
本を買うことは、実体のない存在である「知識」を得ようとしている点で、とても尊い動作です。サービスが終了したからといって、本が読めなくなってしまってはならないのです。

例えばソニーのReaderという端末があります。

電子書籍リーダー“Reader”(リーダー)| ソニー

端末自体はとても良いです。
しかし、それで読める電子書籍が対応するストアから購入したもののみとなってしまいますので、それなら、単純にPDFファイル閲覧専用端末にして、その周辺の機能を強化する方が良いのではないかと思ってしまうのです。
そして、PDFファイルを閲覧するなら、iOSやAndroid OSが乗っている方がずっと取り回しが良いはずです。

すると、

OLED TV Display:Apple、2012年第3四半期に7インチアクティブマトリクス式有機ELを採用したiPad miniを発売する予定? - MACお宝鑑定団 blog(羅針盤)

このような噂ですとか、

Amazon、ついに「Kindle」を日本発売!しかもドコモ回線が無料で使い放題の神プラン! – すまほん!!
Googleブランドのタブレット、4月生産開始か « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

これらの話が、大いに気になるわけです。
(Kindle FireがAndroidを搭載しています。)


電子書籍として読む


こちらの記事を読みました。素晴らしい記事です。

本とwebの未来は電子書籍がつないでいくのかもしれない - 北の大地から送る物欲日記
本は有料なため、ある程度の分量が要求されてきた。しかし、電子書籍が登場し価格を自由に付けられる土壌ができ、より安価な価格が付けられるようになると、本の場合より分量にこだわらない電子書籍も登場してくる。
どうしても、電子書籍は紙の本を置き換えるものであるとした論調になることが多いようですが、こちらで言われているように、「電子書籍でなければいけない」著作が生まれるようになってくれば、先述したようなデメリットに目をつむってでも、電子書籍を利用したいと思うようになります。
(もちろん「紙の本でなければいけない」も同様です。どちらが良いかという議論には、慣れや好みの問題がかなり含まれますので、それほど意味がないように思います。)

そこまで大げさでなくとも、単に電子書籍でしか販売されていない魅力的な本がある、というだけでも十分でしょう。


紀伊國屋のKinoppy


何人かの方が、紀伊國屋書店のKinoppyが良さそうだと言っているのを目にしました。
(全く信頼に足る情報ではないことを明記しておきます。「良さそう」程度です。)

あまり手を広げるのも大変ですので、とりあえずこのKinoppyに絞って利用を開始してみることにしました。現在のところは、ここで購入できない電子書籍は諦めようという方針です。

ユーザ登録は、基本的な情報とクレジットカード情報を入力しましたが、特に手間がかかった印象はありませんでした。
その後、KinoppyのiOSアプリをインストールしました。

紀伊國屋書店Kinoppy 1.1.0(無料)App
カテゴリ: ブック, エンターテインメント
販売元: Kinokuniya Co.Ltd. - Kinokuniya Bookstore Co. Ltd.(サイズ: 17.8 MB)



魅力的な書籍


つまり、「電子書籍でしか購入できない魅力的な本があった」ということです。

購入したのは以下です。

【電子書籍】西麻布バブルダイエット: 紀伊國屋書店BookWeb

こういった紆余曲折を目にしていて、

発売された電子書籍を著者が「買わないで」と言う残念すぎる状況について | No Second Life
感謝! 全データが爆速で直ったので告知! 電子書籍「西麻布バブルダイエット」書きました!! | No Second Life

二つめの記事を読んだ際は、私も非常に嬉しくなりました。
そうでなくとも、あのすごいブロガーである立花さんが書いた本です。非常に魅力的です。

それから、こちらも購入予定です。

かんたん!『積ん読』ゼロの蔵書電子化マニュアル 今すぐできる「自炊」のススメ: 紀伊國屋書店BookWeb

自炊ブロガーのushigyu氏が自炊について語った本のようです。気にならないはずがありません。


魅力的な書籍を探す


しかし、他に「紀伊國屋書店で買える電子書籍で、こんなものがあるよ」といった話を聞くことは、あまりありません。
ですので、今後は良い本を探していくことが課題となりそうですが、無理に探す必要はないのかもしれません。


JINS PC


電子書籍を読み始めることを決めたのは、JINS PCという眼鏡を購入し、目への負担を小さくできそうだと思ったこともあります。

JINS PC - 機能性アイウエア | JINS - 眼鏡(メガネ・めがね)

始めに知ったのは、こちらの記事からです。引用させていただきます。

視力1.5でも眼鏡デビュー:ディスプレイの光から目を守る JINS PC | Lifehacking.jp
JINS PC の仕組みは、可視光の中で最もエネルギーが高く、吸収されずに網膜まで届くブルーライトを遮断することで疲れをふせごうというものです。
また、『IDEA HACKS!2.0』でも紹介されていました。

IDEA HACKS!2.0小山 龍介, 原尻 淳一)

眼鏡をかけてみると確かに、視界が薄茶色がかって見え、ディスプレイからの光がまろやかに感じます。
また、本体が軽く、普段眼鏡を使用しない私でも気になりません。
(ちなみに、度入りのものは扱っていないそうです。)


終わりに


本エントリは「私と電子書籍」にテーマを絞って書きました。
話があちこちに飛んでいるように見えますが、これはつまり、人間は(少なくとも私は)そんなに単純にできていないことを表しているのかもしれません。

2012年3月9日金曜日

なじみのないトピック

Clip to Evernote
ずっと、何となく考えていたことがあるのですが、いまひとつしっくりくるような表現が見つからなかったためにはっきりと書くことができませんでした。私はそれを非常に重要だと考えていたにも関わらず、です。
例を挙げると、本ブログの「複雑で好きなもの」というエントリでその類のことを書いてはいます。

ところが、最近読んだ記事に良い表現がありましたので、本エントリではそれをご紹介し、私が考えていることを明らかにしていきたいと思っています。
(「明らかにしていきたい」とは、主に自分に向けて言っています。)


読んだ記事


読んだのはこちらの記事です。

「自分史をかく」というアイデア発想術 – ライフハック心理学

記事の結論自体はまた別のところにありますので、ぜひそちらの方もご確認いただきたいのですが、とりあえずは私のことと関係する部分を参照します。
引用させていただきます。
何か発想する。それを頭の中にとどめ、沈めておく。折に触れて思い出してはまた考えるけれど、十分まとまった時間がとれず、また沈めてしまう。そんなことを何年も、時には十数年も続けているうちに、ある日はたと考えがまとまり急いで論文なり本なりにする。
状況としてはこのようなことです。
何かについて考える際に、例えば算数の計算問題を解くようにすぐに答えを出すのではなく、生活の中で何度も思い出しては消えていき、考えたことのほとんどを無駄にすることを続けていくと、長い時間が経った後にはたと考えがまとまる、という風に私は捉えています。


何度も考える


とにかく、紙やペンは用意せず、必要な知識を前もって大量に頭に入れておき、あらゆるタイミングで考えます。
紙やペンを用意しないと言ったのは、そもそもそれができないほどわずかな隙間の時間を使うことを想定しているためです。

こうすることで、例えば自分にとってなじみのないトピックについてアイデアを出したい場合にも、時間とともにそれが徐々に「自分のものになってくる」感覚が得られ、自然と語るべき言葉が出てきます。

ちなみに、「知識を大量に頭に入れる」部分は、こちらの記事を参考にしています。

R-style » もし、歌の歌詞を作れって言われたとしたら。
「戦隊 OP」あたりのキーワードで検索をかければ、バカみたいな数の動画が見つかる。これをひたすら見る。5?10?・・・いやいや、最低でも30は見ないと。
また、「隙間の時間に考え続ける」の部分はこちらの記事を参考にしています。

私がライトニングトークの5分間に備えて準備したこと | jMatsuzaki
より多くの他人を自分の中に作り出すために、頭の中に長い間”問題”を植え付けておきます。すると様々な環境下で、私の中に居る多くの他人が入れ替わり立ち代わりその”問題”について考え始めます。


自分に浸透している


これまでは、「自分の中に深くその考え方が落ちている」や「考え方が自分に浸透している」といったイメージとして理解していましたが、初めにご紹介した「「自分史をかく」というアイデア発想術」の記事で、それが非常に簡潔に表現されています。
引用いたします。
昔からものを考えては書くということをしてきた人は、たぶんこの「無意識下における発酵」をよく承知していました。もっともこれを人によっては「時間による熟成」と呼んだりするでしょうが、同じような意味です。
「時間が解決している」点を強調するなら、後者の「時間による熟成」が良いでしょう。
しかし、もともとの意味としては前者が良いようにも思います。
もちろん実質的に差はないはずです。


手順をまとめる


私がこういったことをするのは珍しいように思いますが、ここで本エントリで述べた作業の手順をまとめておきます。
  • (例えば)なじみのないトピックについて、アイデアを出したいとする
  • それについての知識を大量にインプットする
  • 隙間の時間に考え続ける。このときは、たくさんの「考えたこと」は消えていく
  • 「時間による熟成」を狙う
  • 自然に語るべきことが見えてくる
文字にしてみると簡単なことです。


終わりに


こういった作業は、締め切りに追われている、高いクオリティを期待されている、といったことがなければ非常に楽しいです。

2012年3月7日水曜日

今すぐに手を付ける

Clip to Evernote
こちらの記事を読みました。

お風呂掃除と、プロジェクト 【 マインドマップ1年生 plus ライフハック! 】

引用いたします。
しかしこの「ささっと拭く」を毎日しているだけでも、
浴室の汚れが驚くほどにピタっとなくなりました。
当然、細かい部分は汚れてしまうので、そういう部分は休日に。
それまでは休日に、全面をせっせと掃除していたので、それはもう楽になりました。
この後、お風呂掃除から転じてプロジェクトの話になります。
毎日こまめに進めておけば、トータル的には楽だと頭では分かっている筈なんですけどね。
プロジェクトを完了させるには手間がかかりますが、その全部をまとめてやらないことで楽にしようという考えです。
以下は同記事を参照して書かれていますので、合わせて読んでいただくと良いと思います。

375:お風呂掃除とプロジェクト推進の共通点 | | SOHO考流記 | あすなろBLOG

さて、プロジェクトは分割してから取り組み、まとめて全部やらないようにすることは、まず疑いなく有効なアプローチです。
そこで本エントリでは、ここを出発点として一つ考えてみることにします。


手を付ける


プロジェクトについてよく言われる話として、とにかく今すぐ少しでも手を付けておきなさい、といったことがあります。

『「うつ」とよりそう仕事術』では、このように書かれています。
たいていの物事が始まる時というのは「新鮮」なものです。
その仕事が「目新しく・新鮮な」うちに、完成までの見通しを一気に立ててしまうというのがスタートダッシュ仕事術です。
『「うつ」とよりそう仕事術』(酒井一太)

この理由は、同書では「将来の自分が現在と同じように働けるとは限らないため」や「将来の自分に余裕を残しておくため」とされています。
純粋に、全体の仕事量を減らしておこうとする発想だと言えます。

また、『エンジニアのための時間管理術』には、以下のような記述があります。
いったん始めてみると、思ったほど難しくないものである。実際、どれだけ時間がかかるかを言い訳にして、作業を渋ることがよくあるが、いったん始めてみると、案外すぐに済むことがわかる。
『エンジニアのための時間管理術』(Thomas A. Limoncelli)

こちらは、「思っているより、仕事が楽かもしれない」という発想です。


話を整理する


プロジェクトに対して今すぐにでも手を付けておくべき理由として、二つ紹介しました。
  • 仕事量を先に減らしておく
  • 仕事は意外と楽かもしれない
本エントリでは、ここにもう一つ追加したいと思います。


今すぐに手を付けるべき理由


たとえ仕事量が全く減らなくても、そして仕事が意外と楽だったなどということがまるでなくても、やはりプロジェクトに早めに手を付けておくことには価値があります。

それは、プロジェクトを正しく分解し、適切にスケジューリングすることが可能になるという点においてです。
何も手をつけないうちにプロジェクトを分解しようとしても、手詰まりになってしまうのです。

これは私の印象ですが、ほんの少しでもプロジェクトに取り掛かっておくことによって、その様子や全体像が自分の中に落ちると言いますか、一つ高いレベルで理解できるようになるように感じます。

プロジェクトを分解して、小さいタスクに取り組むことは、ある種のトップダウン的アプローチです。
トップダウン的アプローチは、本ブログでも「KJ法と折衷案」などのエントリで取り上げたことがあるため詳細には立ち入りませんが、そのプロジェクトの内容に精通していることが求められます。
その点で、扱うプロジェクトを自分に近いところに持ってきておくことに意味があるわけです。

テクニックやメソッドと呼ばれるものを持ち出すのは、何も考えず、とりあえずやってみた後でも決して遅くありませんし、むしろ、より良くそれらを活用することができます。
かなり泥臭いアプローチに見えるかもしれませんが、私は悪くないと思っています。


終わりに


本エントリのハイライトである「プロジェクトの全容を、より深く理解できる」の部分が、どうしても抽象的な表現になってしまいます。
例によって、とりあえずやってみていただくしかないのかもしれません。

2012年3月6日火曜日

ベーシックインカムについて

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以下の記事を読みました。


こちらはGoogle+で共有していただきましたが(ありがとうございました)、恥ずかしながら、私はそれまで「ベーシックインカム」という概念すら知りませんでした。

ですが、こちらの記事で非常に興味深いと感じましたので、少し書いてみようと思います。


ベーシックインカム


「ベーシックインカム」は、政策の名称です。
同記事から引用いたします。 
 ベーシックインカムは、最低所得補償の一種で、政府が全国民に一律に一定額の現金を、無条件で配るという政策だ。単純で一見荒唐無稽に見えかねない政策なのだが、多角的な批判に耐える合理的な政策だ。
つまり平たく言えば、全国民にお金を継続的に配ろうというものです。状況としては月収のようなものとの理解で良いでしょう。
内容の説明はこれで済んでしまう、この上なくシンプルな政策です。

そして、引用文にあるように一見すると荒唐無稽ですので、反射的にいくつかの反論が思い浮かびます。本能的に、これでうまくいくはずがないと感じるのです。

ですが、そのようにぱっと思いつくような反論は、非常に説得力を持った形で見事に一蹴されてしまいます。
その様子はぜひ上記のリンク先でご確認いただきたいのですが、なかなか面白いです。

他方で、反射で物が言えず、ある程度のレベルまで理解を深める必要があるため、その意味では取り扱いにくい政策とも言えます。
すべての一般市民にそのような深い学習を求めるわけにもいきませんし、かといって学習しなければ直感的に受け入れにくいからです。


いくつかの確認


本エントリ冒頭のものと、もう一つご紹介いただいた記事を読んだ後、自分でもベーシックインカムについて書かれた記事を読み漁ってみました。
その中でいくつか気になるものがありましたので、ここで確認させていただければと思います。


仕事をしなくなる


ベーシックインカムによって最低限の生活(あまりこの表現は好きではないです)が保障されると、それを当てにして仕事をしなくなる人が多数現れ、仕事をしないと人間が狂ってくる、といった主張を見ました。(かなり大雑把にまとめています。)

「何もしなくても所得がある」という状況は、人類史上一度も発生したことがありません。(ベーシックインカムが実際に施行された例はないそうです。)

ですので、ベーシックインカムが引き起こすのは「人間が仕事をしなくなる」どころの騒ぎではなく、良いことか悪いことかを問わず、もっとずっと、誰にも予想が付かないようなことになるはずです。一人っ子政策が一つの例になるでしょうか。

したがって、ことさらに「仕事をしなくなる」ことだけを取り上げて、そこから何かが起こることを語るのは、少し引っかかるものがあります。現状では予想もつかないような良いことが、同時に起きるかもしれないのです。

ちなみに、冒頭に掲げた記事中では、このことについても直接反論しています。ぜひご確認いただければと思います。

また、「仕事をしなくなると、人間が狂ってくる」点については、大筋で私も同意でした。
ですがこれは、「人間が仕事をしない」ことへの問題提起であり、ベーシックインカムについてではないように感じました。


仕事をしなくてもよくなる


ベーシックインカムを支持する人が言う理由として、人が「働くこと」をもっと自由に考えられる、といったものがあります。
これにも私は、上のことと同じ理屈で疑問を抱いています。

私には人間社会が、「最低限の収入が約束されているから、やりたくない仕事はやらなくていい」というように単純にできているとは、どうしても思えないのです。


国民が奴隷になる


もう一つ、「国からの現金支給によって生活が成り立っていると、国から無理を言われても聞かざるを得ない」といった主張も見ました。(相当大雑把にまとめています。)

私はこれを読んで非常に納得したのですが、そもそもこれは、社会保障制度や累進性のある税などの全般に言えることです。
つまり、私たち(ここにはお金持ちの人は含まれていません)はすでに、大なり小なりこの主張に当てはまってしまっているわけです。

ですので、「ベーシックインカムへの意見」としては、とりあえず脇に置いておくことにします。
社会保障制度や累進課税、富の再分配、ひいては大きな政府への意見ということになるでしょう。


ベーシックインカムについて


以上の確認を踏まえた上で一つ私が思うのが、ベーシックインカムは、あらゆる複雑な制度をシンプルに置き換えるものだということです。

制度が非常に複雑であるために、人間が手間をかけてそれを実現していた部分を「もっと人間ががんばる」ことで何とかしようとするのではなく、仕組みで対応しようとするアプローチがとても良いと思ったのです。

これによる現実的なメリットはいくつか挙げられていますが、それよりも、そういった「アプローチ」が単純に良いと感じたということです。

なぜなら、このような「もっと人間ががんばれば何とかならないこともないが、そうではなく、仕組みで解決する」アプローチは、私たち(これは先ほどよりずっと小さい集合です)が好きなライフハックやタスク管理と共通する概念だからです。
つまり私たちは、このアプローチが個人レベルでは素晴らしく効果的であることを、よく知っているのです。
このために、現実的なメリット云々ではなく、これならうまくいくはずだと理解することができたのです。


終わりに


参考として、冒頭のもの以外で私が参照した記事を列挙しておきます。

2012年3月5日月曜日

言葉を定義すること(2)

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以前、このようなエントリを書きました。

23-seconds blog: 言葉を定義すること

実に唐突に終わっていますが、今回がその続きです。


確認


前回エントリから、二点確認しておきます。
  • 定義であっても「ある程度の認識を共有している」ことは前提にある
  • 「文字」と「人間の理解」は全く別のレイヤにある
これらを踏まえた上で、話を進めます。


日常会話


本エントリでも、スコープを数学と日常会話に限ることにします。
(ただ、ここでの「日常会話」は、問題のない範囲で広義のものとしておきます。すなわち、普通のやりとり、といった意味です。)

さて、数学ではすべての情報が文字として見えているため、議論の出発点として何かを定義することには意味があります。

これが日常会話だとどうでしょう。

日常会話は、文字の上で論理を展開していくことが目的ではありません。たとえ文字として見たときに何の意味も成していなくても、会話に参加している当人たちが「理解」できていれば問題はないわけです。
もとい、問題がないどころか、完全に目的は達成されています。

この点で、そもそも日常会話において言葉を文字の上で定義することには意味がありません。
もし定義したとしても、それを受け取った複数の人たちの間では「理解」のレベルで全く異なるものになってしまっています。文字は、常に文字以上の情報を含んでいるのです。
上述した「会話に参加している当人たちの理解」についても同様で、会話に参加している人たちが皆「理解できた!」と思っていることに意味があり、各々の「理解」がすべて同一のものである保証はありません。
さらに言えば「理解」どうしを他人と比べる手段はありませんので、100パーセント、各人の「理解」は異なっています。


それ以外ではない


また、言葉を定義するためには「この言葉はこうである」ことと同時に、「その言葉はそれ以外のどんなものでもない」ことも断定できる必要があります。
数学でしたら、「それ以外はない」ということにして進んでいけばいいので、問題は起こらないでしょう。

一方、日常会話上での定義は不可能です。
これは先ほど述べたとおり、文字は常に文字以上の情報を含んでいるためです。
話が「理解」のレベルに及んでしまう時点で、定義はできないのです。


定義から出発できない


数学は、たくさんの「前提となる認識」と、決めたばかりのほんの少しの「定義」から出発できます。

しかし、これまで述べてきた通り、日常会話は定義から出発することができません。
再度まとめれば、定義を見た瞬間に、各々の前提となる知識に従って全く別の「理解」となるためです。
つまりここで出発できるのは、「前提となる認識」からのみです。


いろいろな話


この立場を取ると、いろいろなことに新しい見方ができます。

例えば「言葉の定義がわからないから、会話ができない」といったことが、少し妙な話になってきます。

また、ある言葉を辞書で調べたときに書いてあるのは、人間の「理解」を助けるための何か、ということになるでしょう。これは直感的にも正しそうです。

それから、先ほど定義から出発はできないと言いましたが、後から定義(らしきもの)を付けることなら可能です。
仮に、ある単語を頻繁に使って何か話をしたとします。そしてその話が終わった際に、その単語をきちんと定義してほしい、などと言われたことにしてみましょう。
この場合の返答としては、「これまでの話をあなたが理解するために、取り立てて問題の起こらないような何か」が定義である、とすれば良さそうです。
これだと一見、相手が全く別の理解をしてしまうようですが、ここまで繰り返し述べてきたとおり、どんなに注意深く説明しても、自分と相手は全く別の理解をしています。

「理解できた」と思えた瞬間(厳密に言えば、思う直前)だけが、共通なのです。

要するに、人間が理解したかどうかが問題のところへ定義などというものを持ち込んでしまっているために、妙な話になってきてしまうのでしょう。


終わりに


もちろん今回の話は、「定義とは厳密なものである」といった前提の認識の上に成り立っています。

2012年3月3日土曜日

最近読んだ記事(2012.3.3)

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なぜだか最近、ぐっとくる記事をたくさん読みました。
Google+の方で共有することも考えましたが、わりと数が多くなりそうですので、ここでまとめてご紹介しようと思います。

余談ですが、ブログという場があると、素晴らしいと思ったことや感謝の気持ちを表明できて、とても嬉しいです(もちろんGoogle+でも良いです)。

ちなみに普段は、あまりコメントを加える必要のない便利ネタや面白ネタなどをGoogle+で共有し、自分なりに何か考えるところがあるような深い記事は、ブログで引用を交えながら紹介するようにしています。
ですが、この方法だとどうしてもブログでの紹介待ちな記事がたまってきてしまいますし、エントリ一つにできそうになるまで時間がかかったりします。

前置きが長くなりました。


ぐっときた記事


UEMATSU.Yの師の教え | Moleskinerie

モレスキナリーからです。ノートは贅沢に使うのが良いです。

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Pinterestはどこまで合法なのか?ある女性のストーリー | サンフランシスコのWebコンサルティング会社 -ビートラックス- スタッフブログ

いまはやりのPinterestの話です。このことが将来どのようになるかはわかりませんが、読んでおく価値のある記事です。

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2012年版「間違ったソフトウェアの売り方」 « A-Listers

これは同意です。さらに言うと、電子書籍の界隈も同様だと思います。

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今日の世界の果て Vol.3 「ツールボックスとしてのTraveler’s Notebook」 | Notebookers.jp

やはりモレカウはどこまでも格好良いです。

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ブログの衣替え(日刊になります) 【 マインドマップ1年生 plus ライフハック! 】

大好きなブログですので、楽しみです!

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[ 連載1:Fundamental Tuning ] 日本語入力ソフトは徹底的に鍛える | Find the meaning of my life.

こちらの連載も非常に楽しみです。第一回からかなり実践的です。

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kouseipapa.net » Readabilityから「あとで読む」について色々と考えてみた。これに乗り換えよう。

途中から、まさかの展開を見せます。こういった記事には非常に憧れますし、私が目指しているところの一つだったりします。
もちろん内容も素晴らしいです!

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誠 Biz.ID:「スーパーコンシューマー」とはなにか:集合知は“とがらない” 「abrAsus薄い財布」はなぜ生まれたか (1/3)

「小さい財布」ヘビーユーザの私です。
ぐっとこないはずがありません。

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Wordpress.comで自由に空白行を入れる方法…… | jMatsuzaki

こういったことを、きちんとまとめて発信できることがまずすごいですし、そもそもこれに気付いたのがすごいです。

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[N] プロ・ブロガー本で考えるのは「サスティナビリティ」と「自分で好きにやること」について

もう、とにかく感動しました。

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カーナビ終了のお知らせ AndroidのGoogleマップナビが秀逸 | Last Day. jp

Androidすごいですね…。

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1ヶ月にブログ100記事書いてみて発見したり変わったりしたこと | goryugo

すごい人です!格好良いです!


終わりに


また、ぐっときた記事が紹介しきれていないと感じたら、本エントリのようなことをするかもしれません。
もちろん、自分のことはわかりませんので、しないかもしれません。

言葉を定義すること

Clip to Evernote
言葉を定義することについて、少しだけ考えてみました。

特別きっかけなどはなかったように思いますので、おそらく常々考えていたのでしょう。


定義する


定義するという言葉には、発言する人が自由に決めていい、といった雰囲気が含まれています。「私はこの単語を、これからこういう意味で使います」などの、宣言のようなものです。

論理的にはそのような表現で間違いないのでしょうが、実際にはそんなはずはありません。
「これから私は、"definition" を "liberty" の意味で使います!」と宣言されても、以降の意志疎通に支障が出ることは明らかであり、これはここでいう「定義」が、誰にとってもなじみのないものであることに起因します。

従って「定義する」には、ある程度の知識や認識が共有されていることがどうしても前提にあります。


数学と日常会話


本エントリでは、そのスコープを数学と日常会話に限定することにします。

数学の世界では、定義することにはそれなりの価値があります。
数学は定義を基にして話が進んでいくためです。

その「話が進む」とは、人間が理解しているか否かとは関係のない文字の上での現象であり、見えているものが必要な情報のすべてです。数式がずらっと並んでいるところで、途中に書いていない部分があり「そこは何となく書かなかった」などと言われては、話が数学的になりません。

また、定義することは、その言葉が何であるかを決めることと同時に、それ以外の何かではないことも規定します。
数学的な話のためには、それも(あるいは、そちらの方が)非常に重要です。

ですが、先述した「ある程度の認識の共有が前提」についても、この数学の話に適用されます。
数学の話をするとき、いちいち「ここでいう"1"とは何か」「"+"とは何か」といったことは、定義しないためです。"1"や"+"の用法によほど誤解される可能性がない限りは、前提となっている認識を基にして進んでいきます。

さて、一方の日常会話です。

まず、会話には「文字の上でのやりとり」と「人間の理解」という二つのレイヤが存在することを確認しておきます。
本ブログでは何度か語ってきたような気がしますが、この二つには明確な差があり、「理解」の部分は絶対に文字では表現できませんし、「文字」はそのままでは理解できません。


終わりに


どうも、この先長くなりそうな予感がしてきましたので、本エントリはここまでにしておきます。

とりあえず今回のまとめとしては、
  • 厳密な定義であっても「認識の共有が前提」であること
  • 「文字」と「理解」は相容れないレイヤにあること
であるとします。

こういった話は、書くのは楽しいのですが、読むのはまるで楽しくないのが問題です。

2012年3月2日金曜日

自己紹介について

Clip to Evernote
こちらの記事を読みました。

「週刊たち」習慣化への道「デイリーたちばな」 2012年2月28日版 | No Second Life

引用させていただきます。
以前セミナーでお話ししたことがあるのだが、ブログエントリーには、「広げる」エントリーと「深める」エントリーがある。
私は、ここで言及されているセミナーに参加したわけではありませんので、ここで言う「広げる」と「深める」については全く理解していません。
ですので、これは勝手な解釈になりますが、私が考える「広げる話」とは、そのブログをあまり読んだことのない人がキーワード検索などでたどり着いたときに嬉しいような内容で、何かを紹介する記事などが該当するでしょうか。一方の「深める話」とは、いわゆる常連さん向けの、私はこう考えている、といった内容になるでしょうか。

繰り返しますが、これは私の勝手な解釈、理解です。
ですが、今回はこれを基に話を進めます。


23秒の話


それについて本ブログはどうなっているか見てみましたが、どう考えても、「深める話」しか書いていません。
本ブログにふとたどり着いた方にとって嬉しいエントリは、ゼロではないでしょうが、少なくとも私はあまり書いた記憶がありません。

これには様々な理由がありますが、一つには、そういったエントリは私が書いていて楽しくないことが挙げられます。
説明しにくいのですが、着地点とそこに到る道のりが完全に見えている状態で文章を書くのが、非常に面倒なのです。

とにかくこれは、楽しくないので仕方ありません。本来ブログを書くのは楽しい作業です。


自分のこと


広げる話と深める話があるのがブログとのことでしたが、私は広げる話を書くのが楽しくありません。

私がブログを書く理由の一つが、実はこの辺りに潜んでいます。
(ちなみに、すぐ上の空白行の部分には割と大きめの飛躍がありますが、うまく言語化できませんので、飛躍のままにしておきます。)

これまでにも何度か、ブログを書く理由と銘打って文章を書いたことがありましたが、これから書くのは初めての内容になるはずです。また同時に、これまでよりわかりやすいことだと思います。

私は常々、自己紹介に多大な手間がかかることが気になっていました。

右上に私が興味のあることがいくつか掲げてありますが、中にはわかりにくいものもあるかと思います。
問題はその「わかりにくいもの」が人によって異なることで、例えばシンセサイザーがわかりにくい方もいれば、Moleskineがそうだという方もいるでしょう。
しかし、日常会話で伝えられることには限りがありますので、どうしても相手にとってわかりやすいもののみを紹介することになってしまいます。

残念ながら私は、最低でも右上に書いたことくらいは紹介しないと、自己紹介した気分になりません。どれもが私の好きなこと、興味のあることだからです。


カキフライ理論


ここで登場するのが、カキフライ理論です。
こちらの記事で言及されています。

シゴタノ! —    ブログのテーマと「カキフライ理論」

引用いたします。
「カキフライ理論」をまとめるとこうなります。
  • 自分自身が好きなものごとについて
  • 独自の視点を持って書く

何か「好き勝手にやればいい」みたいな響きを感じますが、それが「自分自身」を表現することにつながっているわけです。
(引用の引用になってしまいますので、「カキフライ理論」をきちんと説明している部分を載せるのは避けます。ぜひ記事の方に目を通していただければと思います。)

したがって私は、ブログで壮大な自己紹介をしていることになります。
個人的な直感として、この表現は正しいように思います。


終わりに


といっても、シンセサイザーについてはエントリにしたことがありません。

これは、何をどうまとめたら良いかが難しくてわからないのか、またはまじめに考えていないかのどちらか、あるいはその両方が理由です。