2013年1月14日月曜日

サラダ油の容器

Clip to Evernote
こちらの記事を読みました。

R-style » 仕事術のカテゴリを類推してみる

非常に面白い記事です。
私がこちらを面白いと感じた部分は、記事内の次の一文がよく表しています。引用いたします。
つまり、iPhoneアプリのカテゴリから仕事術のカテゴリを想像してみる、ということです。
初めに見たときは、まさに開いた口が塞がらないと言いますか、「その発想はなかった!」と衝撃を受けました。

そして、記事ではさらに興味深い言及に至っています。
引用いたします。
その点、別の分野の類推を使うと、「あってしかるべき」なものが朧気にでも見えてきたりします。
記事の最終版にさらっと書かれている一文ですが、読み飛ばしてしまうわけにはいかない、とんでもないことが表されています。

「あってしかるべき」、すなわち、今のところは「存在しない」ものが見えてくるのです。「ないものがある」ことがわかるのです。
これは、言ってしまえば「悪魔の証明」を覆してしまっているわけです。
(ちなみに、私は「悪魔の証明」の話があまり好きではありません。)

「ないものがある」ことがわかること、つまり「足りないものがある」ことがわかる力は、日常生活においてはそうでもないかもしれませんが、一方でビジネスの現場では非常に重要になります。前者は未確認ですが、後者は言い切ってしまって構わないでしょう。個人レベルから集団全体まで、いたるところでそれが問われる場面があるはずです。
さらには、「それが問われる」ならまだ良いのですが、なにせ「足りないもの」に気づく力なわけですので、「それが問われている」ことにも気づけない可能性すらあります。

やや、抽象的な話になっています。
もう少し、抽象的に続けてみます。

さて、そうすると「足りないものがある」ことに気づくためにはどうしたら良いか、考えていく必要が出てきます。
これは、細かい部分ではいろいろとやり方はあると思いますが、大筋では「枠を作る」ことで間違いないでしょう。

中身のピースが足りないことに気づくためには、何かしら「枠がある」ことが必要です。どうしても、存在しないものをそのまま認識するのは困難なのです。

ここまで、二つのことを言いました。いったん足を止めて、見てみます。
  • 「足りないものがある」ことに気づく力は重要である
  • それには「枠を作る」必要がある
この二つです。気持ちとしては、一つめの「気づく力」の方に「その力は仕事のあらゆる場面で必要になる」とのことも付加したいのですが、まとめですので、この程度にしておきます。

それでは、「枠を作る」についてです。
私はこのことを、自宅で晩ご飯を作っていて、サラダ油の容器が空っぽになったときに思い当たりました。サラダ油が(そこにあるべきなのに)ないことに気づくためには、空になった容器が必要だったわけです。

しかしこのエピソードは、この問題の一端しか映していません。
別のたとえを持ってきましょう。

スーパーの店員さんになったとします。店員さんは、商品の動きを絶えず気にしている必要があります。
このとき、「商品がないこと」に気づくことについて考えてみます。

まず、先のサラダ油の話と同様のパターンが思いつきます。
これは、普段から仕入れている商品が品切れになっている状態です。
このときの「商品がないこと」に気づくのは容易で、つまり、空いてしまった商品棚を見ればいいわけです。空になった商品棚が「ある」おかげで、商品が「ない」ことがわかります。
もちろん、この「空になった商品棚」が「枠」に相当します。

ただ、「商品がない」パターンはもう一つあります。
もともと、そのお店で取り扱っていない商品のことです。「うちの店にはあれがない!」と気づくことができれば、利益を出すことに繋げられるわけです。
(かなり大雑把に言っていますが、あくまで例です。)

それに気づくための「枠」を作るのは、なかなかに難題と言えます。

直感的には、
  • 他のスーパーの真似をする
  • 標準化する
といったところがあるでしょうか。
「標準化する」にはいろいろと解釈の仕方がありますが、例えば「本部の人が全部決める」とでもなるでしょうか。「各店舗にはこれとこれの商品があるべきだから、そのようにしなさい」ということです。
これなら確かに、自分の店に足りないものに気づくことができるようになります。

とはいえ、当然「それでいいのか」(または「それだけでいいのか」)という疑問が残ります。
あるいは、ここでは「一つの店舗」を一単位として例に採りましたが、これが変わるとどうなるか、との疑問もあります。

きっと、このあたりは永遠のテーマのようになってくるのでしょう。
しかし、少なくとも問題を認識しておくだけでも価値があるはずです。何かしらの方針で「枠」をうまく作ることが必要だ、という問題のことです。

さて、話が長くなりましたが、ようやく結論にたどり着きます。

本エントリの冒頭で、「その発想はなかった!」と衝撃を受けた、と書きました。
これは、本エントリで述べてきた話をすべて踏まえた上での「その発想はなかった!」であり、その意味で、冒頭でご紹介した記事は衝撃的だったのです。


終わりに


書いてみたら、別に「悪魔の証明」の話ではありませんでした。