2013年2月9日土曜日

鍵括弧が付く新しさ

Clip to Evernote
「文章の話をします。
よく、文章中のある箇所に、鍵括弧が付けられているのを目にすることがあります。
状況は様々ですが、ひとつには、会話文や人の発言を文章中に織り込むときのものがあります。いわゆる直接話法と呼ばれるもので、ここに用いられる鍵括弧は、定義からして、正しい用法です。

私がいま話題にしたいのはそれではなく、別に誰かの発言でもない、「普通の文章」のさなかに突然現れてくる鍵括弧のことです。

こうして説明すると少しわかりにくいので、例を挙げます。
もとい、挙げました。そのようなものです。

直感的に、こうした鍵括弧はおそらく、言外の何かの意味を読み手に汲み取らせようとして、書き手が配置するものなのでしょう。言外の意味について述べるのは難しいことですが、きっとそうです。

そうだとすると、ここで言うような鍵括弧を持ち出して文章を連ねていくことには、書き手の怠慢と言いますか、読み手への甘えと言いますか、そういったものがあるように感じられます。何かを伝えようとしているにも関わらず、肝心なところは、語らずして察してもらおうとしていることになるためです。
その意味では、鍵括弧が入り交じる文章は避けられたいものになります。

私のこのような思想は、今となっては昔のことですが、森博嗣の小説の一節を読んだことに影響を受けています。
正確な文章やその存在箇所の行方が知れなくなってしまい申し訳ありませんが、甘えやわがままというのはすなわち、きちんと表明してもいないことを、伝わっていてほしいとする態度のことだ、といったような内容でした。

目にして以来、このことは常に私の念頭にあります。
それほどに、強く心が動いたのです。

翻って私自身の文章を見てみると、残念ながらと言うべきなのか、件の鍵括弧が使われている部分は多々あります。

また、私がまさに文章を書いているときのことを思い返してみると、疲れてきたときに、それを多用したくなる自覚もあります。このことは、先にも述べたような、鍵括弧は言葉を費やさずに何かを察してもらおうとするものだろう、との考え方に反しません。

ところで、この、文章中に鍵括弧を使いたくなる気持ちは、どこから来るものなのでしょうか。
鍵括弧を使いたくなるということは、少なくとも、それは言外の何かを示す記号であるとの共通認識が、読み手と書き手にあることになります。語られないことなのに、語られないことがあるという認識だけはあるわけです。

その回答としては、普段読む文章がそのようになっているためだと言うことができます。
常に、自分の言葉は他者のそれから形作られるものでしょうから、私が鍵括弧を使いたいと思うのは、私が目にする数多の文章たちがそうなっているためなのです。

現状、私が目にする文章は、生まれて間もないものが多いでしょう。書籍やブログはもちろん、日常生活のあらゆる場面で出会う文章は、書かれてから、それほど時間の経っていないものがほとんどです。
つまり、それらの中で鍵括弧が用いられているために、私が文章を書くときにもそれを使いたくなるということです。

そう思って少し昔に書かれた書籍を見てみると、そこには、鍵括弧の付けられた文章は不思議とありませんでした。今よりほんの少し前の時代の人は、鍵括弧が散在する文章を読むこともなく、その結果として、そのような文章を書きたくなることもなかったのだろうと推測できるわけです。
もっとも、私は手近にあった数冊の書籍を確認しただけですし、加えて、現在のブログに相当するような昔の文章を目にするのは難しいと思いますので、はっきりとは言えないことは付記しておきます。

さて、ここまで、二つのことを言いました。
  • 鍵括弧は、言外の何かを汲み取らせようとするものである
  • 現代の文章にはそれが多く用いられており、おそらく、昔にはあまりなかった
ここから、鍵括弧に対する立場をいくつか考えることができます。

ひとつは、鍵括弧は読者への甘えであるから避けられたい、とする立場です。
間違いなく、それは忘れてはいけない考え方です。何かを伝えようと文章を書くなら、伝わってほしいことは陽に記述されるべきなのです。

しかし、同時に、必ずしも忌み嫌うべきものというわけでもないのかもしれません。

そうして文章に鍵括弧を使うことが、少し以前には本当になかったことであるなら、それは日本語が変化していることの表れになります。

誰にとっても、ずっと昔の日本語と、現代のそれの様相がまるで異なっていることは明らかです。時とともに、日本語は変化しているのです。
それはともすれば他人事のようですが、実は、鍵括弧という形で私たちにも観測できることになります。そこで、何かが変わっていく有様を感じ取ることができるわけです。

変わっていくことの是非に関する議論もあることでしょう。
他方、いつだって、新しさは興味を引くのです。」


終わりに


ここでの言外の意味は、日本語が変わっていくことを言葉の乱れと呼ぶなら、鍵括弧もその一つかもしれないな、ということです。
それから、私は日本語が変わっていくことについて、特に賛否の思想はありません。

言外のことまで書いてみました。