2013年9月30日月曜日

私と「Postach.io」

Clip to Evernote
こちらの記事を読みました。

R-style » Evernoteをアウトプットツールへと変身させる「Postach.io」

こちらの記事も読みました。

Evernoteがそのままブログになってしまう Postach.io というサービスがわりと面白そうな感じ | ごりゅご.com

こちらも読みました。

Postach.ioを始めました | ライフハック心理学

大変に興味深いサービスと感じましたので、私も、始めてみることにしました。
作成したのがこちらです。

23-seconds notes

今後は、こちらも更新していこうと思っています。
お時間ありましたら、見ていただけると嬉しいです。


終わりに


改めてエントリを書いてみましたが、始めたのは半月以上も前のことでした。

Postach.io でものを書く環境を整えたい、などと思っています。
こちらは、ポメラではなかなかにやりにくいものがあります。

未熟な私のイメージ

Clip to Evernote
いつからか、知的生産というもののある一面に対して、ひとつ、明確なイメージを抱いていました。
別に、大騒ぎするような話ではありません。何かの対象があって、それに対して思うことがあったのです。日常に、頻繁に体験することです。

ただ、問題もありました。
そのイメージについて、うまく描写する言葉が見つからなかったのです。

基本的に、不便というのはこのような状況を指します。

ですが、あるときふと、私の感覚とよく一致する表現に思い当たりました。
(ふと、というのは言葉の綾です。実際は、一生懸命に考えて思いつきました。言及される価値のある事実かと思います。)

その表現は、いつのことでしたか、本ブログで用いました。「強靱な知的生産」というものです。

大変に、気分の良い表現です。便利であるとは、このような状況を指すのでしょう。

そこで本エントリでは、その「強靱な知的生産」のもとになったイメージについて書いてみたいと思います。なぜなら、便利だからです。
とはいえ、イメージはすでに明確にあります。仰々しい書き出しと比較して、ここからはそれほど厄介な話にはならないはずです。

まずご紹介したいのは、『知的生活の方法』(渡部昇一)からのエピソードです。著者の渡部さんが、その昔に、ドイツ参謀本部についての本を著したときのことです。なお、渡部さんは英語学者であり、ドイツの参謀本部については、肩書きとしては素人であったそうです。

状況を示す一文を引かせていただきます。
素人でも本の買い方を工夫すれば、専門家の書いたものにやや近いものができるという実例である。
何かしらの方針で、本を一生懸命買った素人のお話だということです。

ドイツ参謀本部にひょんなことから興味をひかれた渡部さんは、関連する本を買い集めることを、長い期間かけて続けたそうです。
いつしか、次のような状況に至りました。
日本の古本屋で集めたものもあるし、外国の古書店の目録で注文したものもある。あるものは全部読み、あるものは部分的に読んだ。そして集った西洋の戦争関係の本がいつの間にか、書棚の中で何メートルかを占めるようになった。
専門外のことにも関わらず、たくさんの本が集まりました。
いよいよ、次のような気づきにぶつかります。
こんな本をときどき開いて二十年近くも経てば、だいたいの構想はまとまる。そしてそれを本とする自信も湧く。
二十年近く構想を寝かせておいたら、自然と本を書く自信がわき上がってきたわけです。

これが、私のイメージにある「強靱な知的生産」です。膨大な蔵書と時間の上に、どうしても立ち上ってしまうようなものです。
もし、強靱ではない指向で知的生産が成り立つことがあったとしても、それはやはり強靱でないものとなるのでしょう。そして私は、強靱である方を良しとするような思想を持っています。

同じ類の話は、『「知」のソフトウェア』(立花隆)にも見受けられました。
引用いたします。
私は毎月、山のような雑誌に目を通している。まず一般週刊誌はほとんど全誌に目を通しているし、月刊総合誌もしかりである。月刊誌では総合誌だけでなく、若者向けの雑誌もかなり読んでいるし、さまざまのジャンルの専門誌をいくつか購読している。それ以外にときどき書店に行って、専門雑誌の書棚をのぞいては、さまざまの雑誌を買い込んでくる。愛読しているPR誌も何誌かある。
著者の立花さんが、継続して、多くの雑誌に目を通していることが述べられています。こちらも、抜群に強靱な知的生産を実現できるであろうことが想像できます。

なお、引用した文章に続いては、「こんなに大量に読むのは、職業上の必要に迫られてのことで、人には勧められない」との断りがありました。念のため、それもご紹介しておきます。

さて、強靱な知的生産の名の下に、二つのエピソードを見てきました。明らかに、本を読むということが話の基礎になっています。
そうして、本エントリの関心は、知的生産から読書についてに移っていくわけです。

特に言及したいのは、ご紹介した二つのエピソードが、読書においてどのような本を読むのが良いか、との設問に答えるものではないことです。読書について語ろうとしたときに、おなじみの話題であるにも関わらず、です。

本エントリでは、たくさんの本を、長期間かけて読むことについて表現しました。
それは、どういった本を読もうかと心を砕くことよりも、私の好む考え方です。

私の好む考え方が、間違っていることもあるでしょう。他方で、間違っていないこともあろうかと思います。
いずれは、絶対の正解に至ることができるのかもしれません。あるいは、どこまで行っても、個人の好みの問題以上にはならないのかもしれません。

せめて、自分がどういった思想を信じていて、どういった方針で行動していくのかは、よく考えて、明らかにしておきたいものです。不便だからです。

私などは、少しだけ好みの方向性があるという程度です。それは上述した通りです。
自分の信じる思想も、自分の行動の方針も、まるで把握していません。

まだまだ、未熟なようです。


終わりに


なにしろ私は、不便であることが良いことなのか、あるいは悪いことなのか、それさえも承知できていないのです。

2013年9月16日月曜日

WIRE 13、アフター

Clip to Evernote
今年もまた、WIRE に行ってきました。

WIRE13 -15th ANNIVERSARY SPECIAL- (ワイアーサーティーン 15周年スペシャル)

各国から一流のDJやミュージシャンが集う、日本が世界に誇るテクノイベントです。毎年、夏の終わりに横浜アリーナで開催されています。
WIRE が終わると、いよいよ秋かな、という気がしてくるものです。

せっかくですので、関連するパブリックな話とプライベートな話を、いくつか書いておこうと思います。

ちなみに、話にはパブリックかプライベートかしかないと思われる向きがあるかもしれませんが、他にも、protected と、無印があります。いろいろある中で、今回は public と private にしようというわけです。

以上、ジョークでした。

WIRE の話に入ります。

今年の WIRE では、すべての公演が終了して観客が退場する時間帯、会場周辺は大雨でした。

ここ数年の WIRE で、帰ろうとしたときに雨が降っていた記憶はありませんでした。いつも、朝から暑かったように思います。そのためか、今年の雨にはずいぶんと驚きました。WIRE の帰りに雨が降っているなんて、想像したこともなかったのです。

WIRE ではいつも、手荷物の取り回しを試行錯誤しています。

クロークに預けたり、預けなかったり、預けないことを見越して鞄を小さくしてみたり、といったところです。いずれの方針にも、良いところと、悪いところとがありました。
そこで今回は趣向を変えて、手荷物を持たずに参戦してみました。

具体的には、
・家の鍵
・チケット
・iPod touch
・フィーチャフォン
・財布(中に Suica)
・情報カード、ペン
だけをズボンのポケットに入れて、すべてのイベントを過ごしました。

いくつか説明が要りそうです。

私の場合では、フィーチャフォンは通話のみの契約で、かつ、普段はWiFiルータと iPhone を携帯しています。すなわち、WIRE の期間中は、移動も含め、オフライン生活でした。

フィーチャフォンは、緊急時の通話用に持参しました。
充電切れしにくく、端末が強いため、こういったときの選択としては非常に適当です。

iPod touch も、端末が薄くて軽いために選択しました。ほとんど、FastEver 専用機です。FastEver は、オフライン時の挙動が素晴らしいことも言及に値するアプリです。

情報カードは、持参しなければもっとはるかにポケットに余裕ができたはずでした。しかし、書くものが何もないのはどうしても不安だったのです。
実際には、メモは FastEver でまかなうことができましたので、活用の場面はありませんでした。それでも、持っていってよかったと思っています。

ずいぶんと持ち物の話が長くなってしまいました。
別の話題に変わります。

テクノは、その最先端の部分では、非常に移り変わりの激しい音楽です。テクノの最先端を描き出すところのイベントである WIRE は、変わらぬ外観に反して、中身はその年々で変化しています。
今年も、率直に、去年と全然違うなと感じました。

さて、WIRE に関しては、毎年、開催に先駆けて「WIRE コンピレーション」なるCDアルバムが発売されます。その年の WIRE に出演するアーティストが(おそらく)一曲ずつ持ち寄って、作られるアルバムです。
私などは、テクノにあまり詳しくありませんので、WIRE に出演するアーティストに、知らない人たちも含まれています。そのこともあり、大変に貴重な、ありがたいアイテムとなっています。

毎年 WIRE に参加していると、このコンピレーションアルバムも一枚ずつ増えていきます。それらには、各年ごとに、当時の最先端のテクノが収められているわけです。

『知的生活の方法』(渡部昇一)には、次のような箇所があります。
たとえば私は『文藝春秋』とか『週刊新潮』とかを全部そろえて持っていたいと思うことがある。もちろん書斎には置けない。すぐに山のようになるから。またアメリカのプレイ・ボーイのような雑誌も創刊号以来そろえたいと思う。こういうのは大学図書館にも入っていないが、ある意味では、現代史を微視的に見る最もよい資料なのである。
雑誌のような、現場の最先端を示すものが、その歴史を微視的に見る良い資料であると指摘されています。強く感銘を受ける話です。

誰かによって通観、総括され、史として語られるより前の段階の情報を、大事だと思っているわけです。この感覚は、忘れずにいたいものです。

この文脈で、私は「WIRE コンピレーション」のアルバムを、『文藝春秋』や『週刊新潮』と同じようなものととらえているのです。


終わりに


今年の WIRE は15周年記念とのことでした。おめでとうございます。

そのためか、公演終了時のいつものメッセージは「15th Anniversary. Thank you!」に変わっていました。
(確か、10周年のときも似たような雰囲気だったと思います。)

いつものメッセージは、この場で言っておくことにします。
See you next year!

2013年9月9日月曜日

予知に向かって進む

Clip to Evernote
こちらの記事を読みました。

#ブロガーサミット 2013の内容に沿って、自分にとって「ブログ」とは何かを改めて考えてみた : 見て歩く者 by 鷹野凌

幾度か表明している通り、私はこちらのブログ「見て歩く者」さんの熱心な読者です。
(近頃では、中の人が様々な媒体に書いていらっしゃるようで、追いかけるのが大変になってきています。今のところ、それらの情報もブログに掲載してくださっているので、とても助かります。)

熱心であると同時に古くからの読者でもあるのですが、それでも、「見て歩く者」さんで、上に掲載した記事のようなローカルな話題が展開されることは珍しいように思いました。
皆無ではなかったかもしれません。ですが、ここまで詳細な記述を読んだ記憶はなかったのです。

率直な感想として、最大級に面白い記事でした。

グローバルな意味で、どれほど価値ある情報なのかは私にはわかりません。しかし、個別の私に対しては、大変に素晴らしい記事でした。

何といいますか、ブログって良いなと思いました。

話は変わります。

ずいぶんと前のことになります。
こちらの記事を読みました。

非破壊・非接触型スキャナ「ScanSnap SV600」の登場が出版業界周辺にどのような影響をもたらすかを考えてみた : 見て歩く者 by 鷹野凌

先日の、ScanSnap SV600 の発表を受けての記事となっています。

大きな話題にもなりましたので、ScanSnap SV600 について詳しい説明は不要かと思います。上の記事のタイトルからも察せられるように、破壊もせず、接触もせず、対象を物的な意味でスキャンできるものです。

記事には次のような一文がありました。
さて、こういう時代がまもなくやってくるという話は過去に何度も書いてきていますが、これによってどういう変化が起こるのかを改めて予想してみたいと思います。
「こういう時代」とはすなわち、書籍を破壊せずにスキャンできる時代です。もちろん、書籍を破壊してスキャンするような時代がこれまでにあったことを受けています。
記事中の言葉を借りれば、スキャンした本と、普通に読んだ本との見分けがつかないということです。

引かせていただいた一文を起点として、記事は「こういう時代」の変化をめぐって進んでいきます。
そちらも大変に興味深いお話であるものの、私がここで言及したいのは、同じ文の前半についてです。

「こういう時代がまもなくやってくるという話は過去に何度も書いてきています」とあります。

非常に驚くべきことに、それは確かです。
ある本がスキャンされたかどうかを識別できない状態が何をもたらすのか、といった文章を、私は読んだことがあるのです。
(同ブログだったか、他の媒体だったかは定かでありません。)

平たく言えば、未来を予知していました。
穏やかに言えば、先見の明がありました。

これは、知的生産ですとか、情報発信ですとか、そういった視点からすると大変なアドバンテージになります。何と比較してのアドバンテージかは私にもわからないものの、とにかくそうなのです。

それは、ひとえに、その話題について考えている期間が長いためです。費やした時間ではなく、気にしてきた期間です。
『思考の整理学』で言うところの「発酵」や「見つめるナベは煮えない」の原則は、基本的にいつも正しいと、私は思っています。ですので、未来を予知する人の知的生産は、そうでない人よりずっと強靱なのです。

いま、ブログ「見て歩く者」さんに触れながら、未来を予知する人の知的生産が強靱であると述べることができました。
今度は、未来を予知することについて書きます。

まず、ここまで書いてきたような、技術的な面で未来を予知することは間違いなく重要です。新しい技術が現れたら、その活用や法整備に知恵を絞る必要があります。強い知的生産が求められるわけです。

一例を、『「中卒」でもわかる科学入門』(小飼弾)との書籍から引かせていただきます。
技術の発展とエネルギーについて触れられています。
太陽電池などの進歩、普及によって、太陽エネルギーを安価で効率的に取り出せるようになれば、エネルギー問題は解決します。私はこの過渡期を、短ければ10年、長くても25年くらいだと見ています。
文脈からきちんとご紹介できず恐縮です。引用箇所だけで何かを判定するのが、あまり安全でないという意味です。
ここでは、太陽電池などの技術について、未来が予知されています。件のエネルギーなるものは、私の生活にはなくてはならないものです。将来、その用法が大きく変遷するのであれば、未来を予知して、知的生産を強靱にしておきたいと思います。

建前では、そう思います。

本心では、少なくとも技術の発展に関連する話題のときには、私はややわだかまりを感じます。同じ指向から、ムーアの法則もあまり好きになれません。嫌いではありませんが、わだかまりです。

技術の発展は、その対象に何かを捧げた人たちが、血をにじませて試行錯誤を繰り返した果てに起こるものだと、私は思っています。
私にはどうしても、それらのにじんだ血を、存在しないかのように扱うことができないのです。
その思想のもとでは、技術の発展とは、苦心を伴って少しずつ進んでいくものです。五年経ったらこうなっているでしょう、といった類のものではないのです。

だからこそ、ブログ「見て歩く者」さんや書籍『「中卒」でもわかる科学入門』をはじめ、未来を予知して、それに向かって進む知的生産を目にすると、すごいな、なるほどな、と強く感銘を受けます。

以前もどこかで書いたとおり、私は基本的に周囲から影響を受けようと思って生きています。そういった、自分の中からは出てこないような感銘は、とても嬉しいのです。


終わりに


私にとってブログ「見て歩く者」さんとは何かを改めて考えてみた、という話だったのかもしれません。
そうだとしても、言うまでもなく、ある一面を代表させただけの話です。