2015年1月18日日曜日

ポケットティッシュ工学趣味

Clip to Evernote
コミュニケーションというものは厄介です。科学が進歩しても、工学の技術が介入できる余地が少ないためです。

誰しも苦労するところだろうと想像します。

コミュニケーションに限らず、可能な限り楽をして生きていきたいと、私は思っています。頑張ることなくありたいものです。その方が疲れませんし、体調にもよいはずです。
進んで苦労したくはありませんし、無駄なことは避けたいのです。

回り道することなく、人生を最短距離で歩んでいきたいと望んでいます。

いきおい、まずは距離というものを問題なく定義する必要があります。人生の最短距離を決めるためです。

私の知る中で、距離をいちばん厳密に決められるのは数学の知識です。
ところが、数学でも、距離の定義は唯一ではありません。用途に応じて、いくつかの種類があります。数学をご存じでない方には意外なことでしょうか。

ちょっと思いつくところでは、ユークリッド距離、マハラノビス距離、マンハッタン距離、あたりがあります。
人生の最短距離といったときには、どの定義を採用するのがよいでしょうか。

もう少し根本の問題もあります。
いずれの定義を採用しても、距離を計算するためには、スタート点とゴール点の座標を定めなければなりません。
座標は、次元をいくつにとればよいのでしょうか。人生のスタート点などといったものは、x と y の二次元で済むものなのでしょうか。

以上のことはいずれも、人生を最短距離で進みたいと思ったときに、ふつうに考える事柄です。不思議なことは何もありません。考えなければ、検討を経ていない、いちかばちかの定義を採用することになります。
選択肢をこの二つに限定するなら、間違いなく、後者が苦労する方です。いちかばちかの定義に賭けるわけですので、ギャンブルの度合いが大きいためです。私が避けたいと書いた、苦労する人生です。

こうして考えること自体が、最短距離を歩んでいる見込みが高いわけです。

人生楽をしたいと思っていますので、ライフハックに興味があります。
私はほとんどの場合でライフハックのことを書いていますので、当ブログをお読みいただいている方は(ありがとうございます)ご存知かと思います。

ライフハックにもいくつかアプローチがあるかと思います。ひとつには、かけた労力に対して、得られるメリットが大きくなるようにする、というのがあるでしょう。間違いなく、楽して生きられているかと思います。

対称でないということです。asymmetry です。

ところで、ライフハックの傘下に、アプローチという言葉はおそらくありません。ライフハックとは、目的や背景といったものを考慮しなくても利益を享受できるような、過度に具体的な手続きであるためです。
目的を理解しなければならない、小手先の技術はだめだ、と考えてばかりいるのは愚かというものです。

小さいコストで大きなメリットを得られるものというと、外国への寄付があります。相対的に円が強くなるような国に、寄付をするのです。円で支払う人がかけたコストに対して、受け取る人はより大きな利益を手にすることができます。

また、こちらの記事を読みました。

R-style » 皿洗いに潜む非対称性

引用いたします。
追加のお皿を洗っている最中にメールの着信でもあろうものなら、「あぁ、いま忙しいのに」と、皿洗いを優先させる私がいるのです。
さっきまで、あれほど面倒に感じていた作業なのにもかかわらず。
始める前と取りかかっている最中とで、皿洗いを面倒に感じる度合いが変わっていると言われます。
取りかかる場面に着目していけば、なるほど日々を楽に生きられそうです。

他には、ポケットティッシュもそうです。ポケットティッシュは、いくつかのきっかけから入手することがあるかと思います。

それらは、入手した時点で、とにかく外出用のかばんに入れておくのがよいです。
ポケットティッシュは、保有している場所が自宅内か外出先かで、その価値が大きく変わります。外出先だと、価値が跳ね上がるわけです。想像を絶する変わりようです。
そもそも、自宅でポケットティッシュを管理するのが難しいことも問題です。購入するだけでなく、急にもらってしまうことがあるためです。

外出用のかばんに入れてしまうという小さなコストだけで、大きなメリットを得られます。

また、こちらの記事を読みました。

無料で聴き放題の音楽サービス「Lumit(ルミット)」でいまより多くの音楽と出会えるようになる | delaymania

とても良い記事です。引用いたします。
それが社会に出ると途端に音楽聴かなくなる人が増えますよね。
(中略)
それを歳を取ったとか仕事が忙しいっていう言葉で片付けたくないんですよ。
忙しいからと、新しい音楽を聴かない人がいるということです。
このあたりにも気になるところがあります。

趣味は楽しいもので、忙しい間は趣味にコストがかけられないというのは、より大変な生き方を選択しているように、私は感じます。

基本的な方針として、趣味は自分に負荷をかけるものにしておく方が、生きる上ではいろいろと便利です。
先の話題で言うと、忙しくても、食事や睡眠の時間を削ってまで新しい音楽を聴こうとすることです。文章を書くこともそうでしょう。何かを創作しようとすることは、どれも似ているかと思います。負荷をかけるものです。

日々を生きる上では、趣味だけに取り組んでいるわけにはいきません。趣味以外の活動があります。活動とは呼べないほどの些事もたくさんあります。

趣味だけをして日々を生きられるとすれば、それは趣味の定義を過剰に広くとっているために他なりません。まれに、こういった人がいるようです。工学をなさっている人なのでしょう。安全側に倒しすぎてしまい、意味を失っているわけです。

こうしたところを個別に確認していくのが、コミュニケーションということかと思います。

趣味だけをして日々を生きることはできないという立場を採ります。他に、厄介なことがあるわけです。

趣味が自分に負荷をかけるものだと、他のことは、相対的に存在感が小さくなります。
時間を作って音楽を聴いたり、苦労して文章を書いたりすることの前では、他の厄介なことが、大したことでなくなってくるわけです。

気が進みませんが、具体的に書きます。
寝る間を惜しんで、集中して音楽を聴くことは大変です。すると、半分だけ聴いたところで、疲れたので皿洗いでもしようか、となります。
皿洗いは、日常的にしなければならないことです。低い負荷で、気負いなくできるとよいようです。

趣味を負荷のかかるものにしておくと、日常を楽して生きるために便利なのです。

対照だということです。contrast です。

本エントリで私が書いてきた試行錯誤は、すべて日常を楽して生きることに含まれているわけです。


終わりに


すぐ上の、本文最後の一行は、少し話が飛んでしまっているかもしれません。
私の試行錯誤が、日常を楽して生きるという目的のための手段ではない、ことを書いています。