2016年5月5日木曜日

懐古の海鮮和食定食

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どうも、私は、原則に忠実なきらいがあります。素材の味を活かした単純さよりも、何だかわからない複雑さに惹かれます。
昨今の賢い人は、単純さの方を、シンプルな、スマートな、などと、もてはやしたりするのかもしれません。

こちらの記事を読みました。

シャープソーンのマリオ | gofujita notes

素晴らしい記事に出会いました。生きるために時間を過ごしている人がいることには、何とも言えない感動があります。
その小さな町にある小さなカフェでは、地元の農家の人たちだけじゃなく、生きることを求めて何かをしたいイタリアやドイツで育った人たちが、生きるために時間を過ごしているのだ。
生きるために時間を過ごすことにかけては、誰にも負けていないと、私は思っていました。実際のところは、誰もが同じくらい、生きるために時間を過ごしているのでしょう。
そして、宿への帰り道、丸っこいチンクエチェントの窓から片手こぶし出して叫びたくなるくらい、嬉しくなった。
楽しさというのは、自分の中から見出される、個人的なものです。私は、楽しさが、抽象的なもので、本当によかったと思っています。

夢庵という、ファミリーレストランをご存じでしょうか。一般的な知識を持ち合わせていませんが、おそらく、広く日本にあるお店だろうと思います。

私は、夢庵が好きです。近所の、容易にたどり着ける距離にお店がないため、頻繁に通うことはできません。好き、よりも、よい印象を持っている、というほうがよいのでしょう。
近所にお店がないことから、夢庵に向かうときには、車を借りることになります。電車では行きにくい場所です。夢庵での食事は、我が家の一大イベントなのです。

電車といえば、こちらの記事を読みました。

はやくなるのがはやい:Word Piece >>by Tak.:So-netブログ

素晴らしい記事です。
お母さんと電車に乗っていた、5~6歳くらいの少年の話です。
子「この電車、はやくなるのがはやいね」
母「はやくなるのがはやい?」
子「うん、はやくなるのがはやい」
少年は、自分が乗っている電車が、はやくなるのがはやい、ことに気づきました。運動する座標系の中に観測者がいるとき、なるほど、体感できるのは加速度です。速度ではありません。厳密さに適った表現を採用できる少年です。

記事の著者さんによる説明が、簡潔で、大変に素晴らしいものでした。
次の通りです。
そのときの車両は東急の5050系というやつなのだが、この車両は、たとえば同じ横浜駅を発着するJR線、あるいは相鉄線の車両と比較するとかなり加速性能が良い(逆に京急の車両と比較すると劣る)。
電車の加速性能が違うことに、少年は、自分で気づきました。自分の言葉で表現することもできました。素晴らしいことです。
それまで気づいていなかったことに、気づくようになる、ということは、ほとんど、生きることのすべてだろうと、私は思います。

夢庵の話でした。

駐車場でおなじみのタイムズが運営している、タイムズカーシェアというサービスがあります。大変に便利なサービスで、私も、会員のひとりです。大きな手間もなく、車を借りることができます。

近所のタイムズ駐車場にある車を、予約し、借りていく仕組みです。私の場合だと、ホンダのフィットと、日産のノートから、選ぶことができます。どちらも試してみたところ、私は、日産のノートの方が好みのようです。ただ、あの、信号で止まるたびにエンジンまで止まる機能には、いつも、驚かされます。

ある時のことです。夢庵で食事をしていたところ、近くの席に、二人連れのお客さんが着きました。老夫婦でした。おじいさんの方は、足が悪いようでしたが、仲の良さそうなお二人です。

もちろん、特に、注目していたわけではありません。お店が空いており、また、私はすでに注文を済ませ、食べ始めていたことから、自然に目に入ることとなりました。

当時、夢庵には、期間限定の、海鮮和食定食のようなメニューがありました。お店としても、力を入れて宣伝していたようです。確か、千円に満たないくらいの値段でした。
老夫婦は、その、海鮮和食定食のようなメニューを、二つ注文されました。

ややあって、お二人のところに料理が運ばれてきます。海鮮和食定食のようなメニューです。
まさに、運ばれてきた料理がテーブルに置かれたときのことです。お二人の反応を、今でもよく覚えています。

いわく、本当においしそう、ごちそうね、すごい、といったものでした。

筆舌に尽くしがたい感慨がありました。
何と言いますか、どんなものでも、おいしそうなら、おいしそうで、全然構わないのです。自分で気づいて、自分で表現します。生きることのすべてです。

ましてや、ファミリーレストランです。メニューは、たくさんの人と時間の試行錯誤を経ていることでしょう。ビジネスの仕組みとしては、たくさんのお客さんが同じものを食べてくれることで、成り立つものです。昨今の賢い人が、旧時代的だと評するものです。

私の懐古趣味は、無責任にも、旧時代的な複雑さが、消えてほしくないと感じています。
たくさんの人と時間が織り込んだ複雑さは、胸を打ちます。やはり、それはおいしいのです。

老夫婦の、おいしそう、という歓声から、私もさまざまなことに気づきました。はやくなるのがはやい、と気づいた少年に、私も、まだまだ負けていません。負けないくらい、生きることに時間を過ごします。
それまで気づいていなかったことに、気づくようになる、ということは、ほとんど、生きることのすべてです。

帰り道、日産のノートの窓から片手こぶし出して叫びたくなるくらい、嬉しくなりました。

楽しさというのは、自分の中から見出される、個人的なものです。私は、楽しさが、抽象的なもので、本当によかったと思っています。


終わりに


楽しさは抽象的なものである、とは、森博嗣さんの書籍『自分探しと楽しさについて』から学んだことです。
抽象的に、楽しさとは抽象的なものだろう、と感じてはいましたが、同書で、具体的に理解することとなりました。

良かったのでしょうか。