2025年11月30日日曜日

11月といえば自分の好きなブログを告白する月…ということです2025

部屋に戻ったらあの文章を読みたいな、と思えることの幸せといったらありません。荘重といってもよいです。ほんの少しだけでも、前向きに生きていくことだからです。なかなか、容易なことではないものです。

森博嗣さんの書籍『ω城の惨劇 SAIKAWA Sohei's Last Case』に、次のような一節がありました。

「終わりました」と声をかけられた。
目のピントを調節し、鏡を見た。
「おぉ……」思わず低い声が出た。「凄いじゃないですか」
自分の顔とは思えない。否、自分である。たしかに自分だが、これは自分史上最高の自分ではないだろうか。

何の話かと言いますと、11月といえば自分の好きなブログを告白する月なのです。
さっそく、始めます。



chroju.dev/blog
https://chroju.dev/blog

学ぶことを粘り強く続けて、何度も何度も新しいことがわかるようになるというのは、すごいことだと思います。



Chips with Everything – a movie diary since 2001
https://neweverythingchips.com/

往復書簡という形式によってもたらされる何かに、感激しました。私も、何かのことが大好きになりました。



ならずものになろう
https://www.s-locarno.com/

越境することに自覚的で、同時に、自然でありたいと思います。



ディレイマニア
https://delaymania.com/

私も餃子が好きです。餃子が食べたくなります。あと、私はパクチーも大好きです。



R-style
https://rashita.net/blog/

「今年読んだ本」の中で頭をガツンとやられた本、私にもあります。毎年、そんな本に出あいます。



重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
https://rmaruy.hatenablog.com/

本を読み、新しいことがわかるというのはすごいことだと思います。拡張しているのは知識であり、発想です。



🧠思考の足場
https://thst.choiyaki.com/

私も、万年筆で何か書きたいがために紙のノートを使っているようなところがあります。それと、紙のノートを使いたいがために万年筆を使っているようなところがあります。



鷹の爪団の吉田くんはなぜいつもおこったような顔をしているのか
http://parupisupipi.seesaa.net/

前に、10年のあいだ、毎日ブログを書き続けたことがあるのは、私もよく存じています。私にとっても楽しい10年でした。今も楽しいものです。



ねてもさめてもポメライフ
https://letme5.net/

私は、なぜポメラを使うのかというと、ポメラが好きだからです。ポメラを使いたいがためにポメラを使っているようなところがあります。



tadachi-net 出張所
https://tadachi.txt-nifty.com/blog/

私は、名刺サイズの情報カードと、ダイアログノートを併用しています。少し前に、ダイアログノートの手帳が発売になって、大変に嬉しく思っています。小さいサイズの紙に書くのが、私は好きです。



gofujita notes
https://gofujita.info/notestop.html

「部屋に戻ったらあの本読みたいなぁ」と思える本たちがいることの幸せといったらありません。本当です。



Tak.(Word Piece)|note
https://note.com/takwordpiece

文章エディタへの想像力を意識できていなかったこと、自覚できていなかったことを知りました。素晴らしい連載です。壮絶といってもよいです。「プランUP」の機能についての描写など、幾度読み返したことでしょう。


終わりに


結城浩さんの書籍『数学ガール/リーマン予想』に、次のような一節がありました。

「はい、そうです。あたしは最近『これを複素数まで拡張したらどうなるか』とよく考えるんです」
それは高校の範囲を超えている――と僕は言いかけたけど、そんなことはどうでもいい。僕自身、もうすぐ高校の範囲を超えようとしているじゃないか。高校を卒業するってそういうことだ。考えを大きく拡張できるときに制限してどうする。
関数を拡張することを自然に考えるテトラちゃん。
でも、彼女が拡張しているのは関数じゃない。彼女自身の発想なんだ。


自分史上最高の自分を自覚するくらい、すごいことです。荘厳といってもよいです。

2025年3月11日火曜日

優しい過去形

何も無理をせず、わだかまりもなく、感情の赴くままに時間を過ごすこと、それ自体が、心を蝕んでしまうようなことがあります。心を弱くしてしまうことがあります。すべての未来とすべての過去が折り重なったものが、現在です。

そんなとき、過去が、思い出が、私の心を強くしてくれるような気がします。過去ばかりくよくよと振り返っているところに、絶対の現在も、未来もあります。前向きに未来を見据えているようなところに、未来はありません。

松田聖子さんの「瞳はダイアモンド」には、次のようにあります。
ああ 揺れないで Memories
時の流れが 傷つけても
傷つかない心は
小さなダイアモンド
私はもっと強いはずです。優しいはずです。過去があるからです。

2024年11月30日土曜日

11月といえば自分の好きなブログを告白する月…ということです2024

文章を書くのは誰かのためではありませんし、ましてや、自分のためなどということはありません。本当の自己は私たちの行為の中に求められるものです。行為的自覚でなくてはならないのです。定義と手続きの連鎖は、世界を超えるからです。

書籍『本を書く』(アニー・ディラード 著, 柳沢 由実子 訳)に、次のようにありました。

パウル・クレーは、「絵の具箱にある絵の具に自分を合わせるのだ」と言った。彼によれば、絵の具箱にある絵の具に自分を合わせるのは、自然や自然の観察よりももっと重要だという。言い換えれば絵描きは、絵の具を世の中に合わせるのではない。さらに言ってみれば、世の中を彼に合わせようとはしない。自分を絵の具に合わせるのだ。彼自身は絵の具箱と、そこに入っている絵の具を携える召使である。クレーはこの理解を、まったく正しくも、「完全に革命的な新しい発見」と呼んでいる。

 * * *

有名な作家が一人の学生に次のような質問で引き止められた。「私は作家になれると思いますか」
「そうですねえ」と作家は答えた。「わからない……。きみは文章が好きかね」
学生が驚いているのが、作家にはありありとわかった。文章? ぼくは文章が好きかって? ぼくは二十歳です、文章が好きですって、どういうこと?
もし彼が文章が好きなら、私が知っている陽気な絵描きのように、彼ももちろん始めることができる。私がどのようにして絵描きになったのかと尋ねると、その絵描きは「絵の具の匂いが好きなんだ」と言った。

何の話かと言いますと、11月といえば自分の好きなブログを告白する月なのです。
さっそく、始めます。



やこ|note

私にも、嬉しいことが、思っていたよりもたくさんありました。よかったと思います。好きな人やものたちのおかげです。好きな文章と音楽のおかげです。



R-style

ライフハックは今でもずっとあります。私の近くに、遍くあります。ノートブックと本を、いつも持ち歩くようなところにあります。



tadachi-net 出張所

ものとしての魅力は、あるサイズ未満のものに感じると、私も思います。持ち歩く道具もそうですし、ライフハックもそうです。



iPhoneと本と数学となんやかんやと

試してみることに失敗がないのは、試してみることにいつも向き合っているからこそだと思います。文章の書けなさに向き合うようなことです。



Chips with Everything – a movie diary since 2001

私はいつからか読書が好きになり、本を読み、文章を目で追うことが好きだと気づきました。絵の具の匂いが好きなのと一緒です。



ねてもさめてもポメライフ

小さな、文章を書くための道具があります。小さな道具が私は好きです。



gofujita notes

文章を書くとき、速くタイプするのがいつも正義とは限りません。文章を書くことは、文章を書くことの中にあるからだと思います。私も文章が好きです。



ならずものになろう

文章を書くことは、文章を書くことの中にもあるし、文章を書くことの難しさの中にもあります。書けなさと向き合うところにあります。



ディレイマニア

誠実さがあるということです。



Notebookers | How many miles to Notebookers ?

私も、ノートブックと本を持ち歩きます。小さな、使い古したいくつかの道具が、ゆえあって私のまわりに集まっています。



サ|note

懐かしいものです。同じライブを、私も配信で見ました。
レモンが弾けるような日々でした。



Word Piece

個別の道具と手続きに、自分を合わせるようなことが、私は好きです。手続きが積み重なっていく中に、神秘があります。上位の階層を変えてしまうようなところがあります。
よいことだと思うので、スクリーンセーバーにしています。



牛尾 剛|note

ソフトウェアエンジニアリングについて、書くことと読むことがたくさんあります。嬉しいことです。


終わりに


書籍『数学ガールの秘密ノート/数を作ろう』(結城 浩)に、次のようにありました。

テトラ「そ、そうですが……これって、ただの計算ですよね。まったく虚数っぽくありません!」
ミルカ「そう、ただの計算だ。i が "虚数単位" というドラマティックな名前を持っているために、そこに神秘を求めてしまう。2乗して負になるなんて不思議だと言いたくなる。しかし、実数のペアとして複素数を考えるなら、虚数単位は (0, 1) 以外の何者でもない。ただ、

 (0, 1) × (1, 0) = (-1, 0)

というだけのこと。どこにも神秘や不思議はない。実数のペアを用意して、ただの計算、ただのルールがあるだけだ。しかしながら、それにもかかわらず複素数という豊かな世界が生み出されていく。そこにこそ数学の神秘と不思議があり――数学の魅力の一つがあるのだ」

定義と、手続きが積み重なっていくところに、神秘があります。魅力があります。ドラマティックな、夢見る心にあるのではありません。文章を書くこと、読むことはよいものです。定義と手続きが積み重なっていきます。私も、絵の具の匂いが好きなのです。

2024年3月11日月曜日

優しい四季

世界はまわるというけれど、四季はめぐるというけれど、めぐる四季と私とが、影響し、影響されるというダイナミクスの中に、四季も私もあります。絶え間なく影響しあっているから、時間がまっすぐに流れていくのです。流れる歳月に重みがあることの、要因です。

過ぎ去った時間に重みがあるのなら、私たちが、優しくなっていくことに他なりません。一年の時間の重みに耐えるほどに、私たちが優しくなっていることを願う日があります。一年に一度あります。何も私の中をめぐるものなどないからです。希望でしょう。

GARNET CROW の楽曲「籟・来・也」には、次のようにあります。
春には春の 生き方があり
夏には夏の 風が吹きます
秋には秋の 実りがあって
冬には冬の 厳しさがある
四季には四季の、優しさがあります。移り変わっていくものの中だけに、とどまっているものがあります。儚さに佇むものがあります。今日は、私たちの頼りなく小さな心で、優しさを願う日です。