2022年12月31日土曜日

six albums of the year (2022版)

2022年は、キングジムのポメラDM250が発売になりました。2018年のDM30以来のポメラです。何から何まで、非の打ちどころのない、素晴らしいポメラです。ポメラの新型が発表される時代をリアルタイムに生きることができて、私は本当に幸せに思います。リリースの発表を目にしただけで、背筋がぞくっとするような、一人の部屋で歓声を上げてしまうようなものは、そうそうありはしません。

PFUの HHKB Professional HYBRID Type-S を購入しました。日本語配列の、墨のキー刻印ありモデルです。普段、多くの時間は REALFORCE R2 の PFU Limited Edition を使っています。いろいろなアプリケーションの操作には、REALFORCEのキー配列の方が都合が良いことが多いためです。他方で、ただただ文章をタイプしたり、コマンドライン操作したりするのには、HHKBの打鍵感とキー配列がとても適しています。今では、ノートPCにキーボードを2つ同時につないで、常に併用しています。

Ankerのイヤホン Soundcore Space A40 を手に入れました。私にとっては初めての、アクティブノイズキャンセリングのモデルです。それから、初めて、完全ワイヤレスのモデルを外出中でも使うことにしました。Space A40 は、Anker Soundcore シリーズの上位機種 Liberty 4 よりも、見た目がしゅっとしていて私は好きです。

Space A40 の見た目もよく、ケースも格好良く、ノイズキャンセリングもよく、外出するのが楽しくなった一年でした。私には大変に珍しいことです。

それもあってか、今年はAnkerの熱心なファンになりました。充電することに興味が出てきて、関係する規格や仕様について、いろいろと勉強しました。Ankerの新技術、GaNPrimeを搭載した充電器 Anker 735 Charger を導入して、使い始めています。現代では、電子機器の充電に関するさまざまな説明を避けては通れないため、一度でも理解しておくとずいぶんと楽になります。便利なものです。勉強してみて気づきました。

DANNER の靴のファンになった一年でもありました。きっかけはよく覚えていません。DANNER SHANIKO を履き始めています。自分は靴に興味がないと思っていました。気に入る靴に出会っていなかった、というか、気に入る靴を探そうと思ったことがなかったかもしれません。SHANIKOのような靴を見たことがありませんでした。とても気に入っています。

気に入った靴も手に入って、外出するのが楽しくなった一年でした。新しいものを使い始めても、新しい発想があります。変わらない感情もあります。書籍『新装版 ナ・バ・テア None But Air』(森 博嗣)には、次のようにありました。
一時間くらいそこで過ごして、また戻っていく。戻っていくときには、新しい飛び方のパターンを頭の中で繰り返していた。今度、機会があったら試してみよう、と考える。そういうアイデアが、最終的にどうなるのか、僕はよくわからない。実際に戦っているときに、そんなことを思い出す暇はないからだ。けれど、あとあとになってよく思い出してみると、知らないうちに新しいパターンが採用されていたり、それに近いものが応用されていることが多かった。だから、ちゃんと取り入れているのだ。
何の話かといいますと、私は毎年、その年によかった音楽アルバムを六枚選ぶことにしているのです。
さっそく、始めます。

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『ashbalkum』 / Salamanda

知らないうちに新しい音楽を聴いています。素晴らしいことです。

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『折々』 / 開歌-かいか-

一枚のアルバムというのは、本当に唯一無二のものです。

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『Functional Designs』 / Deepchord

新しいアイデアがあったり、それに近いものが応用されています。

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『The Soft Cave』 / テンテンコ

ひとかたまりの倍音が、音像が、いま、ここにあります。それ自体に大きな意味のあることです。

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『cat & town』 / Nekomachi

この一歩一歩が、一枚のアルバムになります。

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『Hotel Insomnia』 / For Tracy Hyde

それで、一枚のアルバムというのは唯一無二のものになるのでしょう。山腹なのです。


終わりに


毎年、新しいアルバムを懸命に追いかけて、聴いています。リリースを目にしただけで歓声を上げてしまうようなタイトルもあれば、自分で調べて見つけ出して、何度も聴いてみてから少しずつ素晴らしさがわかってくるものもあります。どちらも素晴らしい体験です。

今年は新しい万年筆を買いませんでした。去年に引き続き、ラミーの CP1(mattblack)、Safari(vista)、Lx(ruthenium) の3本を併用して使っています。万年筆を使わなくなったわけではなくて、3本とも、毎日欠かさず、変わらずに使い続けています。Evernoteとか、名刺サイズの情報カードとか、ダイアログノートとか、変わらずに使い続けているものもたくさんあります。もとい、変わらずに使い続けているものの方が、おそらくたくさんあります。素晴らしい体験です。

変わらずに使い続けていても、新しい発想はいつもあるものです。だから、ちゃんと取り入れているのです。書籍『禅とオートバイ修理技術〈下〉』(ロバート・M. パーシグ 著, 五十嵐 美克 訳)には、次のようにありました。
登山をするときは、欲を出さず、できるだけ疲労を避けるのが鉄則だ。速度はその時どきの調子によって決める。調子が良ければ速く、悪ければペースを落とす。不安と疲労のバランスをうまくとらなければならない。そして先のことは考えない。この一歩一歩は、ただ単に目標に至る手段ではなく、それ自体に大きな意味を持った行為なのだ。この葉っぱは縁がギザギザしている。この岩はもろそうだ。雪渓に近づいているが、この場所からではそれが見えない。こんな具合に、いま、ここに注意を向けるべきだ。未来に何らかの目標を見据えて、ただそのためだけに生きるのは浅薄だ。生命を支えているのはこの山腹であって、頂ではないのだ。ここなくして人の成長はありえない。
生命を支えているのは山腹です。一歩一歩が、知らないうちに新しいことに応用されて、一年が経っていくものです。私はそれを日常と呼びましょう。

私は日常と非日常が好きです。日常と非日常は、互いを含んでいます。私の好きな記事をご紹介します。

日常を支えるという非凡な能力 | Notebookers.jp

私のエントリをお読みの方も、そうでない方も、私と関わりのあった方も、そうでない方も、私の日常と非日常を、それぞれ等しく形作ってくださっています。

一年間、私の大切な日常をありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

2022年12月30日金曜日

2022年の<びっくら本>

本を読むか、音楽を聴くかして日常を過ごしています。どちらも、苦もなくできるためです。本を読むことはよくても、漫画を読むのは苦手です。写真と文章が渾然一体となったページ構成の本を読むのも苦手です。苦手というか、読むことに多大な努力が必要になります。私は雑誌が好きでよく読むのですけれど、写真を飛ばして文字だけを読んでいるような感じです。活字の中でも、字体と文法を見ている気がします。

音楽を聴くことはよくても、動画や、映画を見ることが苦手です。見ることに多大な努力が必要になります。音楽のライブにはよく足を運ぶのですけれど、音だけを聴いているような感じがあります。メロディより和音を聴いていて、和音より調性を聴いていて、調性より拍子を聴いていて、それらすべてより倍音を聴いている気がします。

書籍『書くことについて』スティーヴン・キング 著, 田村 義進 訳)には、次のような一節がありました。
この詩に職業意識が備わっているのも好感を覚えた理由のひとつだった。詩を書く行為は(小説でもエッセイでも同じだが、)神話的な啓示の瞬間と同様、床掃除とも多くの共通点を持っているということを、それは示唆していた。『ア・レーズン・イン・ザ・サン』という戯曲のなかで、登場人物のひとりはこんなふうに叫ぶ。「空を飛びたい! 太陽にさわりたい!」それに対して、その妻はこんなふうに答える。
「そのまえにタマゴを食べなさい」
倉下忠憲さんのメールマガジン、「Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/12/19 第636号」を読みました。

メルマガ | R-style

遊びと人生を変えるもの /2022年の読書を振り返る|倉下忠憲|note

私も、今年に読んだ本から、印象に残ったものを挙げていきたいと思います。私もびっくら本と呼ばせていただきます。

本を読むのはよいものです。本には活字が書いてあるからです。

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『メタマジック・ゲーム ―科学と芸術のジグソーパズル』(ダグラス・R. ホフスタッター 著, 竹内 郁雄 訳, 片桐 恭弘 訳, 斉藤 康己 訳)

文法が厳密に折り重なるところに、思考が、生命の躍動があります。

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『禅とオートバイ修理技術〈上〉』『禅とオートバイ修理技術〈下〉』(ロバート・M. パーシグ 著, 五十嵐 美克 訳)

生命を支えているのは、いま、ここの山腹です。頂ではありません。

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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー 著, 大塚 久雄 訳)

個別のすべてに全体があるのです。

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『数学ガールの物理ノート / 波の重ね合わせ』(結城 浩)

学ぶことと、学び続けることがあります。

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『NOISE 上 ―組織はなぜ判断を誤るのか?』『NOISE 下 ―組織はなぜ判断を誤るのか?』(ダニエル・カーネマン 著, オリヴィエ・シボニー 著, キャス・R・サンスティーン 著, 村井 章子 訳)

個別のすべてに全体があるから、時間がかかります。

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『シティポップとは何か』(柴崎 祐二 編著, 岸野 雄一 著, モーリッツ・ソメ 著, 加藤 賢 著, 長谷川 陽平 著)

時間がかかるのはよいことです。

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『トーマの心臓 Lost heart for Thoma』(森 博嗣 著, 萩尾 望都 原著)

時間をかけて揺れ動きます。

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『意味の論理学 上』『意味の論理学 下』(ジル・ドゥルーズ 著, 小泉 義之 訳)

個別のすべてに全体があります。論理があるということです。

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『グレン・グールドは語る』(グレン・グールド 著, ジョナサン・コット 著, 宮澤 淳一 訳)

語り尽くせないところに論理があるのです。

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『愛書狂の本棚 異能と夢想が生んだ奇書・偽書・稀覯書』(エドワード・ブルック゠ヒッチング 著, 高作 自子 訳)

本がたくさんあるから、本棚です。


終わりに


文法が崩れた文章を、私はうまく読むことができません。調性や拍が崩れた音楽は、苦もなく聴くことができます。なんだか難しいものです。私の考えすぎで、読書と音楽とは、別に関係なかったような気もしてきました。考えすぎはよくありません。本でも読もうと思います。

2022年11月7日月曜日

11月といえば自分の好きなブログを告白する月…ということです2022

普段、私はSpotifyでほとんどの音楽を聴きます。Spotifyにはプレイリスト機能があるものの、私は基本的に使うことはなく、いつもアルバムの単位で聴きます。アルバムとプレイリストとは別の観点で、Spotifyに「[次に再生]に追加」という機能があります。アルバムでも、プレイリストでも、一曲の単位でも、「[次に再生]に追加」することができて、再生される曲の待ち行列の一番後ろに入れることができます。

アルバムの単位で音楽を聴いていると、例えば、60分のアルバムを5枚分「[次に再生]に追加」すれば、向こう5時間、再生される楽曲が決まっていることになります。私は、5枚から10枚くらいのアルバムを待ち行列に並べていることが多くあります。

待ち行列に5時間分のアルバムが並んでいても、何かの拍子に、別のこのアルバムを聴きたいと急に思うことがあります。再生しているアルバムから連想したり、音楽を聴きながら違う作業をしていて思い至ったり、何も関係なく思いついたりします。

いま、この瞬間に聴きたいと思ったアルバムを、いま再生することは可能です。私は、いますぐに再生するのではなくて、「[次に再生]に追加」することにしています。すると、いま聴きたいと思ったはずのアルバムを聴くのは、5時間後、10時間後の未来です。10時間、Spotifyを再生し続けるわけではもちろんありませんので、実際は2日後、3日後の未来になります。

いま聴きたい曲なのになんだか回りくどいような気もしますけれど、考えてみると、聴きたいと思った音楽を、すぐに聴くことができないのは、昔からずっと当たり前のことです。アルバムを一枚買うのは大変なことでした。動画サイトにPVがアップロードされているわけでもありませんし、音楽サイトで試聴できるわけでもありません。AMラジオの放送時間をチェックしておいて、それは大抵が深夜で、眠い目をこすってがんばって起きていて、やっと聴くことができました。

食費を削って、やっとの思いでアルバムを買ってきて、カセットテープやMDに必死でコピーしていました。レンタルCDショップでアルバムを見つけたときなどは、それはもう嬉しかったものです。レンタルCDショップには、限られたタイトルのアルバムしかないのです。レンタルから返却してしまうと、歌詞カードを見られなくなってしまうので、学校でもらったわら半紙のプリントの裏に、歌詞を手で書き写していました。歌詞を掲載しているサイトをインターネットで探すなど、当時は思いもよりませんでした。本当に、レンタルCDを返却してしまったら、一巻の終わりだったのです。

書籍『素数夜曲 ―女王陛下のLISP』(吉田 武)には、次のようにありました。
そこで、実数の世界では決して有り得なかった、二乗して -1 となる ”全く新しい数” を導入します。 これを i で表し、虚数単位と名附けます。即ち

 i^2 = -1

と定義するわけです。この定義は、これを受け入れた結果もたらされる発展の正当性、妥当性から評価されます。数学における定義は常にこうした側面を持ちます。
サブスクリプションで音楽を聴くことができるようになって、そんな苦労はなくなりました。このアルバムを聴きたいと思ったら、5時間後、もしくは3日後には忘れずに聴くことができます。よい時代になったものです。歴史の移り変わりの中に、定義があります。定義の評価があります。気まぐれに星を目指して、少しずつ意味をひも解いていくものです。

何の話かと言いますと、11月といえば自分の好きなブログを告白する月なのです。
さっそく、始めます。

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Arantium Maestum

定義の評価があります。

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iPhoneと本と数学となんやかんやと

定義から定理を導くことができます。流れがあって、発想があって、根気と注意深さがあると思います。
数学というのはよいものです。この世界にあるからです。通り過ぎるのではなく、立ち止まるところです。

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ねてもさめてもポメライフ

私もポメラが好きです。とても好きです。
2023年が楽しみです。

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Chips with Everything

ハガキや切手、小さいノートが買えるカフェがあったら、私もぜひ行ってみたいと思います。
私もコーヒーが好きです。

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R-style

ゆっくりとした道のりで組み立てられ、提示される文章は、直感的にはわかりません。少しずつ意味をひも解いていく必要があります。

素晴らしいことです。私はずっと、そのスピードで生きています。

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ならずものになろう

考査で指導しようとしてはいけないという姿勢に感銘を受けます。
思いがあります。

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涯てお茶

私も、なんでもないことをブログに書いてしまおうかなあ、と思ったりしました。
とてもよいことだと思います。

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Word Piece

いま聴きたくなったアルバムを、5時間後に聴くように待ち行列へ手作業で入れることは、アナログでは不可能な操作です。実にアナログ的な操作です。

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tadachi-net 出張所

今年は、ブログのデザインを一新なさったそうです。大きく変わって驚きました。
カロリーメイトをカバンに入れて持ち運んだことがありませんでした。

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ディレイマニア

「ベイカーベイカーパラドクス」には驚きました。
最高です。

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gofujita notes

私の好きな何かも、この世界の一部であり、すべてでもあります。通り過ぎるのではなく、立ち止まるところです。会話する技術を磨き続ける必要があります。

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くらしすたんと365+1

リンクはありません。ブログ更新、お疲れさまでした。
いつも、とても楽しく読ませていただいておりました。


終わりに


CDにはたいてい、初回限定版Aと初回限定版Bと通常版があって、PVを見ることができるのは初回限定版Aです。初回限定版Bには、他では聴くことのできない楽曲が追加で入っていたりします。通常版はジャケットが違ったりします。予算が限られている中、どの版を買うか、本当に悩んで決めていたものです。

そういえば、今はPVではなくてMVと呼びます。いつの間に変わったのでしょうか。
歴史の移り変わりなのかもしれません。青白い涙を、月並みの言葉で飾ります。

2022年10月24日月曜日

魔法の街の流れ星

いつの頃からか、路線バスに乗ることが好きになりました。路線バスは、車に酔ってしまってずっと苦手だったはずなのですが、不思議なものです。旅行先の、見ず知らずの街で路線バスに乗ったときには、魔法のような感動があったのを覚えています。My Little Lover の楽曲「日傘 ~japanese beauty~」は、次のような歌詞で始まります。
太陽が空で 全てを照らすから
失った 恋さえも 陽の光 浴びてしまうの

あたしに日傘は 似合わないけれども
心にさす 白い傘で あたしは守った
音楽のライブに行くことが、私は好きです。音楽そのものが好きなようなところがあって、知らないアーティストだったり、アーティストだけは知っていても、ほとんどの楽曲に覚えがないようなライブイベントに、多く足を運びます。クラブも好きで、クラブに行くような感じなのかもしれません。

もう少し言うと、ライブ会場で音が鳴っているということが好きです。ライブ会場で、良い音が鳴っていることに感動します。そう、とても高い割合で、ライブ会場では良い音を聴くことができるのです。

ライブ会場で良い音が鳴るというのは、総合的なもので、何か一つでも要素が欠けてはなりません。作曲と作詞と編曲があります。プレイヤの演奏があります。プレイヤの機材と、機材選びがあります。電源とケーブルがあります。PAエンジニアのエンジニアリングがあります。PAの機材と、機材選びがあります。建物と空間の設計があります。建物と空間の施工があります。

同じプレイヤでも、会場が変われば音は変わります。同じ会場でも、PAエンジニアが変われば音は変わります。結果として、一度として同じ音楽はありません。一度として同じ音楽がないために、私はライブに繰り返し足を運んでいるようなところがあります。いや、繰り返し足を運ぶということに意味はありません。その一回だけの音楽なのです。音楽は、まさに音楽であるということによって規定されるのです。誇らしいことでしょう。

書籍『記号と再帰 新装版: 記号論の形式・プログラムの必然』(田中 久美子)には、次のような一節がありました。
記号Aが、「AはCである」と使われたとすると、この使用自体が「Aは「AはCである」として使われる記号である」として、Aの内容を規定する。したがって、使用自体が再帰的である。
音楽は、音楽自体によって規定されます。複雑ではありますが、魔法ではありません。逆に、それこそが良い音を生んでいるといえます。

プレイヤやPAの機材は、デジタルのものであることが多くなってきました。PAミキサのアウトプットまで、場合によってはスピーカから音が出る直前まで、デジタルの信号がやりとりされます。人間はデジタルのままで音を聞くことはできないので、信号は、必ず、デジタルをアナログに変換する機構を通ります。デジタルとアナログはまったく別のものなので、抽象的な意味で、音が変化してしまうことなしにアナログ変換することはできません。原理的に言って、この瞬間に、音は人間には制御できないものになります。

デジタルを経由しないとしても、状況はあまり変わりません。アナログの信号がケーブルの中を通れば、ケーブルの物理的な作用によって、例えばケーブルの導線の素材によって、信号は変化します。人間には制御できないものになるのです。

書籍『キャサリンはどのように子供を産んだのか? How Did Catherine Cooper Have a Child?』(森 博嗣)には、次のようにあります。
そもそも、リアルとヴァーチャルは乖離しています。逆に、そのずれこそが両者の安定を生んでいるといえます。ずれがないと、アブソーバがなく、共振する恐れがあり、危険です。
人間には制御できない、計算し尽くすことのできないものになりますが、ライブ会場で良い音を鳴らすことができるのは、魔法ではありません。そこに、すべてはひとつとしてあるだけです。

私はこういう論理が好きです。

複雑さがあっても、それは、何とはなしに複雑なわけではありません。数学と哲学を折り重ねていくことができます。精密な複雑さです。人間は、複雑さに真摯に向き合うことができます。複雑さとは、諦めの言葉ではありません。ましてや申し開きの言葉でもありません。ポジティブな何かのサインです。

それでいて、人間が、複雑さをすべて制御することもできません。複雑だからです。複雑であっても、複雑さに真摯に向き合ったことで、できることがあります。おそらく、それは制御ではないのでしょう。私の好きな言葉だと、エンジニアリングです。

複雑さを制御できないのに、ライブ会場で良い音を鳴らすことができます。その一回だけの良い音です。その一回だけの良い音になるのは、いや、その一回だけになってしまうのは、状況が複雑だからなのでしょう。それでも、良い音を鳴らすことができます。魔法ではありません。工学があります。

こちらの記事を読みました。

降車ボタン:Word Piece >>by Tak.:SSブログ

誇らしい気持ちです。


終わりに


書籍『暗号解読(上)』(サイモン・シン 著, 青木 薫 訳)には、次のような一節がありました。
これらの数表は人間の手で計算されていたが、人間のやることにはどうしてもミスがある。そこでバベッジはこう叫んだ。「おお神よ、こういう計算を蒸気がやってくれていたら!」
こうしてバベッジは、ミスを犯すことなく高い精度で表を計算してくれる機械を作るという、凡人には思いもよらない計画に乗りだしたのであった。
だとすると、複雑さについての複雑さは、常に変わっていきます。太陽が空で、すべてを照らすからなのでしょう。私に日傘は似合いません。My Little Lover の楽曲「shooting star ~シューティングスター~」は、次のような歌詞で終わります。
そしてそこに全ては1つとしてあるだけなら
あなたもきっと 向かっているのでしょうか

ヨゾラに シューティングスター 街を覆ってく
全てがあるような 愛をうけたら

アナタに シューティングスター 届けてほしい
いつか出逢う日の サインのために
すべてがあります。誇らしい気持ちです。

2022年5月6日金曜日

ポメラを十四年使って、僕が考えたこと

―― 実際に作業で違う機材を使ってみようと、ということもないんですか?
(レイ・ハラカミ) みんなにいろいろ言われるんですよ、「いいかげんもっといい機材買いなよ」とかそういうことを(笑)。でも、今でいいんだから、別に新しくなくても、と思うんですよね。だから、興味が機材とは違う所に向いているんでしょうね、僕は。「どんな機材でも俺流を貫くぜ」とは思えない。やっぱり、機材のクセ、音色・音源のクセみたいなものはわかっているから。
―― そういう使い慣れたものの方が新しいものを生み出しやすいということですよね。
(レイ・ハラカミ) 結局、発見というものは、外にあるんじゃなくて内側にあるものだと思ってますから、そういう所にしか興味が持てないですね、今は。

雑誌『FADER』 Vol.11 (『ユリイカ 2021年6月号 特集=レイ・ハラカミ』(青土社)に掲載)


先日、キングジムのポメラDM200が販売終了になっていることに気づきました。製品の公式ページに、最近までなかったはずの、販売を終了した旨の文言が付加されています。

DM200|デジタルメモ「ポメラ」|キングジム

今年の3月末ごろに私が同ページを見たときには、確かになかったはずの文言です。4月の初めごろに見ると、いつの間にか書かれていました。状況証拠としては、2022年3月末までの販売だったということでしょうか。以後は、店頭にある在庫を買うことができるのみになるものと思います。

ポメラDM200は、私は2016年10月に購入しました。すなわち発売と同時です。自分のEvernoteをよく読んでみると、DM200が2016年10月21日の発売なのに対し、私は2016年10月15日に注文しています。記憶が定かでないものの、どうやら予約して購入したようです。

購入して以来、2018年6月に購入したポメラDM30と併用しつつ、ずっと使い続けています。ポメラを家の外に持ち出すことはあまりありませんし、2台を併用して使っていて負荷が小さいためか、不具合はまったくありません。何も問題なく、当たり前のように使い続けることができています。

2016年から数えると、もう5年半になります。5年半が経っても、当たり前のように使い続けることのできる道具です。そう、ポメラは確かに道具という感じがします。

ポメラDM200は、完成された、ひとつの閉じた道具です。美しく誇り高い、書くための道具です。ポメラDM200で書くことは、PCやスマートフォンで書くこととも、紙とペンで手書きすることとも、まったく別の体験です。ポメラにしかない癖のようなものがあり、ひいては、ポメラでしか書くことのできない文章があります。私などは、ポメラを使いたいために文章を書くようなところがあるので、ポメラでしか書くことのできない文章とは、ほとんどすべてです。

私がいて、道具があります。道具があって、私がいます。私は懸命に道具を使います。矮小な私より、ポメラの方が立派で、尊敬すべき存在です。どちらの文ももっともらしく聞こえますでしょうか。妙なことを言うようですけれど、とりもなおさず、道具を使うとはそういうことです。「どんな機材でも俺流を貫くぜ」とは、私には思えません。

現代の電子機器を、5年半もの間も買うことができていたことは、素晴らしいことです。電子機器でありつつも、ひとつの閉じた道具だからかもしれません。ひとつの閉じた道具だから、ポメラDM200を使って文章を書くことは、ずっと続けていくことができます。ずっと続けていくことができるという、手触りのようなものがあります。

2020年4月に、ポメラDM30が販売終了になったことを思い出します。これで、いま販売されているポメラがなくなってしまいました。未来に、新しいポメラが発売されることがあるのでしょうか。大変に楽しみではあります。でもそれは、ポメラDM200というひとつの閉じた道具、美しく誇り高い書くための道具とは、別のものになりましょう。寂しい限りです。


終わりに


道具に私が使われているところに、道具を使うということがあります。道具と私を行ったりきたりするところに、発見があるのでしょう。興味が道具とは違うところに向いているから、道具のことばかりに興味があるのかもしれません。


最後に、この奇妙な状況を次の簡単なパズルを考えることによって理解することもできる。どちらの文がより正確か?

 (1) 文Gは証明できないにもかかわらず正しい。
 (2) 文Gは証明できないので正しい。

文Gのもたらずパラドックスをよりよく調べようとして、この二つの文の間を行ったりきたりしているうちにどちらの文ももっともらしく聞こえるようになってくれば、あなたもゲーデル流の考えを本当に理解したことになる。

『メタマジック・ゲーム ―科学と芸術のジグソーパズル』(ダグラス・R. ホフスタッター 著, 竹内 郁雄 訳, 片桐 恭弘 訳, 斉藤 康己 訳)

2022年3月11日金曜日

優しい旅

どこへ向かう旅であっても、自分で決めてよいものです。過去も未来も、ここにある、それだけです。光が指し示すのは、私という存在と、私という現象です。

過去があるから今があって、未来があるから今があります。今を置き去りにはしません。あれから、人は優しくなりましたか。

開歌-かいか- の楽曲「燦然-さんぜん-」には、次のような一節があります。
燦然と ときはなった
光が かけめぐった
ここにいる理由なんか
そんなの自分次第だ
ここにいる それだけ
ここで鳴る それだけ
それだけ
燦然、燦然と
自分で決めているから、燦然と、世界に優しくあることができます。あれから少しだけ新しくなった世界を、優しくなった世界を、私たちは燦然と生きましょう。どこへ向かう旅であっても、燦然と歩みましょう。