2019年6月16日日曜日

「かーそる 2019年5月号」

書籍『書物と愛書家』(アンドリュー・ラング)に、次のような一節があります。
書物への情熱というのは感傷的な情熱だけあって、書物熱に浮かされたことのない人にはどうしても理解できないのだ。情感というのは説明が難しいことばである。
読書について語るのは難しいものです。私は、読書は受容に属するためだろうと、なんとなく思っています。目に見えるものを作り出す動作ではないのです。

個人の受容に関することでも、文章にして、理解できることがあります。「ひとは知っている言葉を用いた文章でないと理解できないはずなのに、実際には本を読むことによって知らないことを知っていく」という現象が、私も、不思議でなりません。

私は子供の頃、本に出てきた「ビフテキ」がわかりませんでした。周囲の文章を必死に読み、お肉のようなものだろうかと、悩んでいました。ハンバーグとは違うのでしょうか。

そもそも、子供の頃の私には、想像できるのがハンバーグくらいだったような気もします。

子供の頃に食べたハンバーグの味は、よく覚えています。特別な感じがしたものです。ハンバーグ・ステーキの味は素敵でした。香辛料がほどよくきいて、かりっとこげた表面の内側には肉汁がたっぷりとつまっていました。ソースの具合も理想的でした。

このいくつかのパラげらふ(パラグラフのこと)を考えると、なんとなく、読書についてわかってくるような感じがあります。

素晴らしい雑誌ができあがりました。『かーそる 2019年5月号』です。

「かーそる」第三号、Kindleストアでも配信開始 – R-style

各々が、斜に構えることなく真剣に、各々の読書に向き合ったのは、良いことだろうと思います。各々が真剣に向き合った結果、まるで異なった文章が書かれたのは、良いことだろうと思います。

むしろ、人と情報が呼びかけ合って、深まり合うのかもしれません。

難しすぎず、簡単すぎず。
身近すぎず、高尚すぎず。
読み物として面白く、
それでいて、ノウハウとして役立つものが含まれている、そんな雑誌に、本号も、なっていると思います。


終わりに


私は二つの原稿を書きました。私も、斜に構えることなく真剣に、読書のことを考えました。石川県かほく市にある、西田幾多郎記念哲学館にも足を運びました。

情感というのは説明が難しいことばです。

「かーそる」をお読みになった方も、各々の読書について、真剣に考えることがあるでしょうか。きっと、あなたは書き手であっても構わないのです。私がそうであるように。

2019年5月5日日曜日

まだラッキーなのにね

卒業文集に、将来の夢を書くことがあります。大人になる前には、不思議と、文章についての文章を書くような文化はないものです。文章を書くことについての文章が、書かれ、読まれます。

アイドルネッサンスの楽曲「前髪」に、次のような一節があります。
文集に載せた 将来の夢は
急いで作ったおもちゃみたい
将来の夢を書いてください、とアウトラインを押しつけられて、無理にでも文章を作り出します。経験された方もあるでしょう。空欄を埋めたような、空疎な言葉ばかりが浮かんできます。自分のことのはずなのに、書いてみると、納得いくような言葉になりません。

空欄を埋めたような言葉は、急いで作ったおもちゃのようです。

私たちはこの感覚を知っています。
書籍『アウトライン・プロセッシングLIFE』(Tak.)からです。
『7つの習慣』ではじめてミッション・ステートメントのことを知ったとき、さっそく書いてみようと思いました。しかし、いざペンを持ってみても、浮かんでくるのは『7つの習慣』に載っている見本を引き写したような、立派ではあるけれど空疎な言葉ばかりなのです。
立派ではあるけれど空疎な言葉ばかり、とは、真に迫ってくるものがあります。一度でも直面してみないと、なかなか想像がつきにくいことかもしれません。よく、あることではあります。

いえ、本当は、誰しもが直面しているはずです。私たちは卑怯にも、空欄を埋めたような空疎な言葉と真剣に向き合うことなく、大人になることができてしまいます。
似たようなことは「価値観」や「夢」を書こうとしても起こります。自分のことのはずなのに、書いてみると思うような力のある言葉が出てこないという点で、これらは共通しています。
文集に将来の夢を書いたときにも、同じことが起こりました。立派ではあるけれど空疎な言葉だと、自分の文章に対して感じてしまうのは、つらいものがあります。

急いで作ったおもちゃみたいな言葉です。空欄を埋めるように、立派ではあるけれど空疎な言葉ができあがります。自分のことなのに、見本を引き写したような存在です。

この、立派ではあるけれど空疎な言葉というのは、現実にはどのようなものなのでしょうか。見本を引き写したような文章だとしても、現実の私と、何も関係のないものとも思えません。

私にも、見本を引き写したような部分が、あってよいはずです。急いで作ったおもちゃみたいな部分が、あってよいはずです。

冒頭でご紹介したアイドルネッサンスの「前髪」は、実は次のように続きます。
文集に載せた 将来の夢は
急いで作ったおもちゃみたい
でも透き通ってる
衝撃的な指摘だと、私は思います。

空欄を埋めるように、苦しまぎれにひねり出した文章があります。立派ではあるけれど空疎な言葉です。
決して嘘ではないし、ゴミではないのです。空疎に感じられるかもしれませんが、透き通っているのです。立派な、大切にすべきことでしょう。

『アウトライン・プロセッシングLIFE』は、空欄を埋めるような形ではなく、文章を書くことを提案なさっています。押しつけられたアウトラインの配下に、とどまることのないような方法です。

押しつけられたアウトラインに諾々と従うのではなく、しかし、押しつけられたアウトラインのいっさいを投げ捨てるのではない、前向きな方法です。空欄を埋めたような空疎な言葉と、真剣に向き合った結果に違いありません。

真理だと思います。

押しつけられたアウトラインに完全に従うのは困難です。空欄を埋めるように、立派ではあるけれど空疎な言葉を連ねていくのは、人として苦しいからです。それで、大人になれるなら、つらいだけです。
押しつけられたアウトラインのいっさいを投げ捨てるのは、避けられたいことです。空欄を埋めたような、立派ではあるけれど空疎な言葉は、それでも透き通っているからです。

この二つを、相反する両方向へ繰り返すところに、現実があります。相反する両方向のダイナミクスが同時に起こるところに、生命体が生きているということがあります。現実が二つの極端の中間にあるとは、私は考えません。中間にあるのではなくて、相反する両方向のダイナミクスが、止め処なく躍動していると考えます。

文章を書くことについて、懸命に考えた人がいました。自らの、立派ではあるけれど空疎な言葉と、向き合った人です。文章を書くことについての文章が、書かれ、読まれます。

当初の成果物を、各人が真剣に取り扱うのが基本です。他方で、成果物についての文章、文章についての文章が多々やりとりされるところに、立ち上がってくる何かがあります。成果物についての文章、文章についての文章だけが抱く、何かです。

SUPERCAR の楽曲「Lucky」にあります。
「今はどうしても言葉につまるから――ヒキョウなだけでしょう? それで、大人になれるならつらいだけだよ……。」
どうしても言葉に詰まるのは、押しつけられたアウトラインの下にいるからかもしれません。でも、透き通っています。


終わりに


心に残っている言葉があります。倉下忠憲さんのメールマガジン「Weekly R-style Magazine 2012/06/18 第90号」からです。
一冊の本を通して読む行為は、「何か」の訓練になっています。この「何か」は一言や二言で言葉にできるものではありません。その一塊のものを、断片でスライスすれば、想像力、思考力、共感力、などと呼ぶことができるでしょう。
文章についての文章がやりとりされるところにも、何かがあります。私は文化と呼ぶことにしています。

2019年3月11日月曜日

優しい正解

過去が折り重なっていくから、現在という瞬間が移り変わっていきます。
未来が積み重なってあるから、現在という瞬間が移り変わっていきます。

いつまでも決まることのない、私たちがあります。

過去を思い返すことができるのも、未来を思い描くことができるのも、大切なことです。寂しく思っても、苦しく思っても、きっと、大切なことです。

何も諦めずにありたいと思います。
偉大な過去と未来に比べれば、現在は謙虚です。私たちの姿に違いありません。

アイドルネッサンスの楽曲「前髪」には、次のような一節があります。
ひとりでも平気と 突き放してみるけど
君がいつも通りで ほっとしちゃうんだ 正解はやさしい
正解は優しいものです。

2018年12月31日月曜日

six albums of the year (2018版)

ずっと同じものを好きなようで、毎年、新しいものを好きになります。毎年、新しいものを好きになるようで、同じものを好きだったのだと気づくことがあります。

iTunes で音楽を買うことをやめ、サブスクリプションサービスの Spotify にすっかり乗り換えた、2018年でした。9月末からです。

大正解の判断でした。音楽を選ぶのにかかっていた時間が大幅に短縮され、実際に音楽を聞くことにかけられるようになりました。しっかりと聞くことのできたアルバムの数が、以前の3倍くらいに増えています。一枚一枚のアルバムを疎かに聞いたという感覚もありません。

聞いたアルバムが増えたためでしょうか、ライブやクラブに足を運んだ回数も、飛躍的に増えました。総じて、音楽に相対する体験が、比較にならないほど向上した一年です。自分の聞く音楽がぜんぜん足りていないことに、自分が気づいていなかったようです。

何の話かといいますと、私は毎年、その年でよかった音楽アルバムを、三枚選ぶことにしています。今年は六枚選ぶことにしました。

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『Scene』 / Chihei Hatakeyama

アンビエントには、10年ほど前に興味を持ち、トライしてみましたが、当時は少しも良さがわかりませんでした。

私は絶対にアンビエントを聞くことはないと思いこんで生きてきました。なぜか今年、もう一度トライしてみようと思いました。驚きました。なんと素晴らしい音楽なのでしょうか。

Chihei Hatakeyama さんの音楽が良かったのかもしれません。2018年は、アンビエントと Chihei Hatakeyama さんの音楽に、独特の思い入れができた年です。

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『Qualm』 / Helena Hauff

ミニマルテクノはかなり聞いてきたつもりでした。アンビエントを知ってみると、ミニマルテクノをアンビエント的な解釈で聞くことができると、気づきます。

まだまだ、ミニマルテクノのことをわかっていなかったようです。

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『Death Valley』 / Astronautica

ミニマルテクノをアンビエント的な解釈で聞くことができると、その逆も可能になってきます。ミニマルテクノだとかアンビエントだとか、いったい何なのかと思ってきます。ずいぶん聞いてきたはずの音楽が、以前より、わからなくなりました。

それでも、私はこういった感じが好きです。

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『yume』 / Maison book girl

今年もずっと、Maison book girl の音楽を好きなままでいました。アンビエントを聞くようになったこととあわせて、拍子の感覚が薄れてきたようです。私が思うよりはるかに、音楽は自由なものでした。

Maison book girl のライブは、受け手に、自由に受け取ってよいと言ってくれているような気がします。いつも、涙なしでは見られません。

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『No.9』 / Hello, Wendy!

自由さでいえば、これほど自由な音楽もありません。シンセサイザーをずっと好きでいて、本当によかったと思います。

これも、涙なしでは見られないライブでした。

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『room』 / jizue

自分がジャズを好きなつもりはありませんでしたが、つい聞いてしまう感じのジャズがあります。私は jizue の音楽が好きです。

本でも、絵でも、音楽でも、こういった感じのものが、私は好きです。空間を埋める感覚と呼ぶのが近いようであり、しかし、言葉になりません。

あと、昔から、私は妙に4人組が好きです。

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それから、2018年には、はじめて本格的にヘッドホンを導入しました。Direct Sound の EX29 PLUS です。私はもう10年近くも、Etymotic Research のイヤホン一筋で使い続けてきました。なんとなく、EX29 PLUS が目に留まり、心変わりしてみました。

今のところ、大満足です。ヘッドホンがこれほどよいものだとは知りませんでした。Etymotic Research とは、ずいぶんと聞こえ方も異なります。音楽の聞き方はひとつではないのだと、改めて感じます。


終わりに


先に、ライブやクラブにたくさん足を運んだ一年だった、と書きました。要因には、毎週、一週間を振り返って情報と行動を整理する、という習慣ができたことがあります。いわゆる週次レビューです。
週次レビューをできるようになりたい、といった気持ちは皆無でした。突然、今年、欠かさずするようになっています。負担はありません。今後も続きそうです。

日々の生活の中で、このライブやアルバムが気になる、といったメモが残ります。週次レビューで読み返して、必要な行動につなげることができるようになりました。

週次レビューのことに関係するでしょうか、今年は Evernote の使い方が良くなりました。満足いく形で、Evernote を使っている感じがあります。うまく説明ができません。ともかく、手放せない、生活のための道具になっています。
Evernote を良く使えた要因は定かではありません。万年筆と名刺サイズの情報カード、ルーズシートを使うようになったことかもしれません。よい道具を使い始めたことは確かです。

ずっと同じものを好きなようで、毎年、新しいものを好きになります。毎年、新しいものを好きになるようで、同じものを好きだったのだと気づくことがあります。まるで、誰かの日常のようです。

雑誌『キーボード・マガジン 2019 WINTER』(リットー・ミュージック)に、音楽家の猪野秀史さんのインタビューがありました。エレクトリック・ピアノのローズ(Rhodes)ひとすじ、という感じの方です。
(インタビュアー) 猪野さんといえばローズというイメージがあって、今回のアルバムでもたくさんローズを使われています。これまでいろいろな形でローズを使い続けてきて、さまざまな試みもされてきたと思いますが、今でもローズの新たな発見はあるのでしょうか?
(猪野) ローズっていう楽器は、この世にあるたくさんの宝物の1つだと思うんですね。あらゆる瞬間を表現出来るような気がするんですよ。それだけキャパを持った楽器なんです。だから、仮にそれができないとすれば僕が悪いと思うんです。ローズは悪くない。そんなふうに思っていますね。
猪野秀史さんほどローズに向き合っている人は、なかなかいません。他の人には語れない言葉があります。

私は日常が好きです。私の好きな記事をご紹介します。

日常を支えるという非凡な能力 | Notebookers.jp

この文章をお読みの方も、そうでない方も、私と関わりのあった方も、なかった方も、私の好きな日常を、少しずつ支えてくださっている方々です。

ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。