何やら、海賊をテーマにした物語形式のライブであったようで、その時々でシチュエーションに合致した楽曲が歌われていました。
ライブ自体は、それはもう、言葉もないほど素晴らしいものでした。私などは涙もろい質ですので、感極まってしまうことが幾度かあったほどです。
さて、本エントリではそのような素晴らしいライブのさなかに考えたことについて書きます。
今回はそんな話です。
見上げるもの
世の中、様々な生き方がありましょう。
私が把握するのはただ一つの、いまだ進行中の生き方のみですので、あまり知った風なことは言えません。それを承知で言います。私が大変そうだと想像する生き方のひとつに、憧れの対象として立つというものがあります。スポットライトを浴びるものです。
次の記事に、私の心に留まり続ける言葉があります。
R-style » 9/3 ~ 9/8 今週のまとめ
引用いたします。
外から見ると明るいだけだが、スポットライトの下は暑い。スポットライトを浴びる人はいつも、そこの暑さに耐えているということです。
スポットライトにも、きっといくつか種類があることでしょう。人々の憧れを意味する光を浴び続けることは、その中でも特に大変なことと想像します。その暑さを私は少しも知ってはおらず、その想像に現実感はありません。思いを馳せるだけです。
しかし、そう思うのです。
他方で、いつからのことでしたか、親近感とか、等身大とか、フラットなとか、そういった単語がもてはやされる風潮を感じるようになってきています。例は何でも構いません。音楽だったり、本だったり、SNSだったりするでしょうか。少なくとも、何かしらの発信であることは間違いありません。
それらの単語が示す性質も、物事を発信する立場として採用し得ますし、そして容易ではないものだと理解しています。それもまた、スポットライトを浴びる生き方の一つです。
ただ、そこには含まれる憧れの度合いが少ないように思います。もっとも、スポットライトと憧れがまったくの等価ではないことは、先にも触れたとおりです。必ずしも憧れであることはないわけです。
翻って、ここからは私の話です。
私はあまり、親近感とか、等身大とか、フラットなとか、そういった単語を求めていません。
それより、見上げるといつもそこで輝いて目指す先を示してくれるような、遠い存在を欲します。手が届いてしまったり、同じ目線に降りてきたりということが、あまり起きてほしくないのです。
足下の一歩は自分で悩んで何とか踏み出していきますので、遠い行き先を照らす、拠り所となる何かがあってほしいのです。
それを、人は憧れと呼ぶのでしょう。私も呼ぶことにします。
このスポットライトの下は、作り物でも、虚飾でも、私は構いません。ただ、憧れであってほしいのです。
ただそれは同時に、ある種の人たちにスポットライトの下の暑さを強いることになります。とても、心が痛みます。
そういった人たちが見上げたところにはどのような光が輝いていて、何が目指す先を示してくれているのでしょうか。私にはにわかに考えが及ばない部分です。
無理なこととわかっていても、何か力になれたらと思わずにはいられません。できることとすれば、その人たちがスポットライトの下の暑さに耐えきれなくなったときに、私はそれをそっと受け入れることかもしれません。
心が痛むものの、たくさんの人々の、少なくとも私の憧れとして、日々を生きていくための光になってくださっていることは事実です。
それは、スポットライトの光というより、海を行く海賊たちが方角を見失わずにいられるような瞬きです。
本エントリの冒頭で、件のライブではシチュエーションに応じた楽曲が歌われていたことを書きました。その一つに「Puzzle」という楽曲がありました。
それには、次のような歌詞があります。
Polar star 見失わなければ私にとっての Polar star が、いつまでもそこにありますように、願っています。
終わりに
やはり本エントリの冒頭に、幾度か感極まってしまったとのことを書きました。
その内の一度は、ここまで述べてきたようなことをずっと考えていたら、「Puzzle」が歌われたときのことです。