もし対抗馬を挙げるとするなら、「青は藍より出でて藍より青し」で間違いないでしょう。私の中では、この二つが非常に強いです。
もちろん、「色即是空、空即是色」などが言いにくいのは明らかではあるものの、私の感覚では、なんとなくそれは対象外になっていたりします。
ところで、ことわざで思い出しましたが、「花いちもんめ」という遊びがあります。
はないちもんめ - Wikipedia
おそらく、多くの方がご存じのものと思います。
すごく大雑把に言うと、二つのチームの間を人が動いていき、どちらかのチームの人がいなくなると終了になる遊びです。上記のリンク先によると、地域によってかなりバリエーションがあるようですが、基本的なルールには差はないはずだとして、話を進めます。
私は幼い頃、この「花いちもんめ」の遊びが苦手でしかたありませんでした。小学校の低学年、あるいは小学校に入学する以前のことだったでしょうか。休み時間に「花いちもんめ」を始める流れになると、とても憂鬱だったことを思い出します。いえ、当時は「憂鬱」などという字は書けませんでしたので、「とても憂鬱だった」は嘘になります。だいたいそのような感情、くらいにしておきます。
私が「花いちもんめ」を苦手に感じていた理由は明らかです。
この遊びは、両チームの人がいろいろと入れ替わることで進行していき、最後の一人がいなくなった時点で終了となります。直感的に、誰もいなくなった方のチームが負けになるわけです。
ですが、「誰もいなくなったチームが負け」なのですから、「負けて、残念だ」と思う人は結局誰もいなくなります。勝ち負けを決めたはずなのに、負けた人がいないのです。
とはいえ、負ける人がいないだけでしたら、そういうものだと思えばさほど気になりません。
問題なのは、後ほど負ける側のチームにしばらくいて、終盤に、勝つ方のチームに移動してきた人の気持ちです。
極端に言えば、負けチームの最後の一人になって、自分がじゃんけんで負けたためにゲームが終了となった人のことです。
最後の一人であろうと、初めからずっと負け側のチームにいようと、さらにはその負け側チームにどれほど思い入れがあろうと、その彼(彼女)は最終的には勝ちチームのメンバとしてゲーム終了を迎えるわけです。
つまり、彼(彼女)は勝者であり、喜ぶべき立場になります。
私が苦手だったのは、この部分です。
私は、負けたのだから素直に悔しがりたいと感じていました。心情としてはどう考えても「負け」なのに、「勝った」ような顔をして周囲の人と喜びを分かち合わなくてはいけないのです。
要するに、負け側のチームにいた人はどこかで一度は所属を変えていますので、自分がどちらのチームにいるのかはっきりしなくなってくるのです。
これがもし、例えば「ずっとチームを移動しなかったら勝ち」などといった、もう少し「チームへの所属感」があるようなルールになっていたら、私の苦手意識もなかったはずです。
(この例だと別の問題が発生しそうですが、あくまで例です。)
この例のような構図なら、いくつかの場所で見かけることがあります。
「経済の奇跡」の頃の西ドイツがトルコなどから労働者を呼んでいた様子などが、ちょうどこれに重なるでしょうか。
しかし、「花いちもんめ」はそれよりさらに複雑になるのです。
勝った方のチームにずっといたように見えても、実はゲーム序盤で移動していたのかもしれません。二度、三度と移動していることも考えられるでしょう。
私には今のところ、この状況を見いだせそうな他の場所が思いつきません。
無理矢理やろうとすれば、例えば、本当は負けているのに、勝ったような顔をして喜ばなくてはいけないというところから、自分の気持ちにそぐわなくても周囲に合わせなければいけないこともあると、ここで学ぶのかもしれません。
これはあまり楽しくない解釈です。
前向きに考えるなら、例えば、どこに属するかはさほど重要なことではないこと、属する場所は変わっても構わないことが学べるでしょうか。
こちらは(「前向き」の定義にもよりますが)、どちらかと言えば前向きな見方と呼べなくもありません。
ただもちろん、「花いちもんめ」から無理に何かを読みとる必要はまったくありません。多くの方にとっては、別に放っておけば良いことです。
ですが、私の場合は幼い頃にそれで苦労をしていますので、せめてそこから何かを学んだことにでもしないと、納得がいかないわけです。
今のところはこれといった解釈が思いつきませんが、何とかこじつけてでも、学べたことを見つけてみます。
ことわざで言うと、「鰯の頭も信心から」です。
私の好きなことわざの一つです。
終わりに
そして、大変言いやすいことわざです。