このような用途で、「一定の」との言葉が使われているのを目にすることが度々あります。一定の評価を受ける、などです。
私としては、ある程度の、相応の、それなりの、といった感覚で読み書きしており、かなり広い意味の言葉ととらえています。
大まかな方針としては、程度がとても大きいわけではなく、また、とても小さいわけでもない、との状況を示そうとしているものです。決して、考えることに対しての興味や、与えられる評価が変化しないことを表してはいません。
よく、プロスポーツ選手への言及で、毎年コンスタントに結果を残す、などと言われることがあります。この「コンスタント」も、「一定の」との日本語と似た機能を有しているように感じます。
成績が不変であるわけでもなく、同時に、程度がとても大きくも小さくもないわけです。
そう考えていくと、「一定の」と書かれた文章は、ずいぶんと解釈の余地があるようです。もともと、程度が大きくも小さくもなくて、相応で、それなりである事象です。それを表現しようとする言葉があることに、まずは驚くべきなのでしょうか。
いつだって、これといった特徴のないことを描写するのは難しいものです。昔の人にとっても、その難しさは変わらないものだったということかもしれません。
これらのことを踏まえて、冒頭の一文は次のように改めることにします。
私はいつの頃からか、考えることについて興味があります。
先日、『経済学的思考のセンス』との書籍を読みました。
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| 『経済学的思考のセンス』(大竹文雄) |
同書は、経済学の世界に足を踏み入れている人たちが、様々な論点について、どのように指向して考えていくのかを説明しています。取り上げているのはいずれも具体的な事例で、素朴な意味でとても有益な本と言えます。
私は、経済学的思考のセンスと呼ばれるものについて、あまり造詣が深くありません。同書が示すいくつかの考え方は、私にとってとても新鮮なものでした。
表面的な理解を得るには、ここで何か適切なエピソードを引いて話を進めるのがよいのでしょう。
表面的な、というとネガティブな響きがしますが、決してそのような意図はありません。表面的なところから始めて徐々に理解を深めてゆくのも、あるいは、さしあたって表面的な理解に止めておくのも、悪くない試みです。
世の中にある物事を、何もかも深く理解しなければならないわけでもないはずです。それよりは、自分が何を理解しているか、理解していないかを把握している方がよいように思います。
同書では、プロ野球の球団運営についてのお話がありました。内容を追ってみます。
まず、始めにぶつかったのが、こちらの一文です。
球団の経営目的が利潤を最大にすることであり、ファンがどちらの球団が勝つかわからないというスポーツのスリルを楽しんでいるかぎり、球団間の戦力均衡は保たれる。便宜上、一文をまるごと引かせていただきました。
私が言及したいのは、はじめの「球団の経営目的が利潤を最大にすることであり、」の部分です。
球団も、完全に正しい意味での経済主体であり、その活動はすべて利潤を最大化するためのものです。改めて記述してみれば、しごく当たり前のことのようでしょう。
しかし私は、この一文に感銘を受けました。「ああそうか、利潤を最大化しようとしているんだ」と思ったのです。
とても抽象的な感覚として、考え方が身についていないというのは、こういうことかと察しました。
利潤を最大にしようとする、との基本的な前提を、私は基本的なものとして持ち出すことができないのです。そして、外的な要因によって、初めてそれが基本的な前提であったことを知らされるのです。
新しい考え方を身につけるためには、すなわち、基本的な前提を自然と持ち出すことができるようになるためには、該当する、数多くの個別の事例に触れるのがよいでしょう。今回の例で言えば、何かの主体が利潤を最大化しようとして活動しているエピソードを、幾度も目の当たりにすることです。
少なくとも、私はそういった方針を好みます。
話を戻します。上で、球団は必ず利潤を最大化するように動くことを述べました。
いま、私たちは、球団の利潤が最大になるのが、各チームの実力が拮抗し、ファンが実力伯仲の試合を楽しめるときのことだと仮定した文脈にいます。
そこで、次のような指摘があります。
弱い球団への補助制度は、球団の利潤最大化のインセンティブを阻害することになり、かえって戦力均衡への到達スピードを遅くしてしまうのである。経済主体である球団は、利潤を最大化する方向にインセンティブがあり、それとまったく同じ意味で、複数の球団の戦力は自然と均衡し、効率的になるように推移していくわけです。
ポイントになるのは、インセンティブと効率的、あたりでしょうか。これらの単語と私との距離が縮まって、親しみが持てるようになってくると、とりもなおさず、同書が一冊かけて示している「経済学的思考のセンス」なるものに近づけるように思います。
考え方というのは、様々な世界に多様にあって、追いかけるのは長い旅になりそうです。
すべて追いかけるのは苦労しそうですが、面白そうですので、いろいろと見てみたいものです。
これらのことも踏まえて、冒頭の一文は次のように改めることにします。
いつの頃からか、考えることについて大変に興味があります。
終わりに
今後も読み返したい本が、またひとつ増えました。
