こう書いてみると、元々ブログとは日記を書く場所なのかもしれないと思ったり、そうすると「日記」とはそもそも何のことだろうと思ったりしますが、そういった議論には立ち入りません。
あと、たった今、一行目の文章を「ブログ上で日記めいた」から「ブログで日記めいた」に修正したのですが、これはどちらが正しいのでしょう。
つまりは、「ブログ上」の「上」とは何のことで、上があるなら「下」は何を指すのか、との疑問です。
いま、日記なのだから、できるだけ思ったままに近いことを書こうと考えていたのですが、上記のようにどんどんどうでもいい方向に発散してきました。
私にはあまり向かないのかもしれません。
ここでまた、「向く、向かない」とはどういうことなのか、との疑問がわいてきましたが、私には向かないので、考えないことにします。
今回は、そんな話です。
日記1
数日前、劇団四季の「オペラ座の怪人」を見に行ってきました。
新橋駅から歩いて行ける、「電通四季劇場 [海]」にてです。
私はミュージカルといったものについて何かを語るような知識を持ち合わせてはいないのですが、とにかく感動しました。
どれほど感動したかと言えば、カーテン・コール(と呼ぶのかすらよくわかりません)のときに号泣するくらいです。
複数の意味で、ぜひまた行きたいものです。
日記2
「感動」という単語が、とても良い言葉だと思います。
こういった状況に「動く」との動詞を使う心意気が素晴らしいです。
日記3
ダイスキンの赤と白を買ってきました。
本ブログの以前のエントリで、ダイスキンの黒を購入したことをご紹介しており、話としてはそれに続くものになるわけです。
なんとなく、ゴムバンドが違うような気もするのですが、ひょっとするとダイスキンのにせものかもしれません。
日記4
次にエントリとしたい話があります。
何となくの方針は決まっていますが、細かい部分がまだもやもやとしている段階です。
こういった場合、書いてみるとうまくいくことが多々ありますので、この場で実際にやってみようと思います。
エントリタイトルは未定ですので、後で考えることとします。
本ブログで何度も紹介している記事に、以下のものがあります。
R-style » ひねくれ者のアプローチ
私にとっては、とても重要な記事です。
今回は、こちらを踏まえた話です。
ひねくれ者でない
記事中では、ひねくれ者がとることのできる方針について、抽象的な形で述べられています。
私は別に自分のことをひねくれ者だとは思っていませんので、非常に参考にはなるものの、記事で触れられている状況に直接当てはまるわけではありません。
とはいえ、その記事を読んで良いと感じたということは、私がひねくれ者であると示しているのかもしれません。
私は自分をひねくれ者でないと思っているとはいえ、記事のことを何かしらの形で自分に活かしていくことはできます。
例えば、私は自分が大雑把で、何かを最後まで完璧に行うのが得意ではないと思っています。
ここから、上で紹介した記事の考え方に基づいて、「大雑把な人間のアプローチ」を考えてみたいのです。
だからこそ、の部分
記事では、単にひねくれ者ががんばっていくことだけでなく、ひねくれ者だからこそたどり着ける部分にまで言及していました。
これと同様に、本エントリでも「最後まできちんとできない人間だからこそ、良いところがある」ことについてまで触れることができると良いと思っています。
アプローチ
このあたりはまだあまりまとまっていませんが、イメージとしては、大雑把な人が部屋掃除をすることについてを想定しています。
メリット
ここで、大雑把な人が部屋掃除をしたときの、そんな人独自のメリットについてを語ろうと思います。
終わりに
今回ご紹介した記事は、今後もまた出させていただくかもしれません。
とても感銘を受けています。
終わりに
ブログで日記を書こうとするのも、また難しいものでした。