具体的には、
- お金の使い方
- 時間の使い方
- 仕事の進め方
そして、ここから「教育でこれらを扱うべきだ」や「本を読むべきだ」など、様々な方向に話が発展していったりします。
本エントリで取り上げたいのは、上記の他に、その対象としてよく挙げられるあることについてです。
今回は、そんな話です。
知的生産のこと
『知的生産の技術』に、それに関わる文章がありました。
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| 『知的生産の技術』(梅棹忠夫) |
引用いたします。
情報の生産、処理、伝達について、基礎的な訓練を、小学校・中学校のころから、みっちりとしこんでおくべきである。すなわち、本エントリで取り上げたいのは、「情報の扱い方」です。
おそらく、「情報の扱い方を学校で教えられないため……」といった主張を目にしたことがある方も多いでしょう。
この『知的生産の技術』の初版が著されたのは、1969年のことのようです。上記の主張は現在に到っても目にしますので、ずいぶんと長いことこの問題が続いていることになります。
生きる上で
そして、この「情報の扱い方」は、やはり生きる上で必要な知識、技術です。それをどこで学ぶ機会もないまま、それが必要な状況に投げ込まれてしまうのです。
さて、私はここ数ヶ月ほど、周囲の複数の人から同種の相談を受けています。その深刻さの度合いはその人によって様々ですが、大雑把に相談の内容を表せば、このようになります。
「メモの取り方に悩んでいるので、教えてほしい。」
この「メモの取り方」は、上記の「情報の扱い方」に含まれることでしょう。「メモの取り方」など、なるほどどこかで教えられた記憶はありません。にも関わらず、突然その技術が必要になってしまうことがあるわけです。
ちなみに、本エントリでは「だから、学校でメモの取り方について学ぶ機会が必要である」などと言うつもりはありません。それはまた別の問題で、また別のいろいろな難しい問題を含んでいます。
ただ、それについて困っている人がいるのは、事実なのです。
悩まないために
私は幸いにも 「メモの取り方」 について悩むことはなく、むしろ相談を聞くことのできる立場であったために、特に問題と感じることはありませんでした。ですが、それまでそのようなことを考えたことのなかった人が、突然その技術を求められてしまう苦労は想像できます。
どうやら、私に考え方の変化があったようです。
本ブログでのエントリを中心として、私はこれまで、「人生をモレスキンに入れる」だとか、「ロディアとマスキングテープで情報に向きを付ける」だとか、そういったことを考えてきました。
ところが、今まさに「メモの取り方」について悩んでいる人に、「いいか、モレスキンは人生そのものなんだ」などと語っても、役に立ちません。
実際、相談を受けた際にこのことを言いそうになり、はっとしました。自分は困っている人に対して無力だったのです。
そこで、もっと「今困っている人に役に立つ、メモの取り方」について、考察を進めていきたいと思うのです。
いろいろ語弊があるのを承知で言えば、「初心者向けのメモの取り方」です。
もちろん、こういった方向は、往々にして表面的なテクニックや小技めいてきてしまうので、それには注意が必要です。
ちなみに
話は逸れますが、「表面的なテクニックや小技めいてくる」のがなぜいけないのかについては、考えておきたいところです。
私も、これといった回答を持っているつもりはありません。その表面的なテクニックでうまくいくのであれば、それはそれで構わないとも思います。
ただ、私が回答として一つ思いつくのが、表面的なテクニックだけでやっていると途中でつまらなくなってきてしまうことです。つまらなくなってしまえば、せっかく効果のあるテクニックでも実践しなくなってきてしまいます。
これは私のオリジナルではなく多くの人が述べていることですので、特にここで詳しく説明したりはしませんが、やはり「何のためにやっているか」「どういう枠組みの中でやっているか」は知っておく方が良いはずです。
悩んでいること
実際に「メモの取り方」の何に悩んでいるのか質問してみたところ、
- 重要なこととそうでないことが混ざっている
- メモを見返せない
- 見返したとき、自分のメモが何を言っているかわからない
終わりに
本エントリ自体は、役に立つものではありませんでした。
「役に立ちたい!」と言っているエントリが、役に立たないわけです。
興味深いです。
