風雨を避けるために「家」があるように、陽光を遮るために「日陰」があるように、世界の表面がたわみ、「襞」のようなもの、「内側」がなければならない。
『レヴィナスと愛の現象学』(内田 樹)
こちらの記事を読みました。
タスクリストと並列にメモをとる gofujita notes
タスクリストと並列にメモをとることの利点は何か、として、次のように書かれています。
こうすることで、タスクリストが本来の機能を保ったままルーズな機能も持たせることができるのではないか。タスクリストに、タスクのようなメモを書くことで、タスクリストの様相を拡張することができます。ふと思いついたことを、メモとしてタスクリストに書いてしまおうということです。大変にうまい方法だと思います。
ところで、次のような一節がありました。
それらが同じ階層に並ぶことで、タスクリストの機能は残されたまま、何となく大切と感じられたことのリストがタスクリストに仲間入りしたり、逆のことも起こる。直接には言及されておらず、ブラックボックスのようになっていますが、ここには、何かのメモが、タスクに変換される瞬間があります。仲間入りする、といわれるところで、何かが起こっているはずです。ふと書き付けられたメモが、タスクに変わっていく瞬間です。
倉下忠憲さんのメールマガジン「Weekly R-style Magazine 20190610 第452号」に、「課題を寝かせる」と題された文章がありました。次のような箇所があります。
思いついた「気になったこと」が、まだ明確な輪郭線や実行の確定性を持たない場合は、いったんそれを書き留めるだけ書き留めておいて、処理に関しては保留にしておく。
その結果で下される決断ならば、思いついた直後の決断よりも、より適切さが期待できるでしょう。
つまり、間です。
着想と実行の間。やはりブラックボックスのようになってしまっていますが、書き留めた着想が、実行に変換される瞬間があるようです。書き留めて保留にしたときより後で、決断するときより前の、ある瞬間です。
勝手には変換されないはずです。ここには、ささやかでも確かに人間の技術があります。名前のない技術でしょうか。私はそうは思いません。
思いついたメモを、時間をかけてタスクに変換します。思いついたタスクを、時間をかけてよりよいタスクに変換します。
情報を扱う技術のことでしょう。
思いついたメモを、人が実行できる、タスクに変換するための技術があります。あるいは、思いついたメモを、人が読んで理解できる、大きな文章に変換するための技術があります。
ただ思いついただけ、書き留めただけのメモから、次の一行を書くための技術です。頭をはたらかせて、何か新しいことがらを、人にわかる形で提出するための技術です。
私たちはこの技術を知っています。
着想があった時点では、未来がどうなるかわからないものです。自分が行動できるタスクという形にして提出するのかもしれません。他人が読んで理解できる、大きな文章という形にして提出するのかもしれません。
ゆえあって、私はこの技術を大切にしています。
ただ思いついただけの、書き留めたばかりの何かというのは、自分が考えついたものだと信じられないからです。着想を寝かせて、人にわかる形に変換していく技術を経てはじめて、確かに自分が考えついたことだと、信じられるようになります。一塊の情報として、切実な身体性を宿します。
私は、人間らしさと呼ぼうと思います。
自分を信じられずに人生を歩んでいくのは辛いものです。人はおそらく、無意識に不安を覚えることでしょう。精神を蝕まれるのではないでしょうか。
私が、知的生産の技術とか、タスク管理の技術を大切にする理由でした。情報を、時間をかけて、人にわかる形に変換していく技術をもって、精神が蝕まれていくことに抗っていられるのです。
自己言及が生み出した奇蹟だからこそです。
つまるところ、自己を知覚し、自己を発明して、蜃気楼に囚われているわれわれは、自己言及が生み出したささやかな奇蹟だ。
『わたしは不思議の環』(ダグラス・ホフスタッター)
終わりに
陽光を遮るために日陰があることと似ています。