2021年8月28日土曜日

「かーそる 2021年7月号」

書籍『開かれた社会とその敵 第二部 予言の大潮』(カール・ライムント・ポパー 著, 内田 詔夫 訳, 小河原 誠 訳)に、次のような一節があります。
それはまた、われわれが理性に過度の期待を抱くべきではないこと、ならびに、論証が学習の唯一の手段――鮮明に見てとる手段ではなく、以前よりは鮮明に見てとる手段――であるにせよ、論証が問題を最終的に解決することはほとんどないということ、これらの点の自覚である。
メモを書くことは日常に遍くありますし、日常を生きることなしにメモを書くことはできません。メモを書くことについての規範性のようなものは、限りなく薄くあることができます。一方で、思想の厳しさ、真剣さは、失いたくないものです。

日常のあらゆる場面で、メモを書くことに前向きでいることができます。フォークロアと呼んでもよいのかもしれません。気軽な、簡素なものになったわけでは決してなく、思想としては厳しく真剣なままで、しかしリアルな生活(ライフ)と人生(ライフ)です。

メモを書くことには、フォークロアには、日常に向ける視線の厳しさと、穏やかさがあります。

素晴らしい雑誌ができあがりました。『かーそる 2021年7月号』です。

かーそる第四号、発売されました – R-style

メモを書くことを鮮明に見てとるのは難しいものです。日常に遍くあるためでしょう。それでも、厳しく、穏やかに、各々が文章を書きました。素晴らしいことだと思います。

難しすぎず、簡単すぎず。
身近すぎず、高尚すぎず。
読み物として面白く、
それでいて、ノウハウとして役立つものが含まれている、そんな雑誌に、本号も、なっていると思います。


終わりに


私は二つの原稿を書きました。

「音と茸と孤独な絵画」
「あのメモは不可能なんだ」

おとと/きのこと/こどくな/かいが は四拍子です。
あの めも は / ふか のう なんだ は三拍子が二小節なのですが、最後の「だ」が次の小節に少しかかってしまっています。進行しないことについて進行している音楽があるのです。