PCキーボードには流浪の旅が長らく続いていました。ついに完結かもしれません。PCキーボードがよいと、ずいぶんと日常が変わるものです。日々が楽しくなります。
ダイヤテック社のリストレスト FILCO Genuine Wood Wrist Rest のSサイズを導入しました。PCキーボードの前に置いて、手首から手のひらを乗せるものです。木製の素材です。沈み込む素材のリストレストを、何年か前に少しだけ使って、自分には合わないとやめてしまった経験があります。手首が沈み込んでしまって、指先だけで無理してキー打鍵してしまう感じがあったのです。
なんとなく思い立って、沈み込まない、木製の素材のリストレストを導入したところ、私にはぴったりでした。固い素材では手が痛いと想像していました。まったくありません。REALFORCE R2 PFU Limited Edition と併せて、PCキーボードまわりの環境が劇的によくなった一年でした。
書籍『モモ』(ミヒャエル・エンデ 著, 大島 かおり 訳)には、次のようにあります。
けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。ダイソンの掃除機を手に入れました。掃除機が違うくらいで何が変わるものかと思っていました。私が浅はかだったようです。よく、気が向いたときにさっと掃除機をかける、という話を聞いて、この世界にそんな感情なんて存在しないだろうとずっと思っていました。掃除機をかけるというのはとても大変な作業のはずです。気が向いたときなんかではできません。
ダイソンの掃除機が来て、変わりました。なんということでしょうか。掃除機をかけることだけでなく、先端のヘッドの付け替えのしやすさとか、ゴミの捨てやすさとか、すごいところばかりです。
ラミーの万年筆 Lx を購入しました。今はメインで3本の万年筆を使っています。ラミーのCP1(mattblack)、Safari(vista)、Lx(ruthenium)です。気づけばラミーばかりになっていました。ヘビー・デューティな、しゅっとしている道具が私は好きで、するとどうしてもラミーが多くなります。ラミーの万年筆には、道具という感じが強くあります。
audio technica のイヤホン ATH-SQ1TW を購入しました。Web会議に使うためです。私にとっては初めての完全ワイヤレス・モデルです。シンプルで無理のない様相と意匠です。ケースも使いやすく、充電もしやすく、Web会議も大変に楽になりました。持っていなかった頃のことが思い出せないようです。
何の話かといいますと、私は毎年、その年によかった音楽アルバムを六枚選ぶことにしているのです。
さっそく、始めます。
*
『Bishintai』 / UNKNOWN ME
美しい心と体と、生命の音楽です。
*
『Lucid Dreaming』 / Maika Loubté
明晰に、霞がかっている視界があります。夢見るように目覚めていることができます。今年、私が発見することのできた発想かもしれません。神秘のとばりを開くためのものでしょうか。
*
『See-Voice』 / パソコン音楽クラブ
センチメンタリズムと言われるかもしれませんが、センチメンタルな音楽があります。間違いなくセンチメンタリズムでしょう。音楽にセンチメンタリズムがあるというのは、ものすごいことです。
*
『之 / OF』 / LI YILEI
非日常があります。非日常が混然一体となったアートがあります。
*
『Wonderland』 / lyrical school
アートが混然一体となった日常があります。
*
『Dissent』 / Moritz Von Oswald Trio
Moritz Von Oswald Trio の新作がリリースされる日が来るとは、予想していませんでした。長く生きていると素晴らしいことが起こるものです。
終わりに
2021年に新しく買ったものばかり書いてはみたものの、以前からずっと使い続けているものもたくさんあります。長く使い続けている、大切なものです。トラベラーズノートがあり、ダイアログノートがあり、名刺サイズの情報カードがあります。つくし文具店のつくしペンケースがあります。ヘッドホンは audio technica の ATH-AD500X と、AKGのY500です。ポメラのDM30とDM200もあります。
長く使っている道具の方が、本当は、描写したいことが多くあります。縁あって、私の身のまわりにとどまっている道具たちです。使用という共通の目的のためにです。
鈴木大拙の『禅と日本文化』に、次のようにありました。
旅行が容易で快適に過ぎれば、その精神的な意味は失われる。これはセンチメンタリズムといわれるかも知れぬが、旅によって生ずるある孤絶感は人生の意味を反省させる。人生は畢竟、一つの未知から他の未知への旅であるからだ。われわれに与えられた六十年、七十年、八十年という期間は、できれば神秘のとばりを開くためのものである。この期間は短いが、これをあまりに滑らかに走っていくことはこの「永遠的孤絶(エターナル・アローンネス)」の意味をわれわれから奪うことになる。Maison book girl のことを私は忘れません。一つの未知から他の未知への旅だったと思います。人の命は心を住み家としているのです。
時間とは、生きるということそのものです。どちらも、日常と非日常からできています。私は日常と非日常が好きです。非日常というのは、日常の中にあるのかもしれません。私の好きな記事をご紹介します。
日常を支えるという非凡な能力 | Notebookers.jp
私のエントリをお読みの方も、そうでない方も、今年私と関わりのあった方も、そうでない方も、私の日常を、それぞれ等しく支えてくださっています。日常とは、私の目が届かないところまですべて含んでいます。全体性のようなものです。
一年間、大切な私の日常をありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。