2013年10月27日日曜日

すきなもの、しのびこむ

Clip to Evernote
近くのものには簡単に手が届きますが、遠くのものだとなかなかに大変です。どちらにしても、懸命に手をのばすものです。

茅原実里さんの楽曲「Prism in the name of hope」に、次のような歌詞があります。
もう次のページめくる嬉しさを
風に渡さずに
次のページ、とあります。本についての話でしょうか。
私も読書が好きですので、ページをめくる嬉しさを想像するのはたやすいことです。それを風に任せてしまうのは、実にもったいないことであるという気持ちもあります。

本が好きであれば、風に介入させずとも、問題なく読書を進めていくことができます。さしあたって、困ることはないわけです。

本が好きでないと、そうはいきません。
ページをめくることに嬉しさはないはずですので、今度は、風の力を借りることになるでしょう。

嬉しさを風に渡さないようにしよう、とのアドバイスがどこかにあったなら、それは本を好きな人へ向けたものです。本を好きでない人には当てはまりません。もともと嬉しさなどないはずだからです。

アドバイスをくれた人が、そして、自分が、その対象を好きかどうかということは、ことほどさように重要であります。同じ話題を扱っているようでいて、まるで会話が成り立たないことがあり得てしまうのです。

仕事について、などは典型になるでしょう。

会話する双方に関して、対象を好きかどうか、陽に判明しているのが理想です。ただ、他者の考えを明らかにするのは手間がかかります。ここは、自分のことだけでも考えておきたいものです。

そういった意味で、「仕事は楽しいかね?」との問いかけは有益ですし、「試してみることに失敗はない」のは正しいのです。

試してみれば、自分が好きかどうか、何かしらの回答が得られます。なにせ、選択肢はそれほどないのです。好きか、好きでないか、どちらでもないか、といったところでしょう。

小説『捩れ屋敷の利鈍』(森博嗣)に、次のようなやりとりがありました。
「ねえ、どうして、月は地球の周りを回っているの?」
「どうしてっていうのか、うーん、もし回っていなかったら、地球に落ちてきちゃうんだよ」
なるほどと思いました。
月が採りうる挙動は、ほとんど、落ちてくるか、回るかのいずれかしか考えられません。
(一応、彼方へ飛んでいくことの考慮もできます。)

どうして月が地球の周りを回っているか、が設問でした。対する、落ちてきていないからだという回答は、厳密に正しいのです。

また、『無限と有限のあいだ』(芳沢光雄)との書籍には、円の面積を求める公式 πr^2 が厳密に正しいことの証明が示されています。
詳細は私も追いきれていない部分があり、省略します。ですが、その方針だけで、十分に言及する価値があります。

背理法です。
半径 r の円の面積が πr^2 でないとすると、次のいずれかが成り立ちます。

① 円の面積 > πr^2
② 円の面積 < πr^2

そこで、①、②のいずれも成り立たないことを導き、矛盾を言うのです。

円の面積は、πr^2 より大きいか、小さいか、等しいかのいずれかしかありません。月は、地球に落ちてくるか、回っているかしかありません。

ある対象を好きかどうか調べてみれば、好きか、嫌いか、どちらでもないかくらいのものです。安全のためには、どちらでもないことの範囲を、十分に広くとっておく必要があるでしょうか。

ここに、大きな注意があります。
いままで、助言をやりとりするなど、人と関わるときのことを話題にしていました。対象を好きかどうかを容易に判別したいのは、そういった状況のもとに限ります。

とりもなおさず、それが明らかでないと、やりとりがまるで成り立たなくなる可能性があるためです。対話を無事に進めるために、必要に迫られておこなうのです。平たく言えば、他者の意見を聞くときには、自分の立場をよく把握しておくべきである、という話かもしれません。

おまけに、この話では、考えたい対象が先に掲げられています。あたかも、円の面積が πr^2 であるか否かだけの証明のようです。

ふつう、自分の好きなものを知りたいというとき、対象は明らかでないことでしょう。それは大変に素晴らしいことです。
解決には、その人の一生と同じくらいの時間がかかるかもしれません。同時に、そうするだけの価値のある問題です。

いつだって、目の前の明らかなものを見るのは難しくありません。
他方で、ほんとうに存在するかどうかもわからないものを追いかけるのは、大変です。

『脳のなかの天使』(V・S・ラマチャンドラン)に、次のような一節がありました。
バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。
ほんとうに存在するかどうかわからないものを追いかけるほうが、人間らしいと言えそうです。
しかし、私が本エントリで述べたのは、バナナに手をのばすこと、星に手をのばすこと、いずれも大切だということです。

そして、どちらであれ、手をのばすときは一生懸命でありたいのです。


終わりに


「どちらも大事である」や「一生懸命にやる」といったことは、私がどうしても好んでしまう考え方です。心奪われているのかもしれません。「魔女っ子メグちゃん」(前川陽子)でしょうか。

引用させていただいて、終わりにします。
魔女っ子メグは 魔女っ子メグは
あなたの心に しのびこむ しのびこむ