2014年2月16日日曜日

はやり割りすたり

Clip to Evernote
少し前に、デジタル・ディバイドなる言葉がはやりました。デジタルなものを扱える人とそうでない人との間に、格差ができることのようです。デジタル、格差、といったあたりがいまひとつ私には把握できず、よくわからないものという印象でした。

気づけば、それを口にする人はいなくなりました。私としてはひと安心です。現状、特に困ることはありません。放っておくつもりです。

デジタル・ディバイドの言葉がはやって、ひとつ、良かったと思っていることがあります。
同じ時期のことです。情報は、デジタルなものがすべてなんとかしてくれるから、人が苦労して暗記しなくてもよいとする言説がありました。困ったときには調べればよいというわけです。私も、そうなのかもしれないと思ったこともありました。

近ごろは、それを唱える人もいなくなりました。

良かったこととは、その言説は誤りだったと、私たちが気づけたことです。そういう認識にいたったことです。
人類の発展にとって、有益なできごとだったと思います。

人類は、ひとときの気の迷いを振り切って、良さそうな方針を取り戻しました。少し、暗記することについて考えてみたくなります。

暗記することが指すものを、はっきりさせておく必要があるでしょうか。
長期記憶の一種には違いないと思います。

メールマガジン「Weekly R-style Magazine 20130204号」は、長期記憶に属する四つを紹介していました。
エピソード記憶、意味記憶、手続き記憶、プライミングです。

私が指すところの暗記することが、どこかに含まれてくるはずです。
ただ、前提を細分しておいて話を進めることを、私はあまり好みません。前提が違うためにスタート地点にも立てないような状況を、できれば、作り出したくないのです。

日々を生きる上での、私の方針のひとつでもあります。
暗記することが示す範囲を広くとりながら、進んでいきます。

暗記すると、物事をなすのが早くなります。間違いありません。非常に原始的な意味で、暗記する方が良いのです。

避けられたいのは記憶違いです。
暗記する対象を、記憶違いのフィードバックがすぐに得られ、かつ、それの被害の少ないものにしておくと、危険がありません。フィードバックが早いと、暗記が容易になることも期待できます。

フィードバックの重要さについては、すでに新たな論を待ちません。
ですが、関連する興味深い話題を目にしましたので、書いておきます。書籍『数覚とは何か?』(スタニスラス・ドゥアンヌ)からです。

社会科学の実験について、次のような状況をご想像ください。
被験者が、目にした集団の人数を見積もるように言われました。いつも正しく答えられるとか、多く見積もってしまうとか、結果はいろいろとあるでしょう。それによって、何かの結論を出そうとしているわけです。

同書は、次のように述べます。
ある集団の人数が一〇〇人か、二〇〇人か、五〇〇人かといったことについて、私たちは実際のところ、正確なフィードバックをこれまでに何回くらい得ていることだろうか?
あまり、なさそうなフィードバックです。

人が、なすことにおいて、上手でないことがあります。単にフィードバックを得たことがないためかもしれないのです。
しかし、ある実験室の実験によると、「ここには二〇〇個の黒点があります」といったふうに、たった一回でも正しい数の情報を教えられさえすれば、一〇から四〇〇の黒点の推定は十分に改善することがわかっている。
記憶が誤っていることのフィードバックがすぐに得られるのなら、暗記することもずいぶんと容易になるはずです。

少し上で、暗記すると、物事をなすのが早くなると書きました。早いというのは、何のことでしょうか。難しいところです。
私は、生活がうまく回るようになるとか、仕事ができるようになるとかと、似たものだと考えています。

いずれも、口にするのは容易い言葉たちです。

マニュアルやチェックリストのようなものには、陽に記されず、行間に現れてしまう項目がいつもあります。先の言葉たちは、それらの項目を、経験などによって自然にこなせることと同じ意味です。
仕事ができるようになるとは、チェックリストの行間で迷わなくなることです。

一生懸命に暗記することも、チェックリストを用いることも、工夫して何かを進めようとするための選択肢です。

チェックリストに比べると、暗記はやや不格好でしょうか。自然に覚えることではなく、がんばって暗記することです。考えたこともない方が、多くあるかもしれません。それでいて、確かに工夫です。

暗記することは、応用することにも良い影響があるような気がします。

ただ、ここには個人的な問題があり、話を進められません。応用するという言葉を、私がよく理解できないのです。
私は、できるだけ意味を狭くとって、知的生産とほとんど同じものだと考えることにしています。安全のためです。

今のところ、それほど生活に困ることはありません。放っておいています。出会ったら、無視しているのです。
デジタル・ディバイドのように、廃れ、口にする人がいずれいなくなると、助かります。

どうも、言葉にならない違和感を持ったまま、私は生活しているようです。良いような、悪いような気がします。
割り切れないところでも、切り捨てず、まるごと保存しているようなのです。
こちらは、アナログ・ディバイドとでも名付けておきます。


終わりに


フィードバックという言葉も、ずいぶんと広い意味で使うもののようです。