2014年12月24日水曜日

ありがたがられたが

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経済学や統計学で、何かの研究結果や理論に対して、直感に反する、という評価がされているのをよく見ます。文脈によって、肯定、否定とあるようです。いずれにせよ、直感に反するかどうかを重要視しているようです。

基本的に、直感に反する事柄の方が、無批判にありがたがられてしまう傾向があるかと思います。

ところで、基本的という言葉を、私はよく使っているような気がします。
日常生活として基本的に問題ない、などです。ややもすると、トリッキーな用法でしょうか。

何といいますか、土台や基礎のようなものは意図していません。様々に複雑な要素をすべて織り込んで、結果として観測できる部分のことを、示そうとしています。

複雑さを頭の片隅に保留しながら、観測できたシンプルな側面を評価しようとしているわけです。

ドラッカーに学ぶブログ・マネジメント』(倉下忠憲)という書籍を読みました。

次のような一節があります。
それは、さほど完璧とは言えない市場メカニズムの、唯一信頼できる要素です。
経済市場においての、自然淘汰を評して述べられています。
いま、自然淘汰とは長期的な動学のことです。市場メカニズムを評価することは、遠い将来にわたる挙動を、直近に判断することです。

物事の長期的な振る舞いを、どれほどリアルに想像できるかということです。非常に独特の心構えで把握されることでしょう。
あまりに独特であるがゆえ、個人の性質が、市場メカニズムをどの程度信じているか、との問いで判明するのではないかとすら思ってしまいます。

書籍『ケインズかハイエクか』(ニコラス ワプショット)を読んだときにも、感じたことです。
同書では二人の経済学者、ケインズとハイエクの考え方が、対照的なものであるとして描かれています。

ケインズは、経済に強い力が干渉し、調整することを考えました。
ハイエクは、経済を調整するためには複雑な情報を扱う必要があり、市場メカニズム以外の主体には不可能であると考えました。

ハイエクの方が、市場メカニズムというものを信じていたことになります。

歴史的に見ると、いずれの主張とも、正解だったタイミング、誤りだったタイミングがあるようです。同書では、きちんとこのあたりも検証されています。実例を調べる限り、なるほどどちらが正しいとも言えません。
本エントリを続けるために、ここは確実に押さえておきたい前提です。極端にケインズ的、あるいはハイエク的な主張は、経済の実例を検証したところ、どちらとも言えないのです。
それから、ケインズも、ハイエクも、ケインズ的、ハイエク的な考え方にとりつかれていたわけではないはずです。シンプルに見える言葉がどれほどの思慮を抱えているのか、シンプルには判定できません。私の、言葉の綾のようなものです。

あくまで先の前提を押さえた上で、経済学の話題を離れてみるとどうでしょう。個人の性質を推し量るような、日常的な思想のことです。個人の思想ですので、さしあたってはどんなものでも構いません。

性格でしょうか、私などは、ハイエク的な考え方のほうに好感を持ちます。
観測できる世界には、複雑な物事がすでに織り込まれていること、複雑な物事は互いに作用しあい、長期的には自然に問題のない形になること、などを想像します。

何か問題があったときに、強い力で対策を当てて解決しようと試みるよりは、穏やかです。対策をしないわけですので、どちらかというと、直感に反する考えでしょう。
直感的な考え方は、字義通り、受け入れることが容易です。すると、直感的でない考え方を好んでおく方が、手持ちの選択肢を増やすことになりますので、何かと便利ではあります。

長期的というと、x → ∞ のときの f(x) の振る舞いのことに思いが至ります。
このあたりで、選択肢が二つしかないことの不備に気づくわけです。

やはりといいますか、考え方がケインズ的か、ハイエク的か、二種類のみだと、想定しきれない事態が起こってしまいます。

率直なところで、私が好むはずのハイエク的な考え方を見ます。
複雑なことが価格に織り込まれ、互いに作用しあった結果、市場メカニズムによってどんどん事態が悪くなっていく可能性が、当然あるはずです。x → ∞ で f(x) が発散するわけです。

発散する可能性もあるはずなのに、市場メカニズムによって長期的には問題ないはず、収束するはず、と思うことは、危険から目を逸らすことです。私は、ハイエク的な考えを好むと言いながら、思考を停止させていたのかもしれません。

ましてや、f(x) の振る舞いには、漸近する、振動する、超平衡する、カオティックになる、などもあります。
直感に反するからと、過度にありがたがるのも問題だということでしょう。

こうして、ケインズも、ハイエクも、もちろん私も、正しいのかどうかわからなくなりました。
いずれにしても、それらの複雑な物事を頭の片隅に保留しておくことができれば、日常生活として基本的に問題ないように感じます。


終わりに


本文中で、物事の長期的な振る舞いを想像することは、非常に独特な心構えによると書きました。
私は、x → ∞ のときの f(x) の振る舞いを調べることで身につけたことです。