2016年12月25日日曜日

2016年の<びっくら本> #mybooks2016

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本を紹介するというのは、よいものです。特に、リストになっていて、読んだ人の言葉が添えられていると、よりよいです。

本はたくさんあるからです。

読みたい本を、すべて読むことはできません。買うこともできません。自明なようで、しかし、この事実に、本当に直面したことがあるかどうかは、ひとつのターニング・ポイントといえます。
家にある本、実際に読む本とは別に、読みたい本の管理をするというのは、小さなことではありません。

何の憂いもなく、読みたい本のリストを眺めるのは、気分のよいものです。リストに載る読みたい本は、多ければ多いほどよいでしょう。行動に直結するものでなくてよいためです。

こちらの記事を読みました。

R-style » 【企画】2016年の<びっくら本>を募集します #mybooks2016

本を紹介するというのは、よいものです。本はたくさんあるからです。
私も、十冊の本を選んでみます。



『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス)

生物にとって、利己的な遺伝子の支配が強いのだという気づきは、発想の素晴らしさによるものといえます。
一方で、よいものを、単なる発想の素晴らしさに還元したくない気持ちが、私には、いつもあります。

積み重ねた説明も、例示も、きっと大切です。説明や例示が、また、発想に影響を与えます。影響された発想は、また、新しい説明と例示を必要とします。

素晴らしい発想というのは、単なる素晴らしい発想として記述できるものはないはずです。私は信じています。

私が思う、『利己的な遺伝子』のことです。

人間の叡智が、想定よりも大したものではなかったと、明らかになるところには、いつも、感動があります。畏敬というべきでしょうか。



『数学ガール/ガロア理論』(結城 浩)

群、体、それからガロア理論には、新しい数学という雰囲気があり、どきどきします。独特の雰囲気です。
以前の時代にまるで存在しなかったもの、ではありません。似た考え方はありました。《二つの世界が接するときは、いつもうれしい》ものです。

彼の数学を真剣に追いかけていると、涙なしには読めない本です。



『知的トレーニングの技術』(花村 太郎)

たとえば、考えること、学ぶことを続ける人生であろうと、私たちは、志すことがあります。知的生産と呼んでもよいかもしれません。
考えること、学ぶこと、とは、ひとつの方針です。人間は、抽象的に行動することはできません。私はボトムアップを信じるので、はじめから抽象的に考えることもできません。

ボトムアップな私のための本です。
そして、私たちの大切な志のための本です。



『アウトライナー実践入門』(Tak.)

様々な場面で、生きる勇気をもらう、という表現に出会うことがあります。素晴らしいことです。私にも経験があったかもしれません。
勇気がなくても、自然に、平然と生きられるのも、またよいことです。様々な生き方があります。

私は、『アウトライナー実践入門』から、考える勇気をもらいました。生きる勇気に似ているものでしょうか。
考えながら書いても、書きながら考えても、よいのです。他人のために、伝わるように書いてみて、はじめて考えられることがあります。自分もまた他人だからです。

トップダウンとボトムアップの繰り返しで、生まれるものがあります。
まるで、何かのようです。



『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール)

2016年、私が新たに至った思想のひとつに、コレクションについてがあります。自分が本当に納得のいくものを、ひとまとめにして、集めるということです。

自分だけの基準で集められたコレクションです。
説明のつかないものです。時間をかけたものです。知性ある人類にしか、成しえないことです。

コレクションと知性について、思いを馳せることになった本です。



『物書きがコンピュータに出会うとき』(奥出 直人)

困惑するほどに壮大な世界が、文章を書くことには、内包されています。私が、読者として目にする文章の背後には、試行錯誤がありました。

文章を書くのは、どうして、かように大変なことなのでしょうか。

それでいて、『物書きがコンピュータに出会うとき』は、文章を書くことが大変でよかったと、感じられる本です。文章を簡単に書けてしまう人にはたどり着かないような、楽しさがあります。



『エリック・ホッファー自伝―構想された真実』(エリック・ホッファー)

エリック・ホッファーの言葉は、私に、妙に共鳴するところがあります。
人が、技術を身につけることについてです。言葉にならない深層に、機械では代替できない、大切なことがあります。

他人の仕事を総括するのではなく、自分で手を動かすことを指向する方には、私と同じ共鳴があると、想像します。



『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)

文学は、世界と、世界の終わりを描くことができます。言葉にならない感慨を描くことができます。
心とか、神秘ではなくて、単に、言葉にならないということです。不思議なもので、文学にしか果たすことのできない機能があります。

妙な文章になりました。当然のことながら、手記です。



『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン)

それまで気づかなかったことに、気づくようになる、ということは、ほとんど、生きることのすべてです。発見することの感動は、いつも、非論理的で、綺麗なものです。数学は、気づくことの綺麗さを、シャープに見せてくれる例です。

数学のような世界でも、論理の最果てには、跳躍のドラマがあります。積み重ねた論理も、最果ての跳躍も、どちらも美しいものです。

跳躍のドラマに、人間が、感動するようになっているというのは、不思議なことです。
私は、不思議さを解き明かす、真に驚くべき説明を持っていますが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできません。



『幸福論』(アラン)

私が2016年に到達した、大切な思想が、もう一つありました。
人が考えることは、体調や、姿勢や、環境が、かなりの部分を決定しています。私にとって、素晴らしい気づきでした。人類の叡智は、思ったよりも、大したことはなかったのです。感動します。

人の心に、過剰な神秘を感じることはありません。肥大した意味に、押しつぶされることはありません。私の幸福論です。


終わりに


今年も、多くの素晴らしい本に出会うことができました。
十冊のリストに選ばれなかった本も、たくさんあります。

選ばなかった本の存在が、十冊のリストを、豊かにしているような気がします。豊かになっていれば、嬉しいです。

本はたくさんあるからです。