2017年5月21日日曜日

険しく遠い千里のホテル

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すっかり、暖かくなりました。五月です。四月にはまだ、寒い日が多く、私は、素直に春を感じることができません。私は寒さが苦手で、暑さが好きです。私の場合だと、気温に比例して、快適さが変動するようなのです。

他方で、寒くても、暑くても、私は、外の風に当たるのが嫌いです。本当に真夏の盛りになるまで、手袋が手放せません。肌に風が当たるからです。風というのは、どうしてこう、次から次へと吹いてくるのでしょうか。まるで、無限に部屋数のあるホテルに、次から次へとお客さんが来るかのようです。

冬に使っていた手袋では暑くなりますので、五月は、薄い手袋に買い換える季節です。

それでも、五月は、冬よりは気を抜いて過ごすことができます。寒さに耐えようとしなくてよいというのは、嬉しいものです。穏やかな気持ちになります。春の風は、千里も先まで届いていくのです。

春の穏やかさを思うとき、よく、思い出すことがあります。
こちらの記事です。

ゆっくりと動きながら高速でこなす、一流の研究者の Doing リスト | Lifehacking.jp

黄色いリーガルパッドを手に、ゆっくりと高速に仕事を進める、一流の研究者のお話です。
しかしその作業にはまったく無駄がなく、黄色いリーガルパッドに書かれたリストの一番上から一つずつ確実に作業を行っていきます。
いろいろなことを感じるエピソードです。
手になじむ道具を使うことの、良さといいますか、感動を、私は覚えました。
黄色いノートパッドはそんな彼を脱線させないための「いま、何をしているか」のリストなのだということが見て取れました。
ゆえあって、私はこのところ、道具について考えることが多くなっています。

ゆっくりと動きながら、高速でこなすといいます。人間と道具の関係として、目指したい姿です。使い込まれた道具とは、使い手がゆっくりと動けるように、機能するものなのでしょう。

先日、ゆっくりと動くための道具を、私も導入しました。ニーモシネのノートです。無地で、横長のA5サイズです。作業机に備え付けています。
私の用途も、先に掲げた記事の、黄色いリーガルパッドと似たものになっているようでした。

何かを考えるときに、考えることを書きます。何かの作業をするときに、作業することを書きます。ニーモシネに文字を書くことと、仕事を進めることとが、セットになっているような感覚です。
ノートの使われ方にもいろいろとあります。私のニーモシネは、現在進行形な使われ方です。未来形でも、過去形でもないということです。ゆっくりと動くためのノートです。

考えてみると、ノートには、現在と、過去と、未来と、それぞれを指向した使われ方があるようです。原則に忠実にあるなら、過去は、日記帳のことで、未来は、スケジュール帳のことです。きわめて原則に忠実にある場合のことです。

それでいて、現在と、過去と、未来のノートは、原則に忠実に分類することも、難しいようです。現在と、過去と、未来は、それぞれ、影響を及ぼし合います。一面では、日記帳やスケジュール帳に、使いにくいことがあるのは、このためかもしれません。たがいに影響しあい、渾然となった何かを、特に意識せず、自在に扱うことのできる点で、紙のノートは優れています。

千里の仕事を成し遂げたいときに、千里先のことも、一歩のことも、足跡のことも、表現できるということです。不思議と、一歩のことを書くためのノートには、はっきりした名前がついていません。

私の場合、最近まで、別のノートが、この役割を担っていました。あるとき、思うところあって、ニーモシネのノートに変更してみたわけです。今のところ、よい感じです。
どうも、横長で、あまり大きくない紙に書くのが、私には合っているようです。少なくとも、現在進行形のためのノートは、そうです。似た用途で名刺サイズの情報カードをよく使うのですが、この情報カードが、横長で、書きやすかったことから、気づきました。他の誰かではなく、自分にとって大切なことに、気づいた瞬間です。

ゆっくりと動くことというと、『知的生活の方法』(渡部昇一)を思い出します。

ゆっくりと動いていると、人間が、道具を使うことだけを考えていられるようになります。道具を使うことを、意識せずにいることすらあります。全体として、考えることが少なくなります。

考えることが少ないというのは、気分のよいものです。のびのびとした気持ちになります。人間があまり賢くないためでしょう。例えば、いつ中断されるかもしれない、いつまでに終えなければいけない、といったことが、頭をよぎるほど、のびのびとした気持ちは薄れていくものです。

渡部昇一さんは、次のように表現されました。
中断されるおそれがなく、時間はほとんど無限に自分の目の前に広がっていると感ずるとき、知はまことにのびのびと働く。
時間と、心持ちが、一望千里に広がっていると、知はのびのびと働きます。
好きな道具を使うことに熱中していて、他のことが意識にのぼらないような状態を、私は想像します。

頭の中に情報を留めているうちは、無限の可能性を展望したままでいます。紙に書くと、可能性を少なく抑えることができます。人間はあまり賢くないため、無限に可能性があると、平静を保つことができません。無限に部屋数のあるホテルが、なぜかお客さんを受け入れ続けることができるのと同じです。

無限の部屋数があるホテルがあるとしましょう。いま、ホテルの部屋は満室です。無限の人数のお客さんが泊まっています。

一人のお客さんが来ました。予約をしていないのですが、ホテルに泊まりたいそうです。きっと、会いたい人がいたのでしょう。ここまで、険しく遠い道のりでした。

支配人は慌てません。すぐに部屋を用意するといいます。ちなみに、おそらく、支配人の名前はヒルベルトといいます。
支配人は、ホテルに宿泊しているすべてのお客さんに依頼します。いわく、全員、部屋番号がひとつだけ大きい部屋に、移っていただけませんか。

ホテルには無限の部屋数がありますので、すべてのお客さんが、無事に部屋を移動することができます。私の感覚だと、ここで、全員が部屋を移動するのに無限の時間がかかったりしないかと、不安にならないこともありません。部屋を移っていただけませんか、という連絡が、時間ゼロで伝わるわけではないと思うからです。気にしないことにします。

ともあれ、すべてのお客さんは、無事に部屋を移動することができます。移動が済むと、なんということでしょう、部屋番号1の部屋が、空室になっています。予約を忘れてしまった不運なお客さんも、ホテルに宿泊することができるようになりました。

茅原実里さんの楽曲「春風千里」に、心に残る一節があります。
何千里でもかまわないって 険しく遠い恋路を進む
春の風は、千里も先まで届いていくのです。


終わりに


他方で、寒くても、暑くても、私は、外の風に当たるのが嫌いです。
ここ数年は、5月になると、300円ショップのUVカットの手袋を買うことにしています。現在進行形な使われ方です。