2013年4月13日土曜日

いずれかが欠けても

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学生のときに勉強した数学が、学校以外の生活で役に立つ場面はたくさんあります。
ここでの役に立つことの意味を、俯瞰した見方にまで広げてしまうとそれこそ数え切れないほどあるでしょうが、具体的に、直接に役に立っている場面だけを取り出したとしても、それなりの数になるはずです。

将来の役に立たなくても、数学を勉強する価値は大いにあります。他方、数学を勉強しておけば以後の人生のあちこちで役に立ちますので、手間が省けて効率のよいこと請け合いです。学生のときに数学を勉強しないという選択は、苦労は買ってでもしたいという立場を貫くときには有効となるかもしれません。

話が逸れました。
本エントリでは、その、数学が役に立っている場面のひとつを書いてみようと思います。

今回はそんな話です。


数学の問題


数学の問題が与えられて、それを解こうとするときのことを考えてみます。ふつう、数学の問題を解くといったときに思いつく場面で間違いありません。

このときの思考の動きに着目します。
ぱっと問題を見せられていざ解こうとしたときに起こるのは、まずはアイデアを考えることになるでしょう。目の前の問題が、以降解かれる中で姿を変えていく様子を想像しながら、取り得るいくつかの手だてを発想するのです。
言葉にすると複雑ですが、それほど突飛な話ではないかと思います。解答に至るために手を動かすなら、以降の流れを見据えて目の前の一歩を思いつくことから始めるわけです。言うなれば、展望を思い描くということです。

程度の差こそあれ、どのような数学の問題に対しても同様の話が当てはまります。公式を暗記して適用するだけの状況であってもそうです。複数あるだろう自分の手持ちの公式のうち、何を選択したら問題がどのように姿を変えるか、そして解答にたどり着きそうかの青写真は必ず描くはずです。
そして、問題が単純でなくなれば、ここで言う展望にかかる手間は大きくなります。問題が姿を変えていく様子を、多くのステップにまたがって想像していかなければなりません。ときには、青写真が不完全なままで問題に取りかかる勇気が必要になることもあるでしょう。

ここまでを第一段階とします。空想の中で、青写真を描く段階です。

第二段階は、いま描いた展望に沿って手を動かしていくことになります。ある手順でうまくいきそうだと思ったとしたら、実際にそのようにしていくわけです。

ここには、空想の中の青写真にあったような華やかさはありません。自分が描いた道筋に沿って、踏み外さないように、一歩一歩、進んでいくだけです。それほど工夫の余地があったりもしませんし、素晴らしいアイデアがもてはやされたりもしないのです。むしろ、道筋を踏み外さずに進むためには新しいアイデアは邪魔になるかもしれません。ただただ道を誤ることなく進むのは、あまり楽しくはないことと思います。

そうして一歩ずつ進んでいくと、楽しい空想のときには出会うことのなかった様々な障害にぶつかります。意外に式変形がややこしかったり、きれいに約分できなかったり、思ってもみない場所の線分の長さが必要だったりするのです。青写真に写っていないものが表出してくるわけです。

ここで再び、アイデアの出番が来ます。
予期しなかった障害を、どのように乗り越えていくのかを考えるのです。それは、変わらず地道に着実に進むことかもしれませんし、障害の越え方に工夫を凝らすことかもしれません。あるいは、道を変えてみることもある得るでしょう。
何であれ、現実にぶつかった障害を正しく認識して、青写真を描き直すということです。

以上で述べたのが、数学の勉強が実際に役に立つことの話です。

身の回りに存在するあらゆる出来事から、述べてきたような二つの段階を認めることができます。すなわち、展望をアイデアとして発想することと、それを愚直に実現させることです。

これらの二つの段階は、どちらも同じだけ重要なものです。
見事なアイデアを発想できる突飛さがなければ、進む道を定めることができません。愚直な一歩を少しも踏み外さない慎重さがなければ、定めた道を進むことができません。前者がなければ後者は無用ですし、逆も然りです。
そして、思いもよらぬ障害には必ず出会いますので、道筋を引き直す柔軟さも必要です。

数学からは、これらのことを一挙に学ぶことができます。数学の問題を解こうと一生懸命になることは、発想することと慎重であることの大いなる訓練になります。

さらに意義深いこともあります。
数学からは、これらのことがいずれも同じだけ重要であるということを知ることができます。いずれかが欠けても無事に問題を解き終えることができないということを、身をもって感じられるのです。
そしてそれは、何かを解決、達成、実現などしようとしたときに広く普遍的に役に立つというわけです。


終わりに


すぐ上に書いたように、あらゆる何かを達成しようと思ったときにはこの気づきが必要になります。
いつかは必ず気づく必要がありますので、数学でそれに至ることができると大変に手間が省けます。
残念ながら私は、数学ではなく「あらゆる何かを達成しようと思ったとき」に気づくことになってしまいました。これは数学だったな、と後から思ったのです。

私は別に苦労を買ってでもしたいと思うほうではありませんので、惜しいことをしました。

これだけ書いておいて何ですが、苦労を買ってでもする、とはいったいどういう意味なのでしょうか。
いまひとつ、わかっていません。