2013年4月28日日曜日

街に依って作られる

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こちらの記事を読みました。

いかにファンタジーを創るかという私の創作の基点が”街”である理由 - なんかカラフルな生活

私は、記事内で触れられているような創作の方法論の類に関してあまり知識がなく、新しい情報として読ませていただきました。

その中で、こちらの一文に強く衝撃を受けました。
これも様々わかれるところで、創作の”初っ端”になにをするかなのですが、私の場合は”街”を創ります。
控えめに言って、鳥肌が立ちました。
創作において初めに作成されるのが、登場人物でもストーリーでもなく、街だと言われるのです。

記事は、その理由をめぐって進んでいきます。
街、街と言いましたがではなぜ街から作り始めるのかというと、「街こそネタの宝庫」だからです。
こちらの文章を目にして、はじめの私の衝撃は理解に変わりました。心底納得がいきました。今や、物事を理解するとはこういうことかと思えるほどです。
往々にして、このようなときには費やせる言葉があまりありません。このときに思ったのは「そうか、街こそネタの宝庫だからか」といったことです。明らかに何も言っていないのです。

しかし、理解したということとはまた異なるフェーズとして、それについて苦労して言葉を費やしておくことには意味があります。そうしておかないことがもったいない、とでも言うと私の直感に反さないでしょう。

そこで本エントリでは、街から初めに創作されることについて、私なりに考えてみようと思います。

今回はそんな話です。


街から作り出す


ファンタジーをはじめとして創作と呼ばれるものは、ふつう、それが面白いということが要求されます。これ自体は、ほとんど議論の余地のない命題であることでしょう。創作を受け取る方の人たちは、いつもそれが面白いことを期待しているはずなのです。
いま創作と呼んでいるものは、できるだけ広義にとらえてしまって構いません。ここでは話の都合上、小説を想定しておくことにします。

すると次に触れられるべきは、面白いとはどういうことかについてになります。かなり厄介な問題です。

ほんの少しだけ切り込んでみます。仮に、面白いということが様々な要素が寄せ集まってできあがるような事象であるとします。それほど不健全ではない仮説のはずです。
そうであるときそのいくつかの要素の一つには、創作が何らかの意味で想像を越えていること、が含まれていると思います。面白ければ、想像を越えた部分を何かしら含んでいるのです。
想像を越えている何かがあることは、面白いことの必要条件であると言い換えても良いかもしれません。もちろん、明らかに十分条件ではないわけで、それがこの話を難しくしている部分です。

わずかながら、先に進むことができました。面白いことの中身が少しだけ見えたわけです。
それでは、想像を越えるとはどういうことになるでしょう。面白さについて考えるより、とっつきやすいとは思います。とはいえ素朴に答えられるものではありません。想像を越えていることが想像できてしまったら、それは想像を越えていないためです。

ここに、創作が街から始まることの意味があります。

創作を街から始めるということは、すなわち、人間の想像力の限界を街に置くことになります。何もないところに何かを作り上げようとするわけですので、それは全面的に人間の想像力に依存するのです。
あるいは、人間の想像力の限界に依ってしまう部分を、街に定めると言っても構いません。創作のうちのどこかの部分は、残念ながら人間の想像力に規定されてしまうわけです。

重要なのは次です。
人間の想像力によって定められた街は、その世界のベースとなります。そこに、人物や世界観や物語が文字通り乗せられていくことになるのです。
そのため、これらが創作される場合には、何もないところから作り出されるわけではないことになります。少なくとも、そこには街があるわけです。

すると、人物や物語などは人間の想像力に依って作られるものではなくなります。街に依って作られるのです。
すなわち、人物や物語や、その他世界に必要なものは、街に従って自己生成的になります。
これは、その世界の外にいる人間(たいてい、作者です)にとっては、物語などが勝手に生み出されているように見えるでしょう。街をあたかも触媒のようにして、それらが自己生成的になっている様子がそう見えるのです。

これが、冒頭でご紹介した記事で「ネタの宝庫」と呼ばれているものの中身になるはずです。同時に、本エントリで想像を越えると呼んだことの論理的な説明でもあります。
人間の想像力と同等の位置にあるのが街で、それ以外のすべては街に従って自己生成的であるため、必然的に想像を越えるというわけです。

そしてそれが、面白さにつながっていくことでしょう。

さて、ここまで私が述べてきた話は、はじめに作り上げるものがなにも街でなくても成り立ちます。与える引数を変えても、メソッドは同じ挙動を示すのです。
つまり、人物から先に作り出せば、街の方が自己生成的になるということです。こと小説に関してはそれだと扱いにくいでしょうが、他方、本エントリの話はひとつのメタファだったとすればどうでしょう。周囲を見回すとおそらく、街の方が自己生成的で良いような事柄もたくさん見つけられるはずです。

見つかったそれらが、もし何かしらの意味で想像を越えなければならないとしたら、本エントリでの話はきっと役に立ちます。


終わりに


苦労して言葉を費やしてみました。

この場合は、使わずにいるのはもったいないため、どんどん費やしてしまう方が良いようです。
こちらは何のメタファでもありません。言葉の話です。