2013年4月17日水曜日

総称のカレー

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本ブログで度々話題にしていることに、生活する中で私が大事にしていることについてがあります。生活していく中でとまで銘打っていることもあり、ふつう、そこで言及される内容はそれほど多岐に渡ったりはしません。

一方で日々にあるいくつかの場面に目を向ければ、それが該当するところは多くあります。総称してしまえばそうでもなくとも、細かく見ればたくさんあるということです。

本エントリでは後者、すなわち日常の場面を細かく見たときに、私が大事にしたいと感じたことについて書きます。総称してしまえばあまり珍しいことは言っていないと思いますが、別に私は総称しながら日々を過ごしているわけではないのです。

今回はそんな話です。


ある場面


前書きはずいぶんと回りくどい言い方になってしまいました。具体的に言います。
私の物事の考え方の基本方針のひとつに、複雑なものをなかったことにしない、というものがあります。総称した、との表現で先に述べたのはこのことです。

それを踏まえて本エントリで触れたいと思っているのは、食べ物のことです。最近、大いに考えることがあります。
歴史的に見れば、食べ物が有する様々な背景や込められた思想は相当なものがあります。常に人類とともにあったものですので、なるほどそれはそうでしょう。食べ物について考えようとする立場は、それなりに意味あるものになるのです。

実例をもって話を進めようかと思います。繰り返しておくと、複雑なものをなかったことにしないことに関しての、食べ物の話です。

いろいろと例示できそうなものはありますが、カレーについて書きます。現代の日本で言うところのカレーを思い浮かべていただければ問題ありません。強いて言えば、ライスではなく、カレーの方です。

カレーの細かい定義に触れるつもりはありません。実際、発祥とされるインドには素朴な意味でカレーという食べ物は存在しないそうで、それはそれで面白そうな話ではあります。
ですが、今はそういった正しそうな部分ではなく、もっとイメージに寄ったところに興味があります。

話の都合から、二つ前提としたいことがあります。
一つは、カレーの発祥の地ではとても昔から、庶民的にそれが食べられていたことです。調査したわけではありませんので、本当にそうかどうかは私にはわかりません。一応、直感に反さないことでしょう。
もう一つは、カレーの発祥地では材料となる香辛料の類が豊富にあったことです。これもやはり調べてはいませんので、実際の様子はいったん脇に避けておきます。あくまで、話の都合上の前提です。

ちなみに、カレーの発祥の地はインドのような気がしますが、ここではそれも無視します。

さて、今でこそ私たちは、カレーという言葉から一つの料理を共通して連想します。すでに完成されたカレーの概念があって、それを知識として得ているためです。

しかし、発祥地でのカレーの歴史を見てみると、おそらくそのようにはなっていないでしょう。
たぶん、香辛料が身の回りにたくさんあったことからスタートしています。たくさんあるからそれで何か食べられるものを作ろうと、そこに住むいろんな人がめいめい思ったはずです。
するとその地域では、香辛料を使ったちょっとした食べ物が、いろんな人の手によって作られたことでしょう。それらは一つ一つが少しずつ、あるいはまったく異なります。現代日本のカレーのように本格的でもありません。香辛料がたくさんあったから、なんとなく、作ってみたものなのです。

それから、香辛料を使った料理を作ったことのある人たちの交流が進むなどして、それは徐々に本格的になり、統一されていったと想像できます。

それらをすべて総称したのが、カレーです。
きっと、カレーが統一されてからも、人々はカレーを作っている認識はなかったのだと思います。あくまで、身の回りの香辛料でできる食べ物に過ぎないためです。概念の方が後に来ているためです。
その意味では、例えば、カレーの作り方という言葉は成り立ちません。何か一つの食べ物によってこれがカレーだと示すことはできないのです。

カレーは、ここまで述べてきたような一面を持つと同時に、現代の日本でふつう連想されるような面もあります。後者については特に語ることはありませんので省略しますが、どちらか一方だけということはないのです。

本エントリのカレーのような話は、他にも様々な料理に当てはまります。
パスタやピザ、お味噌汁、そしてパンなどがそれでしょう。
どれも、個々の素朴な発想が集まって、総称を手に入れるに至ったものだと思います。

『考える生き方』という書籍に、次のような言葉がありました。

『考える生き方』(finalvent)
もともと、一人暮らしを始めたころから、よくパンを作っていた。誰かにパン作りを教わったことはない。パンの作り方の書籍を読んだこともない。 
(中略) 
パンなんていうものは、人類がずっと食べてきたものだから、原型はそんなに難しくないはずだ。
パンという食べ物があって、その作り方を勉強して、といったものではないわけです。
この感覚、スタンスは、まさに私が本エントリでずっと書いてきたことです。これを目にしたとき、とても感動したのを覚えています。

パンやカレーについて考えることは、私にとって、ひとつの考える生き方です。
パンも、カレーも、総称してしまえばそうでもないのに、細かく見ればたくさんあるものなのです。


終わりに


昔どこかで書いた、私が悪魔の証明の話をあまり好きでないことは、ある部分を本エントリのことに依っています。

それから、食べ物について考えることに関しては、ウェブメディア「cakes(ケイクス)」のこちらの連載にも影響されています。

晩酌歳時記|佐藤和歌子|cakes(ケイクス)

このところ、大好きな連載です。大いにおすすめです。