2013年3月31日日曜日

日常のあらゆる場面

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私は基本的に夏が好きなので、春夏秋冬が 1:9:1:1 に近いくらいでも問題ありません。ただ、季節の移り変わりの点は捨てがたいので、いずれかをゼロにすることにも積極的にはなれないように感じます。
こちらの記事を読んで、そんなことを考えました。

ライフハッキンラブホリック - なんかカラフルな生活

話は変わります。
物事を理解するということはいつだって、つかみどころのないものです。

森博嗣の小説には、「わかったと思う直前の感覚こそ、わかったということの本質かもしれない」といった趣旨の言葉があったと記憶しています。この発想は私にとって同意できる話です。直感に反しません。
「わかった」と言葉になってしまったときには、それはもう「わかった」との言葉でしかありません。わかることそのものではないのです。
さらには、わかることそのものと、それを順序立てて他者に日本語で説明できることもまるで別の話です。一部では重なっているかもしれませんが、しかし一部に過ぎません。まったくもって日本語にできなくて、それでいてわかっているということは、特に珍しくもなく起こるのです。

ここまでの話と同じ意味で、他人を理解することもまた厄介な話です。物事を理解するときとは異なり、理解すること自体に分岐が生まれてしまいます。
他人を理解するとは、その人となりを飲み込むことかもしれませんし、言動を解釈することかもしれません。あるいは他の何かだったり、そのすべてだったりするでしょう。これがその分岐です。

ところで、他人を理解するときには共感するという方法もあります。これなら、例えば同種の体験や考え方を互いに持っていれば、わりと容易に達成できるように思います。その体験が強烈であれば、深い共感に転じるはずなのです。

以上の話を前置きにして、ここから私の話をします。

私は、ある種の強烈な体験を持つ人に対して共感を覚えることがあります。表面的な趣味や興味が一致しなくても、深いところでの指向する態度とでも言いますか、そういったところがなんとなく理解できるのです。

何やら難しい言い方になってしまいました。誤解を恐れずに平たく言えば、こういう人とは仲良くできる、という基本的なものが私にはあるのです。
もちろんこれは、そうでない人とは仲良くできないことを意味してはいません。それは断っておきますが、つまり、仲良くなりやすい立場の人がいるのです。

その立場の人とは、非常に単純に示すなら、本を読むのがとても好きな人です。さしあたって、本の種別は問いません。小説でも、漫画でも、その他の一般書籍でも良いのです。

いま、本を読むのがとても好きな人と言いました。それでいて本の種別は問わないわけですから、すなわちその表現は、本の趣味が合う人とはまったく別のものを指していることになります。
本の趣味が合う人とは、なるほど共感は覚えやすく、仲良くなれそうな気がします。しかし、私がここで述べたいこととは異なるのです。

本を読むのがとても好きな人が、共通してたどり着く強烈な体験は何になるでしょうか。本エントリの話の核心はここにあり、これを明確にしようとすると先ほどの言葉が言い換えられることになります。

私が仲良くできる人とは、本を読むのがとても好きで、あるとき「あ、自分は生きている間に読みたい本をすべて読み終えることはできないんだ」という深い直観に至ったことのある人です。

理屈としては当然のことでしょう。
そうではなく、直観として、知ってしまった人のことです。
そこに至ってしまった人のことです。

私にはこの体験があります。何年前のことだったでしょうか。あるとき突然、頭を殴られたような衝撃があって、わかってしまったのです。

先述した、本を好きな人が共通してたどり着くであろう強烈な体験の正体が、これです。
このことは、いろいろな思想に影響を与えます。

本を好きな人は、時間に限りがあることを知ります。時間の壁の強大さを、理屈でなく知ってしまうのです。
本を好きな人は、知識に限りがあることを知ります。本は知識の象徴ですし、知識は力になるかもしれません。しかし、そこには限界があるのです。
本を好きな人は、体験に限りがあることを知ります。多くの体験をすることは、人間を豊かにするのかもしれません。しかし、そこには限界があるのです。
本を好きな人は、諦めることを知ります。諦めないことは、素晴らしいことかもしれません。しかし、それにも限界があるのです。

これらはいずれも、日々を生きる中で出会う、様々な普遍のものに関係してくる話です。
ここは重要な点です。時間や知識がどうのということは、本を好きか否かなど関係なく、誰しも日常で直面することです。そう頻繁でなくとも、様々な場面でそれについて考え、決定していかなければならないのです。

たとえ表面的な趣味や興味が異なっても、日常のあらゆる場面に対して同様の思想を持つ人に対して、私は共感します。
そしてそれが、私は本を読むことが好きな人と仲良くできる、との言葉に集約されるのです。

とはいえ、本エントリで触れてきたような、頭を殴られたような衝撃や、体験の限界を知るといったことは、それほど意識に上ってくるものではありません。無意識下にあることがほとんどです。

1:9 くらいでしょうか。しかし、ゼロにはできないのです。
むしろ、ほとんどが無意識下にあるからこそ、それが共感という形で意識に上ってくるのかもしれません。


終わりに


私は音楽もたくさん聞きます。ところが、音楽ではここまで述べたような直観に至ったことはありません。
理由はわかりませんが、そのために本エントリの話は読書に限ったものになっています。