2013年3月5日火曜日

瞬間、心、重ねる春

Clip to Evernote
近ごろ、暖かく感じる日が増えてきました。Hysteric Blue の「春~spring~」から表現を借りれば「雪がやんで寒さも消え、今年もあの季節が来る」のです。
喜ばしいことで、自然に心が弾みます。

春の季語に「十返りの花」というものがあります。「とかえりのはな」と読み、これは松の花のことを指しています。
頭の「十返り」は十回繰り返すという意味で、松の花が百年に一度、すなわち千年に十度花を咲かせることからその呼称が生まれたそうです。

松はお正月に玄関先に飾られることからもわかるように、日本では古来より祝賀を意味する木ではあります。しかしその祝賀に反して、春は別れの季節です。「春~spring~」でも「別れの季節も好きになれる」と歌われています。
人と比べればおそらく私はそれほどでもない方だとは思いますが、それでも、春は別れの季節と言われてうなずける部分はあります。春という言葉から、なんとなくのもの悲しさを感じることもできます。弾む心は、ここで少ししおらしくなるのです。

しかし、もの悲しい別れがあれば新しい物語を作る出会いもあります。
yozuca* さんの「サクラサクミライコイユメ」との曲には、次のような一節があります。
かけがえのない瞬間と 出会いが作る物語(ストーリー)
私はこの言葉が大好きです。この一言のために、春が待ち遠しいと言っても構いません。かけがえのない瞬間だけでも、出会いだけでもいけなくて、そのいずれもが物語を作るのです。

脱線します。以前「冬とモレスキン」とのエントリを書きました。その中で「冬って、自分と世界の境目がよくわかるからいいよね」との言葉をご紹介しました。
私はその一言のために、冬を待ち遠しく感じたりしていました。本エントリでの春の話と様子は同じです。ひょっとすると、春とか冬とかいうのは関係なく、私が過度に夢見がちなのかもしれません。
あれもこれも楽しみなのです。日常生活には今のところ支障が出ていませんので、とりあえず放っておこうかと思います。

話を戻します。
上でご紹介した楽曲のタイトルにもあるように、春といえば桜です。桜をモチーフにしてつづられた言葉はたくさんあり、思い当たる節がある方も多いことでしょう。

私が思い当たったのは百人一首です。次のような歌があります。

いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな

これも、とても好きな歌です。
恥ずかしながら私はすべてを比較対象にできないのですが、私の中では

吹くからに 秋の草木の しをるれば
むべ山風を 嵐といふらむ

と肩を並べて一番好きな歌のひとつです。

後者はここでは置いておきますが、前者の「いにしへの~」の歌については触れておきます。

解釈は、次のページを参考にしました。

小倉百人一首・伊勢大輔 - 学ぶ・教える.COM

だいたいの意味は「昔、奈良の都から献上された八重桜が、今日、京都の宮中でよりいっそう美しく咲いていることだなあ」といったところです。
意味をとらえる際に重要になってくるのは、「よりいっそう」の箇所でありましょう。

まず、上の句と下の句の始まりが「いにしへ」「けふ」と対になっているところがポイントです。ここで時間の流れが感じられます。
それを踏まえると、古の八重桜が今日の九重(宮中)で咲いていることに注目できます。八重から九重に数が増えており、ここに「よりいっそう」の気持ちがこもっているわけです。

先ほど春は別れの季節だとのことを言いましたが、嬉しくなるのはやはりこの歌のような話です。こういった話を目にして嬉しくなる気持ちは、いつまでも持ち続けていたいものだと思います。

とはいえ、別れに代表されるような嬉しくないことも嫌うつもりはありません。思えば件の歌で美しいとされている桜も、他方では儚さのようなものも湛えています。桜が春を象徴するなら、春が相反する二つの感情を呼び起こす存在であることも納得いく話です。

その二つが混ざり合い、溶け合った何かを私は春の色と呼びましょう。

「春の色」自体も春の季語で、春の景色、春らしいようす、といった意味を持っています。ですが、文字通りに春の色彩とする方が、混ざり合ったものという意味は見えやすくなるかもしれません。
春の色彩も景色も、すべて含んだ春の色です。

春の色が感じられるのは、それほど長い期間ではないはずです。
そんなかけがえのない瞬間に、祝賀の松の花に倣って十ほどの心を重ねれば、今年の春はよりいっそう美しいことでしょう。


終わりに


ちなみに、私はこの周辺(つまり、「エヴァンゲリオン」)のことについてあまり知識はありません。ふと思いついてしまい、調べて使ってみました。どこかで聞いたことがあったのかもしれません。