2013年9月9日月曜日

予知に向かって進む

Clip to Evernote
こちらの記事を読みました。

#ブロガーサミット 2013の内容に沿って、自分にとって「ブログ」とは何かを改めて考えてみた : 見て歩く者 by 鷹野凌

幾度か表明している通り、私はこちらのブログ「見て歩く者」さんの熱心な読者です。
(近頃では、中の人が様々な媒体に書いていらっしゃるようで、追いかけるのが大変になってきています。今のところ、それらの情報もブログに掲載してくださっているので、とても助かります。)

熱心であると同時に古くからの読者でもあるのですが、それでも、「見て歩く者」さんで、上に掲載した記事のようなローカルな話題が展開されることは珍しいように思いました。
皆無ではなかったかもしれません。ですが、ここまで詳細な記述を読んだ記憶はなかったのです。

率直な感想として、最大級に面白い記事でした。

グローバルな意味で、どれほど価値ある情報なのかは私にはわかりません。しかし、個別の私に対しては、大変に素晴らしい記事でした。

何といいますか、ブログって良いなと思いました。

話は変わります。

ずいぶんと前のことになります。
こちらの記事を読みました。

非破壊・非接触型スキャナ「ScanSnap SV600」の登場が出版業界周辺にどのような影響をもたらすかを考えてみた : 見て歩く者 by 鷹野凌

先日の、ScanSnap SV600 の発表を受けての記事となっています。

大きな話題にもなりましたので、ScanSnap SV600 について詳しい説明は不要かと思います。上の記事のタイトルからも察せられるように、破壊もせず、接触もせず、対象を物的な意味でスキャンできるものです。

記事には次のような一文がありました。
さて、こういう時代がまもなくやってくるという話は過去に何度も書いてきていますが、これによってどういう変化が起こるのかを改めて予想してみたいと思います。
「こういう時代」とはすなわち、書籍を破壊せずにスキャンできる時代です。もちろん、書籍を破壊してスキャンするような時代がこれまでにあったことを受けています。
記事中の言葉を借りれば、スキャンした本と、普通に読んだ本との見分けがつかないということです。

引かせていただいた一文を起点として、記事は「こういう時代」の変化をめぐって進んでいきます。
そちらも大変に興味深いお話であるものの、私がここで言及したいのは、同じ文の前半についてです。

「こういう時代がまもなくやってくるという話は過去に何度も書いてきています」とあります。

非常に驚くべきことに、それは確かです。
ある本がスキャンされたかどうかを識別できない状態が何をもたらすのか、といった文章を、私は読んだことがあるのです。
(同ブログだったか、他の媒体だったかは定かでありません。)

平たく言えば、未来を予知していました。
穏やかに言えば、先見の明がありました。

これは、知的生産ですとか、情報発信ですとか、そういった視点からすると大変なアドバンテージになります。何と比較してのアドバンテージかは私にもわからないものの、とにかくそうなのです。

それは、ひとえに、その話題について考えている期間が長いためです。費やした時間ではなく、気にしてきた期間です。
『思考の整理学』で言うところの「発酵」や「見つめるナベは煮えない」の原則は、基本的にいつも正しいと、私は思っています。ですので、未来を予知する人の知的生産は、そうでない人よりずっと強靱なのです。

いま、ブログ「見て歩く者」さんに触れながら、未来を予知する人の知的生産が強靱であると述べることができました。
今度は、未来を予知することについて書きます。

まず、ここまで書いてきたような、技術的な面で未来を予知することは間違いなく重要です。新しい技術が現れたら、その活用や法整備に知恵を絞る必要があります。強い知的生産が求められるわけです。

一例を、『「中卒」でもわかる科学入門』(小飼弾)との書籍から引かせていただきます。
技術の発展とエネルギーについて触れられています。
太陽電池などの進歩、普及によって、太陽エネルギーを安価で効率的に取り出せるようになれば、エネルギー問題は解決します。私はこの過渡期を、短ければ10年、長くても25年くらいだと見ています。
文脈からきちんとご紹介できず恐縮です。引用箇所だけで何かを判定するのが、あまり安全でないという意味です。
ここでは、太陽電池などの技術について、未来が予知されています。件のエネルギーなるものは、私の生活にはなくてはならないものです。将来、その用法が大きく変遷するのであれば、未来を予知して、知的生産を強靱にしておきたいと思います。

建前では、そう思います。

本心では、少なくとも技術の発展に関連する話題のときには、私はややわだかまりを感じます。同じ指向から、ムーアの法則もあまり好きになれません。嫌いではありませんが、わだかまりです。

技術の発展は、その対象に何かを捧げた人たちが、血をにじませて試行錯誤を繰り返した果てに起こるものだと、私は思っています。
私にはどうしても、それらのにじんだ血を、存在しないかのように扱うことができないのです。
その思想のもとでは、技術の発展とは、苦心を伴って少しずつ進んでいくものです。五年経ったらこうなっているでしょう、といった類のものではないのです。

だからこそ、ブログ「見て歩く者」さんや書籍『「中卒」でもわかる科学入門』をはじめ、未来を予知して、それに向かって進む知的生産を目にすると、すごいな、なるほどな、と強く感銘を受けます。

以前もどこかで書いたとおり、私は基本的に周囲から影響を受けようと思って生きています。そういった、自分の中からは出てこないような感銘は、とても嬉しいのです。


終わりに


私にとってブログ「見て歩く者」さんとは何かを改めて考えてみた、という話だったのかもしれません。
そうだとしても、言うまでもなく、ある一面を代表させただけの話です。