2012年7月19日木曜日

ピースには違いない

Clip to Evernote
以前、以下のエントリを書きました。

23-seconds blog: 楽しさのためなら

この中で、読書とRSSフィードを読むことは似ている、と仮定して話を進めている部分があります。
実際、ある程度の時間を費やして情報を取り入れようとするような点で、これらは似ているでしょう。

そこで、本エントリでは読書とRSSフィードを読むことの間にある違いについてを考えてみます。

一般論ではありますが、どんなに似ているように見えるものにも違いはありますし、また似ているからこそ違いがわかりやすくもあるはずです。

今回はそんな話です。


ピースとフレーム


書籍『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』に、非常に参考になる表現があります。

『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』(倉下忠憲) 

引用いたします。
パズルのピースには違いないけれども、それをはめ込むフレームが存在していないか、他のピースを持っていないということです。
この文章自体は、「役に立つかはわからないけど、なんとなく興味を引かれた情報」について書かれたものです。

しかし、ここで本エントリでは、この「パズルのピース」をRSSフィードを読むことに、「フレーム」を読書に当てはめて考えてみたいのです。


当てはめる


この、ピースとフレームのたとえは、なかなかに適当なように感じます。
おそらくあまり必要ないと思いますが、まずはそのことについて少し書いておきます。

RSSフィードをリーダーに登録すると、ある程度の方向性は自分で選択できるにせよ、基本的には雑多な情報が入ってくることになります。
ここでの「雑多」とは、まとまっていない、脈絡がない、といったことを指しています。「点在している」との表現が、私のイメージに近いかもしれません。

新たなRSSフィードは脈絡なく次々に入ってくるのに対して、読書のための本は、この方面の知識や情報を手に入れたい、との意図の下に集められます。
そうして集められる本、すなわち情報は、一定の流れに沿って、体系立った適切なものが並ぶことになります。

以上の点より、それぞれを「ピース」と「フレーム」にたとえるのは適当だと考えられるのです。

余談として、このような書き方をすると、読書の方がすごく優れているように見えます。情報としてまとまりがあるか、ないかに着目して述べているため、当然まとまりのある方が良い印象があるわけです。

ですが、実際はもちろんそんなことはありません。
一定の流れに沿っているということは、逆に言えばその流れに乗れないものは切り捨てられていることになります。

つまり、流れに乗った情報ばかりを集めていると、何かしらの偏りが生じてくるのです。
どんな偏りなのか、それは悪いことなのかなど、このあたりは面白そうなので、これを考えるのはまた別の機会にします。


ピースには違いない


ピースとフレームの話題に戻ります。
いま、RSSフィードを読むことと読書することを、パズルのピースとフレームになぞらえても良さそうだ、との話までしました。

さて、上で『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』から、「パズルのピースには違いない」との表現を引用させていただきました。

ここから、RSSフィードを読んで得られる情報は、長い目で見れば決して無駄にはならないことが言えます。それがパズルのピースである以上、どこかのフレームでは必ず使えるのです。
しかし、どの箱から出てきたのかわからないパズルのピースを、無事にフレームにはめ込むことが困難なのは明らかです。残念ながら、それは無駄に思えやすいですし、あるいは逆に「なんとなく重要そう」とも思えやすいです。

これを時間の観点から見てしまえば、パズルのピースを集める作業が削減の対象になるのはうなずける話です。手持ちの時間とうまく折り合いを付けながら、行っていかなくてはなりません。


役立てるために


いつ、どこで使いどころが見つかるかわからないピースを無事に役立てるためには、どうしてもそれを取っておく場所が必要です。しかも、使いどころが見つかっていないものを置いておくわけですから、うまく分類することはできません。妙な表現になりますが、分類できるくらいなら、使いどころが見つかっているはずだからです。

この意味で、Evernoteが「何だかわからないもののたまり場」で「整理ができない」場所になるのは当然のことなのです。


終わりに


それにしても、「それをはめ込むフレームが存在していないか、他のピースを持っていない」とは、秀逸な表現です。
心から感銘を受けました。