2013年1月13日日曜日

エデンのかがやきは

Clip to Evernote
こちらの記事を読みました。

”生き残った”習慣、”淘汰された”習慣、”新しくできた”習慣 - iPhoneと本と数学となんやかんやと

大好きなブログの記事です。
このところ、この「iPhoneと本と数学となんやかんやと」さんでは記事の更新が途絶えており、どうしたことかと思っていましたが、中の人にご事情があったようです。

どのような事情かはぜひリンク先でご確認いただければと思いますが、少なくとも、私には直接関係のある情報ではありません。にも関わらず、それを読んだときには、とても嬉しい気持ちでいっぱいになりました。陰ながら、応援しております。特にこの時季は手が荒れますので、留意いただくと良いかと思います。

確か以前にも本ブログで書いたことがあったと思いますが、私はどうも、こういった話に弱いのです。
それは、情報としては取るに足らないことであるものの、その当人にしてみれば重大なこと、とでも言うのが良いでしょうか。そして、この人はこのときどんな気持ちだったのだろう、などと考え出すと、胸が熱くなってきてしまうのです。

きっと、あれもこれも当人にとっては大変なことで、様々な経験をしながら、いろんな人が毎日を生きているのでしょう。

茅原実里のradio minorhythm」というネットラジオがあります。
その昔にずっと聞いていて、一時期離れてしまったものの、また最近聞き始めたラジオです。

こちらに、「YOUR BLOG(普通のお便り)」とのコーナーがあります。

ラジオをよく聞かれる方ならご存じと思いますが、「メールやハガキを番組内で読まれる」ことには、何と言いますか、独特の力学があります。私がこれをうまく言葉にする能力を持ち合わせていないのが残念なのですが、少なくとも、珍しくて、面白い内容のメールが読まれやすいことは言えるかもしれません。

ですが、この「茅原実里のradio minorhythm」の「YOUR BLOG」のコーナーでは、それが当てはまらないのです。情報としてはまったく重要でない普通の話が、きちんと取り上げられます。
「この前○○があって大変だったけど、頑張りました!」のようなことです。

そして、お察しのとおり、私はこのコーナーが大好きです。いろんな人が、いろんな日常を、頑張って生きているのが感じられ、泣けてきてしまうのです。
私が涙もろいのかもしれません。

今回はそんな話です。


涙もろい


「涙もろい」との日本語には、興味深いところがあります。
「もろい」とは、漢字で書けば「脆い」になるでしょう。この言葉は、有名なところではダイアモンドの化学的性質を表すときに使われます。

つまり、崩れやすいとか、壊れやすいとかいう意味です。
ちなみに、「硬い」とは別の概念で、ダイアモンドは「硬いけど、脆い」との性質を有していることになります。「硬い」とは、「他の物質とこすり合わせたときに傷が付かない方を、もう一方より硬いと表現する」といった雰囲気になります。

話を戻すと、「脆い」とはそういった意味です。
すると、「涙もろい」とは「涙が壊れやすい」との意味になります。普通、「涙もろい」と言ったら泣き出しやすいことを指しているでしょうから、すなわち、「泣き出す」ことを「壊れる」と表現しているわけです。

なぜ、「泣き出す」ことが「壊れる」ことになるのでしょう。ここではいったい何が壊れているのでしょう。
そういえば、「涙腺が決壊する」との表現もあります。やはりここでも「壊れて」いるわけです。
さらに言えば、英語にも「break into tears」で「わっと泣き出す」という言い回しがあります。驚くことに、英語でも「壊れる」が登場してくるのです。

壊れているのは、何でしょう。琴線でしょうか。
触れただけなら単に感動しているだけですが、それが壊れたとき、涙になってくるということです。
書いておいて何ですが、これはあまり納得がいきません。

あるいは、壊れたのは自我の壁だとするのはどうでしょう。
私たちは自分の周りに壁を作って、それで世界と自分とを隔てているのだとします。そうすることで、社会性ですとか、礼儀ですとか、そういったものを普段は保っているのです。
しかしその壁が、自分の感情が強く揺さぶられて壊れてしまうことがあります。そうして、普段は「社会性を持って」人前で泣かずにいるのに、そのときばかりは「人目はばからずに」泣いてしまったりするのかもしれません。

なかなか個人的にはしっくりくる話です。
「涙が出るときに壊れるのは、自我の壁である」のです。

すると、私がいろんな人の日常に触れたときに涙が出てしまうことも、合点がいきます。
本エントリの前半で述べたとおり、そういった他人の日常についての話は、情報としては重要ではありません。しかし、私がその人の生活に思いを馳せ、あたかも当事者であるようにそれを思い描いたとき、私はその人の日常に同調したようになるのでしょう。そしてその際に、私の周りにあった壁が壊れているのです。

同調するために他人の元へ行くには、壁を壊さないと進めないわけです。
だからこのときに、涙が出るのです。

きっと、私の自我の壁は、世界から自分を守るために硬く作られているのでしょうが、一方で脆く、壊れやすくもあるのでしょう。

ダイアモンドのようです。
言わば、ダイアモンドの涙です。


終わりに


ロックバンド「D」に、「EDEN」という楽曲があります。
本エントリの終わりとして、歌詞を引用いたします。
未来永劫変わらない EDENの輝きは
Diamondの涙