2013年1月6日日曜日

示す世界と私の苦悩

Clip to Evernote
こちらの記事を読みました。

R-style » [ハングアウトオンエア]Rashitaの部屋 #004収録しました

Google+ の Hangouts on Air を利用した動画コンテンツが紹介されています。
引用いたします。
今回は、ゲストを3人お迎えして、「Blogで物語を語ること」についていろいろ聞いてみました。
テーマは、「ブログで物語を語ること」とのことです。
なるほど、動画に出演されている方々がブログに物語を書いているのを、私も幾度か拝見したことがあります。大変、面白そうなテーマです。

そして、動画の方も見させていただきました。
文章だけではなかなか到達しないような、興味深い知見がいくつも現れていたように思います。楽しませていただきました。

翻って、「ブログで物語を書くこと」というテーマです。
これについては、私も常々思っていることがあるのですが、これまで、それをこの場所で文章にしたりはしないつもりでいました。
しかし、せっかくの機会ですし、また本ブログの前回のエントリで似たようなことを書いてもいますので、今回はそれに挑戦してみようと思います。私としては「タブーを犯す」くらいの心持ちです。

今回はそんな話です。


ブログで物語


ひとつ前提として、私はこれまで、本ブログにて物語を記したエントリを公開したことはありません。
よって、ここからの文章は基本的にその理由を明らかにするものになるはずです。

さて、話は私が本ブログを開設する以前にさかのぼります。
多くの方にも同意いただけることと思いますが、自分から何かしらの活動をしない限り、「自分で考えて、自分の文章を書く」という経験は、学校での読書感想文くらいのものです。

私も例外ではありませんでした。長いこと、私にとって文章とはそのような意味のことであったわけです。

しかし、私もあるとき、自分から文章を書く機会に恵まれることとなりました。それは具体的には、ミステリ小説を書くことでした。
すなわち、今でこそ、こうして自分の言葉を書き連ねることができていますが、私にとって初めての「自分で考えて、自分の文章を書く」経験は、ミステリ小説を書くことだったのです。

これは私にとって、非常に重要な経験となっています。有り体に言えば、私の原点に相当することです。

それから時代が下って、この「23-seconds blog」を開設する運びとなりました。当初、Evernoteの話と、音楽の話と、オリジナルのミステリ小説をエントリとしていこうと考えていました。
予定は変わるもので、この中で実際に書かれているのはEvernoteの話のみとなっていますが、それはまた別の話です。

本ブログの初めの頃は、Evernoteの話などをしていました。
ひとしきりそれらのエントリを書いた後、そろそろ創作ミステリにも手を付けてみようかと思い立ったときに、私は一つ大きな壁にぶつかりました。

つまり、ここがこの話の本題になるわけです。
すぐ上に、「ひとしきりそれらのエントリを書いた後」と書きました。「それらの」とは、いわゆる普通のブログエントリのことになります。

そういったエントリでは、書いているのは私で、私は読者の方に対して文章を書きます。書かれた文章は、私から読者の方に向いているわけです。
ですので、「私はこう思います」と言ったら、本当にこの私がそう思っているわけです。

一方、ブログに物語を書いた場合、この図式ではなくなります。

私は物語を書きます。その物語は、形式的にはこの私とは別の世界のことであり、同時に、読者の方とも別の世界のことになります。
(私と読者の方は、同じこの世界にいるわけです。)

読者の方は物語を読みます。その物語は、形式的には書いた私とは関係のないものです。
物語を読んでも、「その世界の中からは」私が書いたかどうかは判別できませんし、私がそこに登場するわけでもないためです。
物語という世界にとって、誰がそれを創造したかは知る術がなく、それはその世界に入り込むところの読者の方にとっても同様です。

要するに、物語の世界は、私たちとは別の世界を示しているわけです。

このため、例えば通常のエントリで「私」と言ったときは、それは他ならぬこの私を指していますが、物語のエントリで言ったときはそうではありません。
示している世界が違うためです。

ところが、ブログのエントリとして物語を書いてしまうと、別々の世界を示す文章がすました顔をして同列に並んでしまうのです。

私が「壁にぶつかった」と言ったのは、この部分です。
私には、どうしてもその「世界が違っていること」と「それらが同列に並んでいること」が耐えられなかったのです。

実は、私が以前にミステリ小説を書いていたときも、似たようなことを思っていました。一例としては、ミステリ小説のタイトルと作者名についてがあります。
タイトルと作者名が何かしら掲げられていたとしても、単純に物語の世界を読んでいくだけでは、それらが掲げられていることは判別できません。その世界の外から付けられたものであるためです。

これも私は釈然としませんでした。
私がミステリを書いたときは、その部分が問題とならないよう工夫を凝らし、何とか自分の中で折り合いを付けていたものの、ブログエントリの方は、主に労力の面でなかなかそうもいかなくなってしまいます。
これが、私がいままでブログで物語を書くことができていない理由です。

さて、ここまでの説明で、私があえて使用しなかった単語があります。
「メタ」です。

明らかに、私が本エントリで述べてきたことは「メタ」の話です。

ミステリに限らず物語を好む多くの方々は、(物語において)「メタ」が意味するところはご存知かと思います。

そして、私はミステリの中で「メタ」ならびに「叙述トリック」と呼ばれるものを、心底好んでいます。

このあたりで、結論に移りましょう。
「メタ」を好む者にとって、「その世界が示している範囲」に関しては、どうしても無自覚ではいられないのです。
したがって、本エントリでは、それを好きすぎて逆に縛られてしまった私の苦悩の様子が描かれていると言えるわけです。


終わりに


ですので、私には書くことができないのですが、自分が読者に回った際には、大層テンションが上がります。
大好きだからです。