2013年1月2日水曜日

一年かけて

Clip to Evernote
気づかぬうちに、世間は新年を迎えていたようです。
この時期は、気づかぬうちに時間が経っていることがよくあります。それは本意でないのですが、しかしなぜだか、それでもいいかと思ってしまうようでもあります。
もっとも、「それ以外の日常」と比べて「この時期」を過ごした経験は誰にとっても少ないため、納得いくようにするのは難しいのかもしれません。

ともあれ、新年あけましておめでとうございます。
本年も、この「23-seconds blog」をごひいきいただけると幸いです。

(新年ですので先に書いておきますが、ここから余談です。)
ところで、このようにブログエントリ中に挨拶を書くことは、よく考えてみると興味深いことを含んでいます。

ブログエントリの文章は、私の場合、何かのトピックについて書かれるものです。Evernoteについて、ライフハックについて、といった具合です。
そのときは、文章として表現したいことが(その時点でははっきりしていないとしても)何かあって、それに向けて一文一文を書き進めていくわけです。そして、最後にはその表現したいことにたどり着いて、おしまいになることでしょう。

こう書くと、なんだか「まとめの一文が重要である」といった話のようですが、そういった意図はありません。

ここで述べたいのは、ある一文は、表現したいことに一歩近づくために書かれるということです。
言い換えれば、一文は、次の一文のために書かれるものなのです。
同時に、到達した最後の一文もまた、そこまでに積み重なってきた文章が結実したものであり、文章どうしの関連性の中に存在しているとの意味で、他の一文のバリエーションであると解釈できます。

一方で、文章中にある挨拶などは、その限りでなくなります。
少し上に書いた挨拶を含んだ一文は、「他の文章のために」書かれたものではありません。この一文のときにだけ、突然「これを読んでいる人」が登場してくるのです。
そして、その人に向けた文章になるわけです。

これは、「他の文章のために書かれた」文章の並びとは、明らかに別のレイヤに位置しています。

この状況が当てはまるのは、挨拶を含んだ文章だけではありません。
例えば、「下記の記事で紹介されています」と言って他記事へのリンクをご紹介することもそうです。これも、「下記」に「記事」がきちんとあるのは読む人にとってだけで、この一文にとっては必ずしもそうではありません。この一文自体は論理の展開とは無関係であり、他の文章にはかからないのです。

私が興味深いと思うのはここです。
このように別レイヤに属している文たちが、すました顔をして、同じ場所に並んでいるのです。役割は相容れないのに、装いに差異がないわけです。

ですので、いま、「挨拶を含んだ文章」についての文章を書いてしまうことにより、その構造を破壊することに挑戦してみました。

ちなみに、すぐ下に書くような括弧付きの文章は、その他の文とは装いを異にしていますので、ここで述べたようなことは起きません。それはそれで、また面白く感じます。
(ここまで、余談でした。)

さて、新年ですので、少し今後のことについて考えてみます。

今年、2013年は、本ブログのテーマとして「理解すること」を掲げたいと思っています。

私が個人的に、少し前から「理解することとはなんだろう」との疑問を抱いていました。考えて結論を出し、一つのエントリにまとめることも幾度となく検討しましたが、その度、手強いテーマだと感じていたのです。

そこで、それをブログのテーマとして、一年かけて少しずつ解き明かしていくことを思いついたわけです。

ブログの見た目としては、具体的に何かを変えるつもりはありません。これまでどおり、エントリを続けていきます。
ただ、その中で「理解すること」に関連する話を、いろいろと形を変えながら度々登場させようと考えています。

さしあたって、
  • 理解することとは何か
  • 理解しているとはどういう状況か
  • 理解していないとはどういう状況か
  • 「理解している」から「理解していない」に移行する際に、起こっていることは何か
といったことに触れていく予定です。
上記のうち、多くの方は四番目が気になることと思いますが、私の方は急ぐ旅路ではありませんので、少しずつ進んでいきます。
もしうまくいっていたら、一年後に結果をまとめられると面白いかもしれません。


終わりに


今書いたような、「こういう文章を書きます」という文章も、また妙な立ち位置にいるように思います。