2013年2月2日土曜日

マンホールのダイナミズム

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物事が発生する理由を考えようとする場面が、日常では時折あります。
私が話題にしたいのは、ここで言う「物事」が、「誰かがそのようにしたこと」である場合についてです。人が、意図を持ってそのようにしたことです。

この方向から説明しようとしても埒が明きませんので、例を挙げましょう。

例えば、「マンホールのふたが丸いのはなぜか」のようなことです。たびたび、こういったことは「雑学」などと呼ばれて、人々の興味を引き寄せたりすることでしょう。
私はマンホールの歴史に詳しくありませんが、きっと、それのふたは丸く作ってあるから丸いのであって、(単純な意味での)自然現象ではないはずです。冒頭に書いた数行は、そういう意味です。

いま、括弧書きで「単純な意味で」との断りを入れましたが、これが後の伏線になる予定です。ここでは、いったん無視して進めます。

マンホールのふたが丸い話でした。
どうも私は、この手の話があまり好きではありません。ものすごく嫌い、といったことはないのですが、なんとなく腑に落ちないものを感じるのです。

繰り返すように、マンホールのふたは人間の意図があって作られているものです。そこには、より良いものを作ろうとする試行錯誤があったことでしょう。
ですので、マンホールのふたが丸いのは「丸いと落下しないため」では決してなく、「丸いのが良いと思って作ったら、いまのところ問題が起きていないため」です。

もちろん、ここで「良いと思って」にたどり着くためには多大な労力がかけられていると思います。「丸いと落下しないだろう」との予測も、科学的な計算もあったはずです。
しかし、もしも今後、マンホールのふたが丸いことに起因する問題が表出することがあれば、また試行錯誤と改良がなされることでしょう。

だからこそ、マンホールのふたが丸いのは、いまのところそれで問題がないからなのです。

少し脱線すると、「丸いと落下しないためだ」と言う人も、そこのところはきちんと踏まえた上での発言かもしれません。それなら、「発言する人」には何も問題はないでしょう。
一方で、「発言として」は良くありません。何かを踏まえての発言であるなら、その踏まえたところも表明しなければ、受け手には伝わらないのです。

話を戻します。
いずれにせよ、「丸いと落下しないためだ」と言い切ってしまうような、思想というか、態度というか、そういったものには気を配る必要はあります。

といったこと(だけ)を、これまでの私は考えていました。


ダイナミズム


別の話をします。
いま、『銃・病原菌・鉄』という本を読んでいます。草思社文庫では上下巻に分かれており、私はちょうど上巻を読み終えたところです。
(写真は上巻です。)
『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド)
ジャンルとしては、人類史や文化史ということになるでしょうか。非常に面白い本です。

私はこの本を読んで、私の中の概念的な思考の枠組みが変化するような、強い衝撃を受けました。
(つまりは「パラダイムシフト」なのですが、「パラダイム」とはある集団の中で共有されている思考の枠組みのことであるはずですので、私個人の話には不適かと思い、妙な日本語になってしまっています。)

衝撃を受けたのは、物事のとらえ方、見方に関する部分です。

私はその、人類史や文化史に造詣が深くありませんので、それがこの分野では普通のことなのかはわかりませんが、同書では、物事を数十年とか数百年という単位で見ています。
そのように長い期間を元にして考えると、大きな流れとして、「こういう事柄が発生したのは、このような理由からである」と言い切れるようになります。

このあたり、私の理解がまだ足りていないためか、うまく説明できないのがもどかしいのですが、例えば「淘汰」や「ダイナミズム」といった単語によって、それは表現できているように思います。
細かいところを見れば違う部分は必ずあるが、大きな動きを観測してみるとそのようになる、といったイメージです。

そして、そのような「淘汰」や「ダイナミズム」を考えようとする発想が、これまでの私にはないものでした。少なくとも、意識できる範囲にはなかったわけです。

ここで、冒頭の伏線が回収できます。
現在、マンホールのふたが丸いのは、(細かいところを見ればいろんなことがあったかもしれないが、)大きな時の流れとして、そして人間という生物の営みとして、様々に淘汰されていった結果であり、つまり、それが丸に向かうのは必然であると言えるわけです。

その意味で、「マンホールのふたが丸いのはなぜか」の回答は、「自然現象」ともなり得るのです。

私はずっと、「よく考えること」とは「細を穿つこと」と等価であるように思っていたことになりますが、それは同時に「ダイナミズムをつかむ」ことでもあったのでしょう。


終わりに


ちなみに、私が書店で『銃・病原菌・鉄』を手に取るに至ったのは、次の記事が頭にあったためです。

【第2回】『銃・病原菌・鉄 — 1万3000年にわたる人類史の謎』(ジャレド・ダイアモンド著・倉骨彰訳)|finalvent|新しい「古典」を読む|cakes(ケイクス)

同書を読み終えたところで、こちらの記事も再度読んでみます。
楽しみです。