2013年2月23日土曜日

スタティックに見直す

Clip to Evernote
いつのことでしたでしょうか、数学の授業で有理化というものを習いました。分母に根号のついた数があるときに、それを除去するための手続きのことです。
原理を飲み込むのはとても容易で、すなわちある数に1を乗じてもその値は変化しないことです。

例を挙げます。
という数があったとき、
(後のために、これを①と呼ぶことにします。)

値が1である数をそれにかけ算することで、
有理化された数を得ることができます。
(こちらを②と命名しましょう。)

ここまでに疑問はありません。

さて、もともとの数①を再度見てみます。有理化との言葉からもわかるように、こちらは無理数です。
ですが、①は明らかに②と等しい数ですので、②も無理数です。無理数に対して有理化をおこなうと、無理数がでてくるわけです。

これは別に不思議な話ではありません。ここで私が取り上げている手続きは、正しくは分母の有理化と呼ばれるものだからです。①の分母は無理数であり、なるほど②の分母は有理数です。有理化されているわけです。

いま、このように回りくどい論を進めたのは他でもありません。分母の有理化なるものが、その呼称ほどとんでもないものでないことを示したかったのです。
もっとも、1をかけ算しても値は変わらないことは理解しやすくある一方で、最初にそこに思い至った人に対する畏敬の念を、私は相当に抱いています。その部分に関しては、とんでもないことが起きてはいます。

話を戻します。分母の有理化なる手続きは、それほど大したことを行っていないとの話でした。
だとすると疑問が出てきます。そのような手続きは何のために行われるのでしょうか。なにせ、ある数に1をかけ算するだけの簡単な手続きなのです。

よく言われるように、数字を簡単にするためでしょうか。おおよその値を知るためでしょうか。あるいは、ひとつの値の表現は一意にしたいからかもしれません。無理数における除算を定義するためとも言われるようです。

深入りは避けます。しかし、私はこれらのいずれもが理由として納得がいかない部分を含んでいると感じています。
何のために分母の有理化を行うのかという問いに答えるのは、それほど容易でないことかもしれません。

ここからは私の感想の話です。

私は件の問いについて、分母に根号がある数字はでこぼこに感じるから、との考えを持っています。逆に、分母が有理化された数字は平坦に感じるから、でも構いません。

これ以上説明のしようがなかったりします。
ルートが分母にある数字は、でこぼこして、ごつごつして、自己主張が強く感じます。同じ値にも関わらず分母が有理化されていると、平らで、しゅっとしていて、坦々としているように感じます。

私は坦々としているのが好きです。だから、分母の有理化を行うのです。

思えば、私が坦々としているものを好むような状況は、分母の有理化のみならずあります。

本ブログの右上にもあるとおり、私はテクノが好きです。中でも、ミニマルテクノと呼ばれるジャンルとその派生が好きです。近頃はミニマルテクノという言葉もあまり聞かなくなってきたような気がしますので、いちいち「とその派生」との文言を付け加える必要があるのは手間なことです。余談でした。

ミニマルテクノは坦々とした音楽であり、私はそれを好きなわけです。ミニマルテクノに限らずボーカルがいるような音楽でも、私が好む中には坦々としたものがあります。詳しくは立ち入らないことにして、ダイナミックな表現に頼らずとも空間を保ち続けられる音楽である、との言葉だけ残しておきます。

坦々とした音楽を楽しんでいるときには、それがダイナミックであるときとは異なった心の動きがあるように思うのです。

そんなことを思いながら世界の方にふと目を向けてみると、興味深いことに気づきます。
坦々としたものを好む心を持っていると、世界を楽しむのが容易になることです。

今日は特別においしいものを食べたりも、特別にどこかに行ったりも、特別に何かを買ったりもせず、坦々と毎日を過ごしているだけで楽しいのです。
正確に言うなら、坦々と毎日を過ごしていることが好きなのです。

身の回りにある多くのものは、何とかして私たちの生活をダイナミックにさせようと策を巡らせてきます。スタティックなものが好きなら、それらに頼ることなく楽しさを作っていけるわけです。

楽しさを、外に探しに出なくてもよいのです。
でこぼこしていてダイナミックな世界をしゅっと平らに見直すだけで、それを楽しめるかもしれません。

この気づきは大きいです。そして、その手続きは分母の有理化に似ています。
大きな気づきなので、お風呂から飛び出して「有理化!」と叫びたくなります。


終わりに


ダイナミックな音楽も、もちろん好きです。