2012年11月18日日曜日

冬とモレスキン

Clip to Evernote
モレスキン好きにはおなじみの「モレスキナリー」さんで、こちらの記事を読みました。

Keiの寒くなってきたのでモレスキンを振り返ってみる・・・ | Moleskinerie

そこで、下記の記事が紹介されています。

モレスキンが使いたい 手帳と私の生活ブログ

こちらに、大変興味深い一文がありました。引用いたします。
なぜだかわかりませんが、寒くなるとモレスキンが使いたくなります(笑)
こちらの方は、寒くなると、または冬になるとモレスキンが使いたくなるそうなのです。
(本エントリでは「冬になると」で統一することにします。)

私はなぜだか、こういった話を見るといろいろ考えずにはいられなくなります。
何と言いますか、
  「冬になる」 → 「モレスキンが使いたくなる」
のような、一見論理的でない論理に興味を引かれるのかもしれません。

この文章は論理的でないから良くない、といった話ではまったくなく、「この論理が成り立つこの人は、どんな人なんだろう」とか、「この論理が成り立っていると感じる感覚は、どんなものなんだろう」といった、ずっとずっと夢見がちな空想です。

ひとつ例を挙げておきます。
『それでも、読書をやめない理由』という本には、以下のような文章があります。少し長くて申し訳ありませんが、引用いたします。


『それでも、読書をやめない理由』(デヴィッド・L. ユーリン) 
たとえば、ロワー・マンハッタンのスプリング・ストリート書店のような、お気に入りの本屋へ入っていくとしよう。店内の様子、におい、壁を覆っていたり、新刊案内のテーブルに積まれたりしている書物の量。それらが、たちまちわたしの下腹を打つ。とたん、腹がごろごろいい出し、括約筋がきゅっと締まる。

こちらは、
  「好きな本屋に入る」 → 「腹がごろごろいい出す」
との論理なわけです。
これはどういうことなのだろうと、やはり興味を思えます。

今回はそんな話です。


冬になると


「冬になると、モレスキンが使いたくなる」にある名詞は、「冬」と「モレスキン」です。これらを見ていくことで、何かわかるかもしれません。

まずは「モレスキン」を見ます。
個人的に、確かにモレスキンには冬のイメージを感じます。特に、年月が経って使い込まれたものではなく、薄いビニールを開封したばかりの、ゴムバンドをきれいにつけた様子がとても冬らしいです。張りつめたといいますか、凛としたといいますか、そんなところです。
(「凛とした」との言葉が存在する日本語は素晴らしいと思います。)

「冬」はどうでしょう。
私がこの「冬になるとモレスキンが使いたくなる」を目にしたとき、ぱっと頭に浮かんだ言葉があります。

「冬って、自分と世界の境目がはっきりするから良いよね」といった趣旨の言葉です。うろ覚えで申し訳ありませんが、昔読んだ小説(確か、『半分の月がのぼる空』)にあったものです。

私はそれに強く影響を受けました。とても好きな言葉です。
それまで夏が好きで冬が嫌いだった私が、冬も悪くないな、と思うようになったほどです。

この言葉が示すとおり、「自分」は「世界」ではありません。少なくとも、「世界」そのものではないはずです。
ですが、こういったことが日常で意識にのぼることはあまりありませんので、ともすると忘れてしまいがちです。意識にのぼらないと、何やら、「自分」が「世界」に溶けこんでしまって、「自分」の実体が見えなくなってしまうようにも思えます。

それでも、「自分」と「世界」の間には、確かに境目があります。張りつめた冬の空気は、それを鮮明にしてくれるものなのでしょう。

このあたりで、一つ結論が出たでしょうか。

モレスキン好きにとってのモレスキンは(あるいはノートブック好きにとってのノートブックは)「自分」に非常に近い存在です。これはまず疑いようのないことです。
しかし一方で、モレスキンとは単なる物質である以上、どちらかといえば「世界」の方に属するものになります。

もちろん「自分」と「世界」の定義にもよりますが、モレスキンは「世界」にあるものであり、かつ「自分」そのものではありません。残念ながら、これは間違いないことです。

ですが、この畏怖すべき「世界」の中で、モレスキンはものすごく「自分」に近い場所にいてくれるものであることも、また正しい実感です。
言い換えれば、「自分」と「世界」の境目にいるのがモレスキンです。

そして、冬は、自分と世界の境目に思いを馳せる季節です。冬は、自分が世界ではないことに意識を傾けることのできる季節です。
そのために、まさにその接点にいるモレスキンを使いたくなるのかもしれません。

そんな結論でした。
私は今、モレスキンに出会えて心から良かったと、再認識しているところです。


終わりに


個人的に、本エントリのタイトルは非常に気に入っています。
新谷良子さんに「月とオルゴール」という楽曲があるのですが、それのオマージュになっています。

その「月とオルゴール」を初めて見たときに、すごく良いタイトルだな、と感じ入ったことを思い出しました。