2012年6月10日日曜日

落ちないように、落ちるように

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この世界には様々な人がいて、それぞれの個人のあり方は個性として認められていると思います。

今回はそんな話です。


内向的な人


こちらの記事を読みました。

[TED]人見知りや独りでいるのが好きな人へ。「内向的な人が秘めている力」by スーザン・ケイン

TEDの「内向的な人が秘めている力」との動画を取り上げた、素晴らしい記事です。
タイトルから明らかなように、こちらの動画、ならびに記事では「内向的な人」についてが述べられています。

話がややこしくなりますので、以降は動画ではなく上記の記事を基にして進めていくことにします。
引用いたします。
しかし、内向的なリーダーは他の人をよく観察し活かすのに対し、外交的なリーダーは仕切ることに夢中になって他の人を活かせない場合もある
ここに引用した文章に限らず、この記事では内向的な人が持つ力についてが書かれています。

さて、こういった「実は、内向的な人の方が……」といった文章からは、個人的にもとても勇気をもらえることもあり、安易に信じてしまいたくなります。

ですが、これは実際には判断の付かないことですので、慎重に理解を進めていく必要があります。

つまり、内向的な人がそのような文章を読むと、心から同意できたり、勇気をもらえたりする一方で、そうでない人にとっては大したことのない内容かもしれないのです。
そして実際にも、内向的な人が本当にそういった類の力を持っているかどうかを、何らかの確信を持って言えたりはしません。

このことは、苦しくても、どうしても認めておく必要があります。
実は内向的だと何かに優れている、といった物言いは、一種の誘惑なのです。


そんな世界


上に掲げた記事から引用いたします。
確かに、日本の学校の教育も「外交的であること」を是としてつくられていますよね。
事あるごとにペアや班を組まされるし、集団行動など「いかに社会の一員としてやっていくか」という面が重視されているなとは思います。
先述したように「内向的だからといって特別な力を持っているとは限らない」一方で、ここに引用させていただいたようなことがあるのは、おそらく事実でしょう。
つまり、この世界では「内向的では良くない」と矯正されることになるのです。

その無理やりの矯正には、「社交性」だとか「コミュニケーション力」といった、私たちにとっては得体の知れない名前が付けられます。

もう一つ引用します。
それは確かに重要なことですが、そういった学校生活で内向的な人が感じる違和感やコンプレックスがかなり大きいことは、想像に難くありません。 
職場でも、内向的な人はどちらかといえば「付き合いが悪い」などと言われてしまいがちな傾向はあるかと。
あるいはこちらで述べられているように、「付き合いが悪い」と名付けられたりもします。


少しだけ、人と違う


人より少しだけ内向的なだけで、あるいは内向的だけに限らなくても、人と少しだけ異なった性質を持っているだけで、無視できない程度にこの世界は住みにくくできています。

かくいう私は、自分のことを内向的だとは思っていませんが、少しだけ読書とコーヒーと音楽が好きで、そして少しだけ人が苦手だったために、この世界を住みにくいと感じたことはあります。
別に、私が何か大きなことをしたわけではありません。ただ少しだけ、好きなものと苦手なものがあっただけなのです。

tiarawayの「I fall there~夢の続きへ~」という曲には、こんな一節があります。
少し寒がりやで 夢追いがちで
泣き虫なんて 最悪だね
たったこれだけのことで、本人が「最悪だね」と悩んでしまうほどに、この世界を楽には生きていけないのでしょう。

書籍『数学ガール』には、このような文章があります。

数学ガール』(結城浩) 
「あたし、どんなことにも人一倍時間がかかるんです。そのくせ、ひっきりなしに疑問が出てくる。しかも、人に聞くことが難しいことばかり。それでうんざりして……」
行動するのに人より時間がかかって、疑問に思うことが多いだけで、やはり生きていくのは大変です。それ自体は決して悪いことではないはずなのに、です。


世界を生きる


それでも、私たちはこの世界で生きていく必要があります。
好き好んだわけでもないのに、「少しだけ人と違う」ために、茨の道を行くことを宿命づけられているのです。

残念ながら、これは避けられません。
tacicaの「HERO」という曲には、こんな一節があります。
僕等どう綺麗に歩いたって
自分まで騙し切れないで
自分を曲げて、人と異なった性質が表れないように生きようとしても、自分を騙すことはできないためです。

したがって、何か強大な武器が欲しいです。

その武器として持ち出したいのが、前半で述べた「実は内向的な人が優れていること」です。

先ほどは「実際にはそうとは限らないから、安易に信じてはいけない」と述べました。
それは確かです。確かですが、せめて、私たちが生きていくうえで困難さを感じたときに少しだけ思い出してみることくらいは構わないでしょう。
「今は生きるのが大変だけど、こうやって苦労する人にしかできないことがある」と考えて、元気を出すための手段にするのです。

実際にはそうでなくても、元気が出るのなら、それに越したことはありません。
困ったときには、こんな考えに頼ってみるのも、きっと悪くないはずです。


もう一つの武器


もう一つ、さらに強力であるものの、あまりお勧めのできない武器があります。

茅原実里さんの「この世界のモノでこの世界の者でない」という曲に、以下のような一説があります。
感受性潰す マジョリティばかりが
横たわる世界の中で
最初に躓き 最初に戦う
そんなヒトになる
その武器とは、ここから連想されるような強い「決意」のことです。
(回りくどい表現です。)

しかし、だからといって「皆さん、この武器を持ちましょう」とは、とても言えません。


終わりに


もちろん、私が世界に期待しすぎている可能性もあります。