2012年8月6日月曜日

ついでのメリット

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世間的には「ライフハック」なる言葉がすっかり浸透し、それなりに批判のようなものも出尽くした頃かと思います。
私個人としては、「ライフハック」に対する評判を十分な量、直接目にしたことがありませんので、あまり実感はありませんが、言葉としての盛り上がりは一時期ほどはなくなっているのだろうと感じています。

ですが私はライフハックが好きですし、これからもそれについて考えることを止めるつもりはありません。それから、ライフハックが人生を良くすることも信じています。
これは私が過度に夢見がちなこともあるかもしれませんが、いずれにせよ、ライフハックには力があるのです。

さて、やけに仰々しい話から書き出していますが、本エントリではある一つのライフハックについてご紹介したいと考えています。したがって、上記の内容で始まるような、「ライフハック論」に踏み込むエントリにするつもりはありません。
「ライフハック」とは何かがさっぱりわからなくても、意味のある内容になるはずです。

であるなら、ここまでの話は不要であるとも言えます。確かに、どうしても必要かと言われれば、そんなことはありません。

この辺りの無意味さを説明するためには、私の生い立ちについてまで触れることになってしまいますので、今回はあまり立ち入らないことにします。
私の好きな言葉は「過度」や「過剰」です、とだけ書いておくことにします。

今回はそんな話です。


ついでに


本エントリで私が提案したいライフハックは、「ついでにやること」に関することです。
提案とは言ったものの、私はすでにその効果を実感しているので、紹介、などとするのが正しいでしょうか。

状況としては単純です。
何かタスクを行う場面にあるとします。ここでは仮に、コンビニに買い物に行くことだとしましょう。
そこで、自分でふと思い出しても、周囲の人から言われても良いのですが、「コンビニに行くのだから、ついでに近くの薬局に立ち寄って、別の買い物も済ませてしまおう」となることがあります。

特に珍しくない光景だと思います。


時間がかかる


ここで私が言いたいのは、どんなに「ついで」であっても、それを時間ゼロでこなすことはできないということです。
今回の例で言えば、どんなに薬局とコンビニが近くにあっても、コンビニだけに行ってくるのと完全に等しい時間で、コンビニと薬局での買い物を済ませることはできないのです。

加えて、「ついで」の作業はもともとの時間の見通しに含まれていないことにも注意が必要です。
やはり上述の例で言えば、「30分で帰ってこられるな」と思ってコンビニに向かったのに、途中で薬局にも寄ることにしてしまったために、帰ってきたら45分も経っていて驚いたりするわけです。

コンビニに買い物へ行くことならそれほど問題にならないかもしれませんが、これが時間を気にしながら行う仕事だったらどうか、というのが本エントリで重要な部分です。

つまり、
  • 仕事Aを二時間で終えようと考えた
  • いざ仕事Aに取りかかろうとしたところ、仕事Bも「ついでに」やれることに気づいた
  • 実際にやってみた
  • 終わったら、二時間半が経過していた
との状況です。


ついでの仕事B


もちろん、仕事Bが、今まさに行おうとしている仕事Aと同じくらい重要で緊急のものであるなら、何も問題はありません。

ですが、仕事Bがただ単に「ついでにやれるから」との理由で実行されたのであれば、これは良くありません。仕事Bが完了しても状況はあまりプラスにならないのに、今対象としたい仕事Aを終えるための時間は長くかかってしまうためです。

どんなに「ついでに」やるのが効率的に見えても、時間ゼロで行うことはできないのです。

話は逸れますが、「効率化」との言葉には、どこかこういった虚しさや間抜けさの響きがあるように感じます。不思議です。


対策


この「ついでに」問題の対策として考えられることはあまり多くありませんし、そもそも、汎用的な対策を考えるのは難しいです。

その中で一つ間違いないのは、「ついでに」の言葉の魔力とでも言いますか、「すごく効率的にやれそうな雰囲気」を感じたら、それを疑うことです。
言い換えると、「ついでに」やるのが本当に価値あることではないかもしれないと「知る」ことです。

作業のついでに別の作業が終えられることが、何か劇的なメリットをもたらしたりはしませんし、むしろマイナスになることだって珍しくありません。
それなら、合計の時間がより多くかかってしまっても、仕事Bは他の適切なタイミングに、適切な見積もり時間の下で行われる方が価値があるでしょう。

さて、今回の話は「明日出来ることは、今日やらない」や「作業の脱線」、「割り込み作業」といったトピックにもつながりそうです。
それらを「ついでに」との言葉の方から見てみたと考えると、もう少し話がわかりやすくなるかもしれません。


終わりに


すると次に考えるべきなのは、「ついでに」にはそういった魔力のようなものがどうして備わっているのか、といったことになります。
考えれば考えるほど、ついでで作業を行うことにメリットはないような気がしてきます。

考えない方が答えが出るのでしょうか。
そもそも、「考えない方が答えが出る」などという状況はありえるのでしょうか。