2011年12月26日月曜日

話が脱線する

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周囲の人と話していたとき、「話が脱線する」という語の使われ方について違和感を覚えました。

本エントリで、明確に定義しておきたいと思います。
正確には、宣言ですね。


前提


とりあえず「話が脱線する」は、「本筋と関係ないことを言う」で間違いないと思います。

本筋と関係ないことを言った瞬間に「脱線した」ことになるかどうかが問題です。
私が違和感を覚えた部分も、この辺りにあります。

これは、「関係ない」が向くベクトルで分類できそうだと考えています。


外向きのベクトル



メインとなる線があり、そこから遠ざかる向きに話が進んでいく場合、これは「脱線」で間違いないでしょう。
ここでの「脱線」は、ふつう言われるように、あまり良くないものとして捉えて構わないようです。何の話をしているのかわからなくなってしまうためです。

もちろんこれ自体が良いものと考える場合もあるでしょうが、今回は無視します。


内向きのベクトル



重要なのはこちらです。
メインとなる線と離れた地点から話が始まり、徐々にメインの向きに近づいていく場合です。
冒頭で「本筋と関係ない話をしたら脱線」と書きましたが、それに照らせばこれも脱線です。
しかしこの状況は、本筋に戻ってくるために関係ない話をしているのであって、「脱線」と呼ぶのは不適切です。
または仮にそう呼んだとしても、良くないものではありません。

私にはこれをうまく表現する日本語が思いつきませんが、「収束」に近いイメージです。
狭義に捉えるなら「例示」でも良いかもしれません。

こちらは、ミステリ小説でよく用いられる手法です。森博嗣や京極夏彦に顕著ですね。
話が脱線しますが、この二人の作品は同じカテゴリに入ると思っています。
どちらかの作家が好きな方は、もう一人も読んでみることをおすすめします。
表面的にはまるで違うのですが、そこにだまされてはいけません。


ここから言えること



以上の「脱線」の差異から、文章を書くときや話をするときのコツのようなものが見えてきます。

「脱線」すると本筋がわからなくなってしまい、「収束」すると話がまとまりやすく、受け手も納得しやすい、といったところでしょうか。


結論を言うこと



何にせよこの手の結論めいたことを書くのは、私は苦手です。
ここに到る過程を共有する方が大事です。

これに類することは過去何度も書いていますが、何度でも書きます。
私がブログを書く動機の一つだからです。


終わりに



無駄なエントリと見る方もいると思います。
しかし私はこういった手続きを、ライフハックと呼んでいます。