2012年10月11日木曜日

蓄積にかかる手間

Clip to Evernote
仕事の進める上での考え方の一つに、自分なりのチェックリストを少しずつ作成していく、というものがあります。
これはつまり、日々作業を行っていく上で、気になったことや誤ってしまったことなどを逐一リストにしておき、成果物を検証するときにそれを持ち出してくることを指しています。
具体例で言うなら、あるとき句読点の付け方が良くない資料を作ってしまったとして、リストに
  • 句読点の付け方を確認する
との項目を記述しておくわけです。すると次に資料を作る機会には、このリストを用いてそれを点検することで、少なくとも句読点が適切でない資料が出来上がることは免れることができ、嬉しいのです。

さて、このようなチェックリストは、基本的には自分が将来の自分のために作成するものです。もちろん、そうでないものも世の中にはたくさんあるでしょうが、そうでなければないほどその効果は低くなると予想できます。

ですので、本エントリでは、自分で使うために、自分で少しずつ作るチェックリストに限定して、考えを進めていきたいと思います。

今回はそんな話です。


チェックリスト


それにしても、気にすべき事項が目に見えるようになっていることには大変な効果があります。何もこれは「チェックリスト」などという仰々しい容姿をしている必要はなく、とにかく今気にしたいことが目の前に明らかになってさえいれば、十分に効果的です。
と言いますか、逆に、今気にしたいこと(先の例なら「私は句読点を適切に使っているだろうか?」)が頭の中にしかない状態で成果物を点検する苦しさといったら、筆舌に尽くしがたいものがあります。
この場合、いてもたってもいられず、私は目の前にある紙に「句読点は適切に使えているか」と書き出すのです。

この意味では、「チェックリスト」との名称は少し派手過ぎるのかもしれません。
重要なのは、気にしたいことが目の前にある状態の方です。名づけるなら「蓄積しないチェックリスト」となるでしょうか。

気になることを書き出して、その紙をきちんと保管しておき、次に気になることがあったらそこに追記する形式を採っていれば、それは普通のチェックリストです。
すぐ上で述べたのはそれとは異なり、苦しくて書き出さずにはいられないからそうしただけで、それをとっておいたり追記したりするかどうかは二の次になっているわけです。「蓄積しないチェックリスト」とは、そのような意味です。


蓄積する


別に、チェックリストが蓄積しようがしまいがどちらでも良いことではあります。それに、両者にはそれぞれに違ったメリットがありますので、そこは踏まえておくのが良いと思います。

ただ、蓄積する方、つまり普通のチェックリストを活用しようとする際に、一つ注意すべき点があります。蓄積しないチェックリストの方では、原理的に起こらないことです。

それは、チェックリストは、ほんの少しでも「これは飛ばしてもいいかな」「省略してもいいかな」と思ってしまうと、かなりの程度で価値が下がることです。

上で、チェックリストの項目は気になることがある度に追加していくことを述べました。しかし、それを繰り返していると、じきにそのリストを用いて成果物を点検するのに多大な時間がかかるようになってきます。
単に時間がかかるだけならまだしも、例えば、ずっと前に追加した項目が今や用を成していなかったり、項目が多くて点検自体を面倒に感じるようになってきたりすると、もはやそのリストは使い物にならなくなってきます。

冒頭で、他人が作ったチェックリストは効果があまり高くない、といったことを述べたのは、このことを理由にしています。
(もちろん、他人が使うことを念頭に、検討に検討を重ねたチェックリストはその限りではありません。それは、『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?』(アトゥール ガワンデ)などで明らかです。)

使いどきがぴったりで、省略できる項目は一つもないと心底思っていて、その効果を信じて疑わないようなものでないと、本当に効果のあるチェックリストとは言えないわけです。
状況に完全には合致していないようなチェックリストを持ち出してきて、「この項目は今回はチェック対象外だ」などというものがあったりすると、「あれ、これも、これも対象外なんじゃ……」と思ってきてしまい、身の入ったチェックは望めないのです。
(ちなみに、これは「まったく考慮していなかった事柄を教える」ような目的には効果があるかもしれません。このあたりはまた別の機会に考えてみます。)

このように考えていくと、究極に効果の高いチェックリストは、蓄積しないものであると言うこともできます。

一方で、蓄積するようなチェックリストを活用しようとするなら、それなりの手間と工夫をかける必要があることを、心にとどめておく必要があるのでしょう。


終わりに


自分で言うのも何ですが、句読点が良くない資料を作ってしまった、との状況がいまひとつぴんときません。