2012年10月14日日曜日

幽霊を探さないで

Clip to Evernote
本エントリでは、私が好きなものについて書きます。
と思いましたが、今私が書こうとしていることが、好きなものについてではないような気もしてきました。
とはいえ、私は基本的には「これは何についての文章か」「何を伝えたいのか」といったところは、読む人に自由に解釈してもらってよいものだと思っていますので、「私が何について書こうとしているか」はそれほど重要ではありません。
(よくわかりませんが、このあたりの感覚はフィクションを書く人のそれに近いのかもしれません。)

一応、テーマとしては「瞬間」とか「一時的」といったものを想定しています。

今回はそんな話です。


コーヒー


私はコーヒーをよく飲みます。それは自宅、外出先を問わずのことですが、ここでは自宅でコーヒーを飲むときの話をします。

私は、自宅では必ずコーヒーをホットで飲みます。ここにはそう深い意味はなくて、私がコーヒーはホットの方がおいしいと思っているために過ぎません。

そのとき感じることがあります。
それは、どうやら私は冷めたコーヒーが好きらしい、ということです。
熱いコーヒーを入れて(「淹れて」は常用外のようです)、コーヒーをおいしく飲んでいるのですが、そのコーヒーが冷めてきたときに飲むと、おいしさとは違った何とも言えない満足感を覚えるのです。単純に比較すれば、間違いなくコーヒーは熱いほうがおいしいにも関わらず、です。

これについて細かく見てみると、私はコーヒーが冷めていく瞬間が好きなのかもしれないとの考えに至りました。清水愛さんの『記憶薔薇園』という曲に、「消えてく瞬間が好きでも 探さないで」との歌詞がありますが、たぶん、発想はこれと近いと思っています。
言い換えると、冷めたコーヒーはさほどおいしくなくても、コーヒーが冷めていること、コーヒーが冷めてきたこと自体に、私が満足する要素があるようなのです。

私は、コーヒーをまず間違いなく毎日飲んでいます。
それと、私はどちらかというと性格がのんびりしています。というか、のんびりしているようです。これは最近気づきました。

普段、時間に追われて生活していると、自宅でゆっくりコーヒーを飲む機会にはあまり恵まれません。熱いうちに、急いで飲み干して家を出る、といったこともままあるわけです。
一方で、時折は、ゆっくりコーヒーを飲む時間を確保できることもあります。休日などがわかりやすい例です。

これが、私が「コーヒーが冷めていること、コーヒーが冷めてきたこと」自体に満足を得る理由です。
冷めたコーヒーを飲めることはすなわち、自宅でゆっくりする時間がとれていることの象徴であるわけです。これは、自宅でゆっくりすることが好きでない方には自明でないのでしょうが、私にとっては、それはもう満足なのです。


幽霊


まったく別の話に移ります。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」との言葉があります。
私がこの言葉がとても好きです。「疑心暗鬼を生ず」よりも好きです。

これは、江戸時代の俳人、横井也有が「化物の正体見たり枯尾花」とつづったのが出自のようです。
横井也有については、こちらのページが詳しいです。

y横井也有

とても興味を引かれましたので、私も後ほどじっくり読んでみたいと思います。

さて、一つ気になるのは、この「幽霊(化物)の正体見たり枯れ尾花」、横井也有はどのような状況でこれを書いたのでしょうか、とのことです。
より詳しくは、「枯れ尾花だった!」と感じたのは誰だったのでしょうか、と言い換える方が良いかもしれません。
もちろん、きちんと調べればそのあたりのことはわかるのでしょうが、ここからはまったくの私の想像を書いてみます。

一つめに思いつくのは、横井也有が第三者だったパターンです。
その場合、横井也有の知り合いあたりから「それがさ、枯れ尾花だったんだよー」といった話を聞き、それを書き残したことになります。なるほど、ありそうな話です。

二つめは、横井也有が自分で「枯れ尾花だった!」との状況を経験したパターンです。
これは、横井也有ほどの人(といってもよく知りません)がそのような人間らしいエピソードを持っていることを意味しますので、それはそれで面白いです。

三つめは、これが幽霊(化物)目線で書かれているパターンです。
考えてみれば、幽霊は、「あれ、幽霊かも……」と思われた瞬間から、近づいていって「なんだ、枯れ尾花じゃないか」と確かめられた瞬間までの、ほんの少しの間にしか存在できない、うたかたの存在です。それはちょうど、熱いコーヒーが冷めてきたときにしか得られない満足感に似ているようにも思えます。
そう思ってこの「幽霊の正体見たり枯れ尾花」を見てみると、何だか物悲しいものがあります。これは、幽霊がほんの少しだけこの世に生を受けて、すぐに消失していってしまう様子を表しているわけです。
私はそんな、「消えてく瞬間が好き」だったのかもしれません。

でも、「探さないで」とのことですので、そっとしておこうと思います。


終わりに


そんなことを考えているうちに、コーヒーが冷めてしまいました。