2012年12月16日日曜日

十年も続くこと

Clip to Evernote
今から十年ほど前に、当時から音楽が好きだった私は、ある主張をどこかで目にしました。
それは「ボーカリストがどんなに感情をこめて歌っても、それが作詞家などの本人以外による作詞であるなら、説得力という意味では、自分で作詞して歌うボーカリストには絶対に及ばない」といった趣旨のものです。

こと「歌とその歌詞」の関係に限れば、私の気持ちは十年前から一貫して「そんなことはないだろう」です。
つまり、他の人が作った歌詞を歌う人が、負けないくらいの説得力を備えていることはそう珍しくなくあると思うわけです。もう少し言うなら、歌の説得力の有無は、歌う人が作詞したかどうかには特に依存していないような気もするのです。
(音楽に説得力が必要かどうかは、また別の話であるとしておきます。)

歌に関しては、私の中ではここまでの話で納得いっています。
他方で、冒頭の説得力に関する主張は、さらに大きな問いかけを私に与えることになりました。
すなわちそれが、「当事者」と「説得力」の関係についてです。

今回はそんな話です。


当事者と説得力


この、「当事者と説得力」との言葉が指しそうな範囲はかなり広くなりそうですので、上述の歌と歌詞の話のように、例を挙げることにします。その場合、まずは「説得力」との言葉を定義する必要があるのでしょうが、今回は気にせず始めてしまいます。

ビジネス書を読むときのことです。
以前、「作家ではなく、成功した社長などが自身の体験をもとにして書いたビジネス書を読むことにしている。その方が説得力があるからだ」との主張を目にしたことがあります。
これを見たとき、私にはそのような視点で本を選ぶ発想がまったくありませんでしたので、とても驚いたことを思い出します。そして、確かに筋は通っており、なるほどとも思いました。

しかし、ここで疑問がわいてきました。
「成功した社長が書いた文章の方が説得力がある」との主張を、どうして私は「筋が通っている」と思ったのでしょうか。

その主張を受けてここで真に考えるべきは、文章により説得力があるのは社長と作家のどちらなのだろうか、になることでしょう。「その方が説得力があるからだ」と言われているわけですので、本当にそうなのかを考えるのが自然な流れになるわけです。
(例によって、そもそも本の文章に説得力が必要かどうかはまた別の話です。)

ですが私は、そこにたどり着く前に、別のところで立ち止まってしまいました。
私が何をもってそれを「筋が通っている」と感じたのか、疑問なのです。これはもう、完全に個人的な話ですが、これを明らかにしないと本題に入れませんし、とても大事な疑問である気もします。

この疑問はつまり、「説得力の所在が、どこであるように思えるのか」と言い換えることができます。「説得力の所在はどこか」ではなく、「どこにあるように思えるのか」、あるいは「どこにあることにするのが直感に反さないか」です。
これはちょうど、冒頭の歌と歌詞の話に対応するかもしれません。

ここでの答えとしては「自身の体験をもとにして、自分の言葉で語っていること」で間違いないと思います。語ることが自身の体験に基づいているとき、その言葉は説得力があることにすると、直感に反しません。

しかしながら、もう少しよく見てみると、これは妙な話に思えます。

一つ考えてみたいのが、社長が書いたことが明らかになっていない状態で文章だけを見たとき、説得力に変化はあるかということです。誰が書いたのかわからない文章を、ぱっと見せられたような状況を想像していただければよいでしょう。その状態であっても、その文章は社長が自身の体験に基づいて書いたものであることに変わりはありません。

こう言うからには、私の意見は「説得力の有無に変化がある」で、しかもそれは小さくなる方に変化すると思うのです。この話は、歌と歌詞の話にも同じように当てはまることでしょう。

ここまでで、自身の体験をもとにした文章だからといって、必ずしも説得力があるわけではないことが明らかにできたでしょうか。少なくとも、私がそう思っていることだけは言えたと思います。

これは裏を返せば、説得力を持つために自身の体験は必須ではないとも言えます。
残念ながら、結局、説得力を持つために必要なものについてまで、すなわちビジネス書作家の説得力についてまでは行き着きませんでしたが、個人的には悪くない結論になりました。

当事者でないことだからといって、説得力が生まれないわけではないのです。

さて、はじめの方で述べたとおり、この「当事者と説得力」が指す物事の範囲は大変に広くあります。ここまで述べてきたビジネス書の話も、ほんの一例です。
そのため、すぐ上の一文は、私の中で非常にたくさんの意味を含んでいたりします。

それから、私は説得力とはまったく別の理由から、社長が書いたような本を読むことがほぼありませんので、ものの見方が偏っている可能性は否定できません。

大雑把なことを言うなら、私は作家さんが書く本の方が好きです。


終わりに


本エントリを一歩引いて見ると、実は何も言っていなかったりします。
ですが、これをお読みいただいた方が、説得力の所在について少しでも思いを馳せることになるなら、私は嬉しく思います。

私にとってはもう十年来の疑問ですので、簡単に結論が出ない、難しい話なのです。