2012年12月9日日曜日

千年も後のこと

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こちらの記事を読みました。

7年使える「セブンイヤーボールペン」なら"ありがとう"が43435回書ける : ライフハッカー[日本版]

43435回も、「ありがとう」と書けるようです。

まず、私はこの記事のタイトルを見たとき、「43435だと…5で割ったらおしまいかな」と思いました。おしまい、というのはつまり、5以外の数では割れない、あるいは5で割った後は他の数で割れない、との意味です。
もちろん、前者はそのまま約数の話ですから、5と対になる数でも割れることになります。今回で言うと8687です。ですが、記事タイトルを見たときに「おお、43435は8687で割れるな」とは思いませんでしたので、先の「5以外の数では割れない」との表現になっています。

3で割れないことはすぐにわかりますので、5以外は厳しいのかな、と思うわけです。

そして、記事を読んでいくと、次のようなことが書いてありました。
文字の長さを定規で測ってみると約10cm。つまり1日17回、7年間で43435回くらいの「ありがとう」になります(曲線も含むので、あくまでだいたいですけれど)。
驚きました。
これはつまり、43435は7でも17でも、さらには365でも割れたということです。
自分の考えの至らなさに気づかされましたが、それと同時に、素因数分解の難しさも感じました。

ここでの「難しい」は、日常で使うそれとは少し趣が違い、「構造的に困難である」といった意味です。平たく言えば、「どうしようもない」「がんばってもどうにもならない」とでもなるでしょう。
(正確には「がんばるしかない」かもしれません。)

数学、広く言えば理系にはこういった、日常の言葉なのに、その意味しているところが少し異なっているようなことがたまにあります。この世界に興味のない人でも、その「言葉の意味が違って面白い」くらいは感じてもらえると良いなと、常々思っています。
別に面白くなくても、ある人がある言葉で伝えようとしたことが、受け取る側で違ってとらえられることはよくある話ですので、注意は要るかもしれません。

さて、日常といえば、私たちの日々の生活は素因数分解が難しいおかげで成り立っています。
それが何のことかをここで述べるのはとても大変ですので省略しますが(私も調査の必要があります)、ここでは、暗号の話です、とだけ言っておきます。

素因数分解ですとか、その周辺のことを研究する分野は、整数論(数論)と呼ばれます。その名の通り、数の様々な関係についてが研究され、かなり歴史のある分野です。

他方、暗号を研究する分野も、整数論とは別にあります。
こちらも歴史のある分野ですが、少なくとも、整数論の知識が絡んできそうなときには、すでに整数論はありました。
要するに、暗号論では整数論の知識を流用できる状況にあったわけです。

この部分に、一つ有名な話があります。

整数論は長い間、何の役にも立たない分野として有名でした。ただ面白いからやっているだけ、な研究の代表だったのです。

ですが、整数論の研究がたくさん進んだ頃、その知識が暗号論で活かせることがわかりました。上でも述べたとおり、それは現在の私たちの生活を強く支える知識です。
つまり、役に立たない研究の筆頭だった整数論が、なくてはならない研究に突如変身したのです。

非常に興味深い話です。
何より一番気になるのは、自分たちの研究に実用性があると知ったとき、整数論の人たちは嬉しかったのだろうか、とのことです。
直感的に言えば、嬉しくないはずはありません。自分たちの研究が、世界のためになるのが判明したわけです。私には想像しがたい衝撃があったと思います。

しかし、整数論の研究とは、ともすると紀元前からあるような代物です。一方の暗号論はというと、整数論が明確に関係しだしたのはせいぜい1970年代頃でしょうか(暗号論自体はもっと昔からあります)。
当然「自分の研究が世界の役に立った」ことを知らないまま亡くなってしまった研究者も数多くいるわけです。

ここに、私は語る言葉を持ちません。
具体的に学べることもありません。

例えば、「一生懸命やっていれば、今はわからなくても、いつかは何かの役に立つ」ことが学べるかもしれません。
ですが今回の話では、「一生懸命やる」も「いつかは」も「何かの」も、想像を絶するレベルのものです。
研究者は人生を賭けて整数論を研究していますし、役に立ったのは1000年も後ですし、役に立った対象は世界の人々なわけです。

そんな研究者たちは、自分たちの研究が役に立つと知って、どれほど嬉しかったのでしょう。あるいは、嬉しくなかったのでしょうか。知らずに亡くなっていった研究者は、それを知ったらやはり嬉しかったのでしょうか。

私には、思いを馳せることしかできません。

ただ、一つ言えることがあります。
本エントリは、理系のある狭い分野のお話でした。興味のない方も多いことでしょう。
しかし、ここで私が感じた言葉にならない感覚や、馳せる思いだけは、どんな人にも伝わってほしい、抱いてほしいと思いますし、そうであると嬉しいです。

とはいえ、人がそれをどのように感じるかを私が操作することはできませんので、(その努力は可能ではあるものの)「伝わってほしい」というのは単なるわがままではあります。

「どうしようもない」ことです。
つまり、「難しい」話です。


終わりに


7でも割れることはすぐに気づきそうなものですが、なぜか思いつきませんでした。