2012年12月2日日曜日

決めつけられてそんな気も

Clip to Evernote
俵万智さんの歌に、次のものがあります。
一年は短いけれど一日は長いと思っている誕生日
有名な歌でしょうか。

すごく大雑把に見たとき、この「一日は長く、一年は短い」という感覚はわりと普遍のものでしょう。多くの方がうなずけるものと思います。

感覚自体は普遍でも、それを「思っている」のが「誕生日」であることについては、大層考えさせられるものがあります。何とも、言葉にならないものを感じるのです。きっとこれは、「一日は長く、一年は短い」感覚に同意しておしまいの歌ではないのでしょう。そのあたりについては、私も思うところはたくさんあれど、ここには書き記さずにおきます。

この歌については、もうひとつ、気になる点があります。
それを明らかにするために、Hysteric Blue の「カクテル」という楽曲から、歌詞を引用させていただきます。
一日をこんなに長く感じるのに
一年がこんなに早く過ぎてしまう
一年をこんなに早く感じるのに
一生をどんなにうまく生きれるでしょう
一見すると、先の歌と同じことを表しているように思えます。つまり、「一日の長さ」と「一年の短さ」との対比です。

ただ、私は、この「カクテル」の歌詞の方が、より自然な感覚に近いと思っています。というのは、「一日を長く感じる」ことの方が、「一年を早く感じる」ことよりも日常に頻繁にあるためです。

そのため、「一日が長いのに、一年が早い」と考えることになるわけです。
一方で、冒頭の俵万智さんの歌の方はそうなっていません。先に、「一年は短いけれど」と思っているのです。
このことと、先述した「誕生日」のこととを重ねて見ると、やはり書き記しはしませんが、いろいろと思うものがあります。

俵万智さんの歌について(とりとめなく)考えるのはこれくらいにしますが、後に掲げた「カクテル」の歌詞にも、無視できない部分があります。
歌詞を引用した最後の行、「一生をどんなにうまく生きれるでしょう」です。

先にも書いたとおり、一日と一年の長さについて比較した様子はあちこちで見かけます。対して、そこから一生について思いを馳せているのは、なかなか目にすることはありませんし、自分でも考えることはそうありません。

言われてみれば、当然考えるはずのことではあります。
つまり、一年が何が何だかわからないまま猛スピードで流れてしまうものであるなら、一生はどのようなものになるのだろうか、とのことです。
それを考えていくと、もし「一生を良く生きたい」と思うのであれば、一年が早く感じるのはあまり良い傾向ではないような気がします。

一年をゆっくり進めることについては、例えばこちらの記事で言及されています。

加速し続ける毎日を劇的にスローダウンさせる方法 | Lifehacking.jp

こちらの記事ではいくつかの「時間をゆっくり進める方法」が述べられていますが、その一つとして「手帳と向かい合う」ということが登場しています。
象徴的な箇所を引用させていただきます。
忙しくても、記録する量に比例して時間は遅く感じられるようになり、過去を振り返っても毎年の出来事が豊かに感じられるようになります。つまり「思い出せることが多い」ほど、時間は遅く感じられるという原理にいきあたったのです。
記録の量が多くなると、時間をゆっくり進められるとのことです。
私も、これにはとても納得がいきます。
個人的な感覚ですが、目に見える記録が積み重なっていると、それがあたかも時間の流れそのもののように感じられてきます。そこから、「時間が過ぎ去ってしまっていない」と思えるようになるのです。

以上を踏まえて、自分の状況を振り返ってみます。

私は現状、「一年が早く過ぎてしまう」と感じません。これは実感としてもそうですし、積み重なった記録を確認してもそうです。
2012年の1月ははるか昔のことに思えます。そして、それからいろんな経験をしてきて、たくさんのことができるようになりました。

ほっとしました。
私は今のところ、一生を良く生きられそうです。少なくとも、そのスタートラインには立てているはずです。

さて、それはそれとして、一つ触れておきたいことがあります。

上で、記録の量が多いほど記憶が豊かになって、時間がゆっくり流れる、といった趣旨のことを言いましたが、まさに記録している瞬間のことを考えると、これは順番が逆です。
すなわち、先に物事が自分の頭を通過して、それを記録するはずなのです。決して「自分」がないところ(つまり、記憶がないところ)に記録があったりはしません。記録は自分がするものなのですから、当然です。

(だからこそ、「ライフスライス」といった概念は面白かったりします。)

とは言うものの、こういった順序の入れ替わりは、ライフハックあたりが好きな人にとってはよくあることであり、そして、触れておきたかったのはここです。
今は記憶がないのに、記録を見ることでそれが想起されてくるような状況はわりとよくあって、そこに考えが至ると、たぶんわずかながら毎日が楽しくなります。少なくとも、私はそうです。

もう少し広く言うなら、今の自分の中になくても、外から「こんなのあるよね?」と言われて出てくるようなことです。

それが記憶なら、きっと一生を良く生きることに繋がるはずです。


終わりに


いろいろ言いましたが、俵万智さんは、そこにも気づいておられたようです。
「おまえオレに言いたいことがあるだろう」決めつけられてそんな気もする