2012年9月15日土曜日

知識が変わる

Clip to Evernote
Evernoteについて語ろうとすると、なぜだか大仰で夢見がちな話になりがちです。これはおそらく一般的なことではなく、大仰にならずに話を進められる人も大勢いるのでしょうが、大仰でないEvernoteの話というのはどうにもしっくりこないものがあります。
きっと、私が見慣れていないだけなのでしょう。

今回はそんな話です。


伝えられない


こちらの記事を読みました。

R-style » Evernoteの共有ノート、あるいはナレッジマネジメントについて

「Evernote Business」とのサービスが発表されたことを受け、いくつかエピソードなどが紹介されている記事です。

こちらに、知識を共有することの難しさについての言及があります。
これについては、複数名で何かを行ったことがある人にとって、容易に想像できる話でしょう。

少しだけ引用させていただきます。
言葉にしづらい経験もあるし、言葉にしても伝わないものもある。それにわざわざ言葉にしようとしないものもある。
知識を伝えるためには、どうしても一度言葉を経由しなければならないため、引用したような言葉にまつわる難しさから逃れることができません。

引用文のこと以外にも、言葉をやりとりするためには、話し手と聞き手がタイミングよく揃っている必要があるでしょう。そのせいで「知ってたなら教えてくれればよかったのに」となりますし、それを避けようと文書化したところで、「そんな文書があるなんて知らなかった」ということが、際限なく発生します。

繰り返しになりますが、「知ってたなら教えてくれればよかった」とは「うっかりミスだから、次からは気をつければ大丈夫」といった類のものではなく、気をつけたところで容易には解決しない、永遠のテーマのようなものを意味しています。


知識


このことを前提として、同記事(「Evernoteの共有ノート、あるいはナレッジマネジメントについて」)は「コンビニ店長未来像」と題された節に続きます。

私はこちらの節を読んで、鳥肌が立ちました。
本当に未来だと思いましたし、SFとも思いました。

一言だけ引用させていただきます。
その時、ふと「関連するノート」として、店員の雑記メモ「夕方のお客さんで、焼き鳥を大量に買って帰ったお客さんがビールの6缶パックを欲しがっていた」が浮かび上がってきたとする。
「関連するノート」が勝手に「浮かび上がって」くるわけです。
これによって、Evernoteに保存さえしておけば、上で述べたような知識をやりとりする際の厄介ごとが何も発生しないことになります。
もちろん、詳しくはリンク先の記事をぜひお読みいただきたいのですが、簡単に言えば「永遠のテーマ」がEvernoteで解決されるのです。


データベース


よく、Evernoteは「知のデータベース」とか「第二の脳」などと称されます。現状のEvernoteと生活の関わりを見る限り、それは非常に適切な表現と言えるでしょう。

しかしここで、上述のように「関連するノート」が「浮かび上がって」くることを考えに含めるとすると、もはや「知のデータベース」どころの騒ぎではなくなってきます。

「知識」そのものになるのです。

「ヒト」からワンクッションおいた「データベース」などというものではなく、「ヒト」の中にある知識と、Evernoteとがまったく同じものなのです。

言いかえれば、
  • Evernoteに保存してあるノートから、関連するものが自然に浮かび上がってくる
  • あらかじめ蓄えた知識から、関連するものが自然に浮かび上がってくる
の間に、差異が見つからないのです。
すなわち、Evernoteに新たなノートを作成する行為が、現在の私たちが知識を得ることと完全に等価なのです。

そして、ここにEvernoteの共有ノートの考え方を持ち出してくることによって、上で述べた「知識の共有の難しさ」が解決することになります。


整理など


この考え方に立つと、「Evernoteをどのように整理するべきか」や「EvernoteがWebクリップのゴミ箱になっている」といった議論が、やや霞んできます。
Evernoteは知識そのものだとしたら、どのように整理するも何もないように思いますし、「頭の中が知識のゴミ箱になっている」との表現はかなり妙です。

ちなみに、Evernoteは今後それが可能なように進化していくのかはわかりませんが、まさにこうなるのだとすると、私は少し恐ろしくも感じます。
恐ろしさに目をつぶるなら、もし、Evernoteのこのような部分を活用している組織とそうでない組織があったとき、そこに生まれる差は相当なものになることが想像できます。


別の「知識」


また、Evernoteが知識そのものになることにより、「知識」(あるいは「Evernote」)の形が、少なくとも量的な話をきっかけにして、変化してくることが考えられます。
複雑さがどんどん増してきてしまいますので、今回その方向を考えることはしませんが、SF小説あたりに参考になる話があるかもしれません。


終わりに


やはり大仰な話になりました。
しかし、目に見える「モノ」が進化するよりもある意味でとんでもないことだと、私は思います。