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2012年1月3日火曜日

タスク管理の最終形

ブロガーjMatsuzakiさんが、アシタノレシピの記事でタスク管理のステップを熱く定義しています。
見出しのみ引用させていただきます。

タスク管理を高度化する4つのSTEP
1.ドーナツの穴
2.GTD
3.段階的計画
4.タスクシュート
これによれば、GTDの先にはまだステップが二つあります。

「段階的計画」では書き出されたタスクに対して必要な時間を見積もり、計画を立てることが可能になります。
「タスクシュート」では日々の計画がルーチンに基づいており、高い精度でその日全体のタスク遂行にかかる時間を見積もります。

非常に有益な記事でした。

なんとなくGTDとデイリータスクリストを意識してタスク管理を行っていましたが、結局「今日自分はいくつのタスクをこなせるのか」が把握できずにいました。
私にとってのタスク管理とは、最低限やりたいことを忘れずにいられるものでしかなかったのです。


タスク管理の本を読了




佐々木氏のタスク管理についての本を読了しました。

引用させていただきます。
なのに私達は、わりと簡単に仕事を「先送り」にしてしまいます。翌日どのくらい仕事をしなければいけないのかを知らないままに、3ヶ月後に締め切りの仕事を進めながら、「今日はくたびれた」というような理由で「翌日」や「翌々日」に仕事を回しているのです。
ああ、これがタスク管理かと思いました。
ここ以外も本書では、全体を通して「人」に焦点が当たっています。
私自身は、「今これをやれば翌日には本当に楽になるのか? やらないと翌日はとても厳しくなるか?」に対する答えいつでも知りたいと、ずっと思っていました。そして今ではそれがわかるようになっています。
例えばこういった部分です。
「私は今これをしていれば、3ヶ月後の締め切りに間に合うのか、あるいは間に合わないのか、まるでわからない」という「人間の不安」を解消しています。
決して「こうすると仕事がすごくできるようになる」方法を語ってはいません。


タスクリスト、ひいてはGTDへの疑問


佐々木氏も現在すっかり市民権を得たTo-doリストに疑問を呈し、その先のタスク管理を唱えています。
同書から引用いたします。
どうも私たちは「タスクリストに書きさえすれば仕事が進む」と思うところがあるらしく、むやみやたらと詰め込んだタスク満載のリストを作り出したあげく「こんなにできるわけがない」とリストを投げ出したりします。
単純なタスクリスト(To-doリスト)の問題です。本質的に、タスクリストでは仕事は進まないのです。
これがGTDへの疑問につながることを、jMatsuzakiさんが非常に端的に述べています。

GTD初心者が陥りやすい5つの落とし穴 | jMatsuzaki
GTDを実践する事で得られるのは精度の高いTodoリストです。あくまでTodoリストなのです。 
つまり、それぞれのタスクをいつやるかは依然として未定のままです。
「GTDで得られるのは単なるTodoリスト」である。これを読んだときの私の衝撃といったらありませんでした。
最終的に、GTDでは仕事は進まないのです。


佐々木氏のタスク管理システム


『クラウド時代のタスク管理の技術』で紹介されているシステムも、GTDの先にあるものでした。
私はこれが、GTDの限界を見事に飛び越え「人」を楽にする、タスク管理手法の最終形だと考えています。
具体的には、
  • タスクごとにかかる時間が見積もれる
  • 一日の計画が立てられる
  • それがルーチンに立脚し、高い精度である
  • プロジェクトがタスク管理フェーズに落とし込まれている
  • プロジェクトの進捗状況がわかる
といったあたりです。


今後の私



上にも書きましたが、現状私はGTDとデイリータスクリストで運用しています。
これから「最終形」に向かっていきたいわけですが、やはり一足飛びにというわけにはいかないでしょう。

ですのでとりあえずはこれまで通り、さまざまな方面から情報を集めながら、自身のタスク管理システムを少しずつ良くしていくことを考えます。

ここで、
  • 「良くする」は、「最終形である佐々木氏のシステムに近づける」と完全に同義であること
  • 私が今後タスク管理手法の話をするときは、(陽には示されていなくても)常にその「最終形」を念頭に置いていること
を宣言します。
その上で、タスク管理というものを考えていきます。


終わりに



jMatsuzakiさんの文章を紹介すると、つい自分の語り口も熱くなってきます。

2012年2月19日日曜日

ETYMOTIC RESEARCHのhf3について

尊敬するjMatsuzakiさんによる記事に、以下のものがあります。

外出中も最高の音質を!iPhone向け高品位イヤホン「hf3」の威力!! | jMatsuzaki
音源に対して無駄に着色すること無く、原音に忠実でフラットな音を出せる貴重なイヤホンとして、世界中から支持されているカナル型(耳栓型)イヤホンです。
私はこちらの記事に影響され、また特性がフラットなイヤホンを探していましたので、ETYMOTIC RESEARCH社の「hf3」を購入しました。

購入したのは少し前のことですので(1月25日に届いているようです)、これまで使用してきて感じたことなどを書いてみようと思います。


さまざまな特徴


先にこちらを断っておきます。

上の記事ではhf3のさまざまな特徴について説明されていますが、私は音質とその周辺についてのみしか書けません。
ですので、ぜひjMatsuzakiさんの記事を読んでいただくことをお勧めします。


中域から中高域


ここからは私が感じたことを書きますが、人によって感想はおそらく異なることをまず念頭に置いていただければと思います。

音を鳴らしてみてまず気付くのは、中域から中高域の解像度の高さです。

この辺りの音数が多い楽曲でも、それぞれの楽器を聞き分けることができます。
ギター、特にディストーションギターが2本鳴っているような楽曲で効果を発揮するようですが、他方で、ボーカルが特別よく聞こえるようになった、といった印象はありません。これはミックスダウン~マスタリングの過程で、すでにボーカルを意識した処理が十分に行われており、hf3のポテンシャルを発揮するには至らなかったためかと思います。

逆にコーラスは非常に良く聞こえます。
また、ドラムはスネアとリムショットが抜けてきます。これはかなり気持ちいいです。

というわけで、中域から中高域がやや混み気味の楽曲に対して、非常に気分良く視聴を楽しめます。


音の粒


次に感じたのが、音の粒がよく見えることです。

具体的には、徐々にローファイになっていくディレイをメインに聞かせている場合や、全体の音数は少なくリバーブが多めに作られている楽曲で、その余韻部分をよく感じられます。

また、意外にもディストーションギターがバリバリと鳴る感じや、数年前に流行したデジタルひずみなど、ノイジーな意味での音の粒も良く聞こえます。

とはいえ、この点で生きるのは、全体の音数は少なめながら音域を広く使い、インテリジェントな音作りをした楽曲・アーティストになります。


低域から超低域


低域周辺そのものは、それほど強く聞こえるようになった、というような感想は持ちませんでした。
しかしその上の中低域から中域が良くなった関係からか、低域周辺も非常に整理されて聞こえます。
強さはないが分離が良く聞き取りやすい、といった表現になるでしょうか。
近年のテクノ界隈でトレンドになっている、サブベースも同様です。

ただこの点については、私が以前使用していたイヤホンが、安物ながら低域の押し出しのみやけに強い、といったものでしたので、そのことも影響しているかもしれません。


まとめると


全体として、勢いやそれに類することではなく、より深く音楽を楽しみたいと思っている方にとって、検討する価値のあるイヤホンだと思います。

個人的なことでは、これまで存在に気付かなかったディレイやパンニングを多数発見しました。


終わりに


リスナとして、アーティストに申し訳なかったと思っています。
これからは、大丈夫です。

2012年10月17日水曜日

これはテクノですか

こちらの記事を読みました。

10月14日(日)、東京ライフハック研究会Vol.10でプレゼンします!15分間で恥ずかしげもなく夢を語ってきます! | jMatsuzaki

記事自体は、「東京ライフハック研究会」なる場所でプレゼン大会が行われることについてのものですが、本エントリで取り上げたいのは、それとは別の点です。
引用いたします。
私はこの貴重な15分で恥ずかしげもなく存分に夢について語ってくるつもりです。
私はこの「恥ずかしげもなく」という言葉が好きです。
こちらのブログ「jMatsuzaki」を私はとても好きであり、その理由の一つはその「恥ずかしげもなく」な部分なのかもしれないと思っています。

それから、上でライフハックとの単語が出現していますが、本ブログでたびたび言及しているとおり、私はそれが好きです。

近頃は声高にライフハックを叫んでいる記事などもあまり見なくなってきていますし、同時にライフハックについていろいろと言われることも少なくなってきているような気がします。
いろいろとは、例えば以下の記事でそれについて触れられています。

若葉ブロガーさんへの手紙其の3−あなたの「言葉」と「声」を聞かせて欲しい | Hacks for Creative Life!
いわゆる信念の部分さえしっかりしていれば、2chやはてなブックマークのコメントで「ライフハック(笑)」とか「手段と目的が逆転している」と書かれたとしてもさほど気にはならないわけです。
実際、私自身はこのような意見を自分で目にしたことはありません。それはもう、一度たりともありません。おそらく、それはひとえに私の観測範囲が好きなブログのRSS購読と読書でほぼ尽きているためなのでしょう(最近は「cakes」が増えました)。ですので、「ライフハックについていろいろと言われている」かどうかは、知らない、というのが本当のところです。

それはそれとして、ともかく、最近はライフハックの声を聞くことが減ってきているように感じています。統計などはなく、なんとなくです。

ですが、私は当分ライフハックの看板を下ろすつもりはありません。今も変わらず私はライフハックを信じていますし、これからもそうなのです。

私がライフハックを好きなのは、一言で言えば、ライフハックは手段にこだわるからです。
とはいえ、本ブログを読んでくださる方ならおそらくご察しの通り、この「ライフハックは手段にこだわるからです。」にはたくさんの意味と背景と、その他諸々のものが含まれています。

これに関係するかもしれないものがあります。
最近、『それでも、読書をやめない理由』との本を読みました。大変素晴らしい本で、強く影響を受けたのですが、その中に下記のような文章がありました。

『それでも、読書をやめない理由』(デヴィッド・L. ユーリン)
本の場合、あるいはある程度の長さにわたる文章の場合、状況は違ってくる。もっと緩やかで、深く、静かだ。
私が、本を読みたい、文章を書きたいと思う理由の一つはここにあるのかもしれないと、この一文を目にしたときに感じました。
長い文章は、緩やかで、静かなのです。

他方で、短い文章が唯一静けさを湛えているのは、そこにたくさんの何かが含まれているときだと言えるかもしれません。つまり、見た目は短くても、長い話があるわけです。有名な例で恐縮ですが、「サラダ記念日」などがそれでしょう。

したがって、私が言う「ライフハックは手段にこだわる」は、静かであってほしいと思うわけです。

さて、それもあって私はライフハックが好きです。
ここで、この「ライフハックが好き」にはある種独特の響きがあると、私は感じています。
これは、先の「手段にこだわる」とはやや趣を異にしており、「ライフハックが好き」との表現自体がその独特さをまとっているのです。

その独特さは、それゆえに言葉で表現するのがとても困難なのですが、私にとっては「テクノが好き」と似ているように思えます。

世間から見れば私などはまったくの無知の部類に入るため、説明するのは気恥ずかしいものがありますが、書きます。
現代で、テクノという音楽ジャンルについて答えるのは、とても難しくなっています。それは、テクノは常に変化を続けていて、ジャンルが次々に細分化されていったり、その細分化された先が別のジャンルと融合したり、といったことが起きているためです。これは、テクノの性質からして仕方のないこととも言えます。
その結果として、例えば、ある楽曲を聞かされて「これはテクノですか?」と問われても、明確に回答するのが難しくなってきます。あるいは、「テクノってどんな音楽ですか?」との問いも、とても答えにくいはずです。

それでも、私はテクノが好きです。
「テクノが好きです」
「テクノってどんな音楽ですか?」
「それは……」
となってしまうにも関わらず、好きなのです。
そして、少し上で言及した「独特の響き」とは、たぶん、このあたりのことを指しています。

つまり、ライフハックもこれと同様なわけです。
ライフハックとはいったい何なのか、何の役に立つのか、といったことに即答できないものの、やはりそれが好きなわけです。

ライフハックもテクノも、私は「恥ずかしげもなく」好きだと言うのです。


終わりに


前置きを書いていたつもりだったのですが、終わってしまいました。
今回は、そんな話でした。

2012年3月31日土曜日

目的と手段

たった今、非常に驚くべきことが起きました。

ブログを書き始めようとポメラを取り出したのですが、電源を入れる直前に、「ああ、その前にRSSの未読を確認しておこう」と思ったのです。
私は、今日のブログでは「目的と手段」について書くことを予定しており、それを考えながらのRSS確認でした。

そこで発見したのがこちらの記事です。

情熱の矛先を決める!「手段」が「目的」になったときこそ最高!! | jMatsuzaki

なんと、まさに「目的と手段」に関する、素晴らしい記事でした。

私にはこれほどの記事は書けません。
一瞬ブログを書くのを諦めそうになりましたが、同じテーマでも、書いてみれば新たな切り口が見つかるかもしれませんし、それ以前にこの話をしておかないと本ブログが先に進めません。

という訳で、今回は「目的と手段」についてです。


目的と手段


かねてから、私は「目的と手段」あるいは「手段が目的化している」といった表現に、引っかかるものを感じています。特に、「手段が目的化している」がまるで良くないもののように言われている際には、それを強く感じます。


記事を読む


このことはかなり昔から考えていたように思うのですが、あるとき以下の記事を読み、非常に感銘を受けた記憶があります。
(「記憶はあてにならない」という話は置いておきます。)

034 「所詮」心構えの話にすぎませんが – ライフハック心理学

引用いたします。
どんな行為でも「これは目的」で「こっちは手段」ときれいに分解できるわけではありません。
これが、私が手段と目的の話を嫌う一つめの理由になるはずです。
記事内でも述べられていますが、手段と目的の分類は人によって異なるでしょうし、同じ人でもその瞬間で異なってくるはずです。
したがって、常時変化し続けるものに対して、人間が「これは手段」「これは目的」と認識するのは不可能です。

それにも関わらず、「手段が目的化している」と言って批判するのは妙です。

また、手段と目的の分類を突き詰めれば、すべてのことは生きるという目的のための手段になってしまいます。
ここは個人差があってしかるべきですが、私はこういった話が好きではありません。

そういった類の話ではないのです。
無理を承知でこの文脈で物を言うなら、どんなことでも手段であって、どんなことでも目的です。


二つめの理由


話を進めるために、大雑把な認識としての目的と手段があると仮定します。

この場合、「手段が目的化している」との文言は「手段にこだわりすぎている」ことを意味しているはずです。

さて、ある目的を達成するための手段が何でもいいということは、まずありません。
あえて具体例などは出しませんが、ぜひこれを読んでいただいている方が頭の中で挙げていただけると良いです。
(「頭の中で」がポイントです。)

これが二つめの理由になり、こちらの方が直感的にわかりやすいと思っています。


終わりに


どうやら、冒頭で掲げたjMatsuzakiさんの記事とは似ていない話になったようで良かったです。
そちらの記事は本当に素晴らしいので、ぜひ読んでいただきたいです。

2012年11月1日木曜日

11月といえば自分の好きなブログを告白する月…ということです2012

近ごろ、「現代は時代の移り変わりが早い」といった話をよく聞きます。その話によると、現代では様々なものが非常に早く変化しているそうです。
確かに、現代で様々なものがすごい早さで変化しているのであれば、それを「時代の移り変わりが早い」と評して間違いないでしょう。

すると、今より少し前の時代を生きていた人たちは、「今は時代の移り変わりが遅いねえ」との話をしていたことになります。「現代は時代の移り変わりが早い」のですから、きっとそうなのだと思います。

その「移り変わりが早い」との話は、「インターネットの普及によって」というよくわからない日本語とセットになっていることが多くあります。
日本語としての「インターネットの普及」への違和感は大変ありますが、それとは別の話として、インターネットが時代の移り変わりをもたらしているのであれば、そこで、そうでないことを試みるのも興味深いことです。

何の話かと言いますと、11月といえば自分の好きなブログを告白する月ということなのです。
記憶力の良い方は、おそらくこのあたりで一年前を懐かしむ気持ちになっていることと思います。そうでなくとも、第二の脳をひもといていただければ問題ありません。

さて、2012年も11月を迎えています。
11月には、
  • 冷たい空気
  • 文化の日
  • 勤労感謝の日
  • 霜月
あたりからか、なんとなく知的なイメージを私は持っているのですが、まさに好きなブログを告白するのにはぴったりです。

前置きが長くなりました。それでは私が好きなブログをご紹介させていただきます。

***


はじめはこちらです。
文章は読みやすいですし、調査は徹底していますし、とにかく読んでいて楽しいブログです。
電子書籍をはじめとして、その周辺についてを知ろうとしたら、こちらのブログに行くのがベストの選択肢だと思います。

というのはあえて客観的にこの「見て歩く者」さんを見た場合の話で、私はそれ以前に大ファンだから読んでいます。

***


二番目はこちらです。
本ブログでも度々こちらのブログの記事をご紹介させていただいています。

軽妙な語り口で、様々な試行錯誤と思考の過程を伝えておられます。
ブログタイトルには3つのキーワードが現れていますが、もちろんそれも含んだ上で、私は「試行錯誤と思考」のブログだと思っています。

そういった部分に面白さを感じられる方は、必ず楽しめます。

***


三番目はこちらです。
こちらも、何度となく記事を引用させていただいているブログです。

改めて言いますが、大変影響を受けています。

***


四番目はこちらです。

トピックが多様にわたるにも関わらず、一貫して、熱く、楽しく、わかりやすく書いておられます。
読んでいて、ディスプレイ越しに楽しさが伝わってきます。

その中に、熱いメッセージも込められていたりしており、気が抜けません。

***


五番目はこちらです。

独特の、とはとても難しい言葉ですが、独特のブログです。
書かれているトピックはわりと明らかかと思いますが、それを言ってもこちらのブログについて何も説明しないような気がします。

少なくとも一つ言えるのは、最近、自分が書いた文章がこちらのブログのそれに似ていることに気づいて、はっとすることが頻繁にあるという事実です。
だいぶ影響を受けているようです。

***


少し上で、「楽しさ」との言葉を使いましたが、それと対比させるなら、こちらのブログは「朗らか」です。もちろん私のイメージです。

読むと朗らかな気持ちになれて、元気が沸いてきます。
この感覚は、他のブログにはまったくないものです。

***


七番目はこちらです。

なんといいますか、挙げざるを得ません。
好きなブログでないはずがないのです。

私も長いことこちらのブログを読ませていただいていますが、いまだに表現の面白さに吹きだすことがあります。

ちなみに、ロックバンド「D」に、「薔薇色の日々」という楽曲があります。
私はいつも、その曲とこの「jMatsuzaki」さんを重ねて見ています。

たとえば、同曲には下記のような歌詞があります。
明日になればきっと世界は変わる
信じているからこそ終わりにはしない

***


八番目はこちらです。

面白いです。面白いブログです。

それだけで終わらせても構わないくらい面白いブログなのですが、何か物事を考える契機となるのもまたこちらであることが、よくあります。

それも含めて、面白いです。


終わりに


今年の11月も、多くの人の「好きなブログ」を見られると嬉しいです。

2012年3月3日土曜日

最近読んだ記事(2012.3.3)

なぜだか最近、ぐっとくる記事をたくさん読みました。
Google+の方で共有することも考えましたが、わりと数が多くなりそうですので、ここでまとめてご紹介しようと思います。

余談ですが、ブログという場があると、素晴らしいと思ったことや感謝の気持ちを表明できて、とても嬉しいです(もちろんGoogle+でも良いです)。

ちなみに普段は、あまりコメントを加える必要のない便利ネタや面白ネタなどをGoogle+で共有し、自分なりに何か考えるところがあるような深い記事は、ブログで引用を交えながら紹介するようにしています。
ですが、この方法だとどうしてもブログでの紹介待ちな記事がたまってきてしまいますし、エントリ一つにできそうになるまで時間がかかったりします。

前置きが長くなりました。


ぐっときた記事


UEMATSU.Yの師の教え | Moleskinerie

モレスキナリーからです。ノートは贅沢に使うのが良いです。

***
Pinterestはどこまで合法なのか?ある女性のストーリー | サンフランシスコのWebコンサルティング会社 -ビートラックス- スタッフブログ

いまはやりのPinterestの話です。このことが将来どのようになるかはわかりませんが、読んでおく価値のある記事です。

***
2012年版「間違ったソフトウェアの売り方」 « A-Listers

これは同意です。さらに言うと、電子書籍の界隈も同様だと思います。

***
今日の世界の果て Vol.3 「ツールボックスとしてのTraveler’s Notebook」 | Notebookers.jp

やはりモレカウはどこまでも格好良いです。

***
ブログの衣替え(日刊になります) 【 マインドマップ1年生 plus ライフハック! 】

大好きなブログですので、楽しみです!

***
[ 連載1:Fundamental Tuning ] 日本語入力ソフトは徹底的に鍛える | Find the meaning of my life.

こちらの連載も非常に楽しみです。第一回からかなり実践的です。

***
kouseipapa.net » Readabilityから「あとで読む」について色々と考えてみた。これに乗り換えよう。

途中から、まさかの展開を見せます。こういった記事には非常に憧れますし、私が目指しているところの一つだったりします。
もちろん内容も素晴らしいです!

***
誠 Biz.ID:「スーパーコンシューマー」とはなにか:集合知は“とがらない” 「abrAsus薄い財布」はなぜ生まれたか (1/3)

「小さい財布」ヘビーユーザの私です。
ぐっとこないはずがありません。

***
Wordpress.comで自由に空白行を入れる方法…… | jMatsuzaki

こういったことを、きちんとまとめて発信できることがまずすごいですし、そもそもこれに気付いたのがすごいです。

***
[N] プロ・ブロガー本で考えるのは「サスティナビリティ」と「自分で好きにやること」について

もう、とにかく感動しました。

***
カーナビ終了のお知らせ AndroidのGoogleマップナビが秀逸 | Last Day. jp

Androidすごいですね…。

***
1ヶ月にブログ100記事書いてみて発見したり変わったりしたこと | goryugo

すごい人です!格好良いです!


終わりに


また、ぐっときた記事が紹介しきれていないと感じたら、本エントリのようなことをするかもしれません。
もちろん、自分のことはわかりませんので、しないかもしれません。

2012年3月9日金曜日

なじみのないトピック

ずっと、何となく考えていたことがあるのですが、いまひとつしっくりくるような表現が見つからなかったためにはっきりと書くことができませんでした。私はそれを非常に重要だと考えていたにも関わらず、です。
例を挙げると、本ブログの「複雑で好きなもの」というエントリでその類のことを書いてはいます。

ところが、最近読んだ記事に良い表現がありましたので、本エントリではそれをご紹介し、私が考えていることを明らかにしていきたいと思っています。
(「明らかにしていきたい」とは、主に自分に向けて言っています。)


読んだ記事


読んだのはこちらの記事です。

「自分史をかく」というアイデア発想術 – ライフハック心理学

記事の結論自体はまた別のところにありますので、ぜひそちらの方もご確認いただきたいのですが、とりあえずは私のことと関係する部分を参照します。
引用させていただきます。
何か発想する。それを頭の中にとどめ、沈めておく。折に触れて思い出してはまた考えるけれど、十分まとまった時間がとれず、また沈めてしまう。そんなことを何年も、時には十数年も続けているうちに、ある日はたと考えがまとまり急いで論文なり本なりにする。
状況としてはこのようなことです。
何かについて考える際に、例えば算数の計算問題を解くようにすぐに答えを出すのではなく、生活の中で何度も思い出しては消えていき、考えたことのほとんどを無駄にすることを続けていくと、長い時間が経った後にはたと考えがまとまる、という風に私は捉えています。


何度も考える


とにかく、紙やペンは用意せず、必要な知識を前もって大量に頭に入れておき、あらゆるタイミングで考えます。
紙やペンを用意しないと言ったのは、そもそもそれができないほどわずかな隙間の時間を使うことを想定しているためです。

こうすることで、例えば自分にとってなじみのないトピックについてアイデアを出したい場合にも、時間とともにそれが徐々に「自分のものになってくる」感覚が得られ、自然と語るべき言葉が出てきます。

ちなみに、「知識を大量に頭に入れる」部分は、こちらの記事を参考にしています。

R-style » もし、歌の歌詞を作れって言われたとしたら。
「戦隊 OP」あたりのキーワードで検索をかければ、バカみたいな数の動画が見つかる。これをひたすら見る。5?10?・・・いやいや、最低でも30は見ないと。
また、「隙間の時間に考え続ける」の部分はこちらの記事を参考にしています。

私がライトニングトークの5分間に備えて準備したこと | jMatsuzaki
より多くの他人を自分の中に作り出すために、頭の中に長い間”問題”を植え付けておきます。すると様々な環境下で、私の中に居る多くの他人が入れ替わり立ち代わりその”問題”について考え始めます。


自分に浸透している


これまでは、「自分の中に深くその考え方が落ちている」や「考え方が自分に浸透している」といったイメージとして理解していましたが、初めにご紹介した「「自分史をかく」というアイデア発想術」の記事で、それが非常に簡潔に表現されています。
引用いたします。
昔からものを考えては書くということをしてきた人は、たぶんこの「無意識下における発酵」をよく承知していました。もっともこれを人によっては「時間による熟成」と呼んだりするでしょうが、同じような意味です。
「時間が解決している」点を強調するなら、後者の「時間による熟成」が良いでしょう。
しかし、もともとの意味としては前者が良いようにも思います。
もちろん実質的に差はないはずです。


手順をまとめる


私がこういったことをするのは珍しいように思いますが、ここで本エントリで述べた作業の手順をまとめておきます。
  • (例えば)なじみのないトピックについて、アイデアを出したいとする
  • それについての知識を大量にインプットする
  • 隙間の時間に考え続ける。このときは、たくさんの「考えたこと」は消えていく
  • 「時間による熟成」を狙う
  • 自然に語るべきことが見えてくる
文字にしてみると簡単なことです。


終わりに


こういった作業は、締め切りに追われている、高いクオリティを期待されている、といったことがなければ非常に楽しいです。

2012年4月12日木曜日

達成感が要る

今回は、本ブログとしては珍しく(と自分では思っています)始めにエントリのアウトラインを示してみます。
以下の通りです。
  • マルチタスク
  • タイマ
  • ライフハック
マルチタスクをご存じの方は、私の言いたいことが察せられてしまうと思いますが、内緒でお願いします。

内容に入ります。


マルチタスク


CPUを制御する仕組みに、マルチタスクというものがあります。

これは、CPUが一つ(でなくても構いませんが)しかないコンピュータにおいて、同時に複数の仕事をさせるための技術です。

概念のみ説明します。
実際に仕事をするCPUは一つしかありませんので(この表現も厳密に言うと怪しいです)、同時に複数の仕事はできません。
ここでは、一つの仕事はほんの短い時間だけ行い、すごいスピードで行う仕事を替えていきます。
これにより、人間からは同時に複数の仕事を行っているように見えます。

念のため、Wikipediaのページもご紹介しておきます。

マルチタスク - Wikipedia
1つのCPUしかないコンピュータでは、ある瞬間には1つの処理しか実行できない。しかし、CPUの処理時間を数十ミリ秒といった短い時間で区切り、タスク間で1つのCPUをタイムシェアリングすることによって、ユーザーから見ると、複数のアプリケーション(タスク・プロセス)が同時に実行されているように見える。


タイマ


このマルチタスクの概念を念頭に置いて私のタスク遂行に活かしていこうと、タイマを導入しました。いわゆるキッチンタイマのようなものを想像していただければ良いです。
iOSアプリ等ではなく、ハードとしてのキッチンタイマです。これは、単に私の好みであり、深い意味はありません。
(写真を載せようかとも思いましたが、妙な見た目をしており、逆にわからなくなる可能性がありますので、やめます。)

タスクをこなす際のタイマの効能については、こちらの記事が参考になります。

あまりに必要不可欠なので、タイマーツール「SnapTimer」をインストール!! | jMatsuzaki
今やるべき作業の為に使うべき残り時間をリアルタイムに知る事は、有効なコンテキストスイッチ問題への対策となります。
記事ではソフトウェアのタイマを用いていますが、適宜読み替えていただければ問題ありません。

使い方は単純で、この作業は30分だけやってやめたい、と思ったときにタイマをセットします。

上の引用文のことの他に、私は、現在時刻に意識を向ける必要なく取り組んでいるタスクに集中できる点で、非常に効果を実感しています。
朝など、作業に熱中してしまうと困るものの、時計ばかり気にしていると作業が進まない場面があるのです。

その朝、自宅を出る前に60分の時間が取れた際に
  • 前日の振り返り
  • 今日の目標設定
  • RSSの読み進め
  • Evernoteの整理
を15分刻みで行っていくのは、なかなかにスリリングです。
俯瞰すると、四つの作業を同時に行ったように見えるでしょう。


ライフハック


一つ注意すべきことがあります。
それは「タイマが鳴ったら、何も考えずにやめる」ことです。
切りのいいところまでとか、あと三分だけなら大丈夫だとかを、少しでも思う前にやめてしまうのです。
当然のことながら、理由としては、そうでないとタイマをセットした利点が出てこないから、です。

これはぜひ体感してみていただきたい部分で、そのように意識しておけば「何も考えずにやめる」ことはできます。
妙な日本語ですが「意識して何も考えない」ことは、この場合可能なのです。


本当にライフハック


上記のことは、よく見るとライフハックの話ではありません。単なる注意です。
ここからが、該当します。

先に挙げた例の
  • 前日の振り返り
  • 今日の目標設定
  • RSSの読み進め
  • Evernoteの整理
はどれも、私にとって、毎日欠かさずやっておきたいものの、どうしても後回しになりがちなことです。
誰しもそういった性質を持つ作業がいくつかあると思います。

そこで、本エントリで述べたマルチタスクに似た方法で「すべて同時に」手を付けてしまうことで、たとえこなせた量が少なくても、「今日は進められた!」との達成感を得ることができます。

達成感が不必要な方にはまるで無意味な手法ですが、私は大いに必要としていますので、価値があります。


終わりに


冒頭で宣言したアウトラインが、かなりミスリードになっています。
これが、よく言われるトップダウン方式の問題点に相当します。
詳しくは、この辺りのエントリで述べています。

23-seconds blog: KJ法とマインドマップの差異

2012年4月1日日曜日

説明できない

二度めのご紹介をさせていただくことになりますが、以下の素晴らしい記事を読みました。

情熱の矛先を決める!「手段」が「目的」になったときこそ最高!! | jMatsuzaki

以前の私のエントリでは、この「手段」や「目的」の言葉について少し考察しました。

実は、そちらの記事を基に考えたことが別にありますので、今回はそれについて言語化してみたいと思います。


説明がつかない


先に掲げた記事について、特に本エントリで参考にしたいのはこの部分です。引用させていただきます。
私は時に人から「汝、作曲なんぞをして、何を成し遂げようと言うのか!?」と聞かれることがありますが、そんな時は大変戸惑い、そして動揺します。 
なぜなら「作曲するために作曲している」というこの状態を、誤解なしにどう完結に伝えれば良いか分からないからです。
少し脱線しますが、私がこちらを読んだときの感動といったら、それはもう筆舌に尽くし難いものがあります。私にもこういった状況は多々あって、つまり、どんなに工夫しても人に説明できないようなことです。私がおかしいのかとも思いましたが、同じことを考えている方がいらっしゃいました。大変に心強く感じます。


車の運転


上記のことと直接に合致するわけではありませんが、私の話をいくつかします。

私は車を運転する機会が多くあります。
もうしばらく前のことですが、免許を取りたてのころは運転というものが大嫌いでした。

それでも継続して車を運転していたのですが、あるときから今度は運転が好きになりました。このころは、いろいろと運転について考えたり、積極的に運転したりといった生活を送っていました。

ところが、そのような生活を続けていると、またあるときから運転について何も思わなくなりました。好きでも嫌いでもないし、考えることも特にありません。ただ毎日、運転を続けるだけです。


Evernote


次はEvernoteの話です。

大きな可能性を感じてEvernoteを利用し始めましたが、やはり使い始めたばかりのころは試行錯誤の連続で、「まだまだEvernoteを使えていない」と考えていました。

しばらく使ってくると、Evernoteについて考えることや語りたいことがたくさん出てくるようになりました。「Evernoteはこうあるべきだ!」とか、そういったことです。

そして最後です。現在まで継続してEvernoteを使い続けていますが、今は特に言いたいことはありません。もちろんEvernoteが無くなっては困るのでしょうが、そもそも「無くなったら」などとも考えません。ただ毎日使っているだけです。


それ以外にも


ここで、先に掲げた引用文の話に戻れます。

おそらく上に書いたようなことが理由となるのだと思いますが、人に「なぜEvernoteを使うのか」と尋ねられた場合、これがどうしてもうまく答えられません。これだけ毎日利用していますので、人からは、何か大きな理由や壮大なこだわりがあるように思われるのですが、特に何もありません。
いえ、もちろんEvernoteに対する強い情熱のようなものはあるのですが、わからないのです。

「Evernoteを使うためにEvernoteを使っている」が、一番しっくりくる回答なのです。

そして、他にもここでのEvernoteのようなことはたくさんあります。

私はモレスキンやiPhoneも好きです。どちらもそこそこ長い付き合いです。
そして、「なぜモレスキンを使うのか」と尋ねられれば「モレスキンを使うため」なわけです。


新しいツール


ここから、冒頭に掲げた記事とは少し違う方向に進んでみます(が、本質はそう変わらないはずです)。
参考にするのは以下の記事です。

シゴタノ! —    ロディアを使い始めて改めて気づいた大切な2つのこと

引用いたします。
ロディアに限らず、新しいツールを導入するときにありがちな高揚感にヤられているだけではないのか、と思ったからです。
何かしらの新しいツールを導入すると、何となくの目新しさからか、「このツールで生産性が大きく上がった!」と錯覚することがある、といった話かと思います。

つまり、ツールが目新しく感じられなくなるまで待って、本当にそれが生産性を高めているかを確認する必要があると言えるはずです。

ここで私が考えたのは、その判断基準の一つとして、これまで述べてきた「Evernoteを使うためにEvernoteを使っている」状態に至っているかどうか、を用いることができるのではないかということです。

ここでの「判断基準」が指すのは、「ツールが目新しくなくなったかどうか」なのはもちろんですが、「本当に生産性が高まっているかどうか」であっても構わないと思います。
これは要するに「生産性が高まった」をどう解釈するかの問題になってしまうのですが、本ブログでは「四年に一度の話」のエントリで近いことを述べているため、ここでは割愛します。


終わりに


私は吉野家の牛丼をよく食べるのですが、それも本エントリと同様の話になります。

2012年5月21日月曜日

緊急時を考える

こちらの記事を読みました。

緊急時、私の仕事術は砂上の楼閣となる - なんかカラフルな生活

とても素晴らしい記事です。
一つ引用いたします。
常々、ほぼ日手帳やモレスキンを使ってやれタスク管理だやれGTDと言っていますが。 
こうしたことが砂上の楼閣のように思えてしまう瞬間というものがあります。
その「瞬間」というのが、ここでは緊急時を指しているわけです。

今回はそんな話です。


緊急時の仕事術


上記の記事が公開された頃とそう変わりない時期に、これらの記事も目にしました。

Toodledoで構築するオープン・リストとクローズド・リスト
それなりにうまく管理していたつもりでいましたが、仕事の繁忙期の中でそのタスク管理が破綻しかける事態に陥りました。
こちらも冒頭に掲げた記事と同様に、それまで機能していたタスク管理システムに危機が訪れたこと、ならびにそれを解決したことについてが書かれています。

もう一つ、記事を紹介します。

ゆるくないときの仕事術 | 旧jMatsuzaki
それはほとんど正解ですが、最近牙をむいた”非情なる現実”にはさすがに堪えました。 
イベント開催直後の疲労に加え、風邪からくる発熱と咳、そして身内の不幸。まさに”ゆるくないとき”です。 
今日はそんな“ゆるくないとき”に行った仕事術を紹介しましょう。
こちらの記事の場合は、自分の体調などのために普段通りにタスク管理が遂行できない状況についてが述べられています。

細かい部分の差異はあるものの、いずれも「万全のタスク管理システムをもって目の前の仕事に臨めない」ことについての記事です。


新しい局面


こういった記事が短い期間に連続して書かれているとの事実から、一つ、タスク管理の考え方が新しい局面に入ってきていることが仮定できます。

すなわちそれが、上に書いた「自分にとって万全のシステムを駆使できない場合」についても考える必要がある、ということです。

確かにこのところは、「良い」タスク管理の手法はなんとなく固まってきているようにも感じます。
そして、多くの人がその「良い」手法を現実に運用していく中で、「しっかりと手法を構築することすらできない」状況に少しずつ直面し始めているのかもしれません。

当然、そういった状況でも仕事は進まなければならないのです。


一つめのアプローチ


この「緊急時のタスク管理システム」が取ることのできるアプローチについて、二つ考えました。

一つは、冒頭にも掲げた

緊急時、私の仕事術は砂上の楼閣となる - なんかカラフルな生活

から引用させていただくと説明しやすいです。
今まで組み上げてきたシステムが砂上の楼閣のように思えてしまいましたが、それを気づくことが出来たこと、そしてそれを動じない巨城にしていこうと思えたこと。
つまり、「緊急時にも動じないような強いシステムを作っておく」ことです。

この中にはまた、
  • 普段のシステムが、そのまま緊急時にも使える
  • 緊急時にはそれ専用に作成したシステムを使う
との二種類の考え方がありそうですが、そこには深入りしないでおきます。

とにかく、緊急時に使えるタスク管理システムをあらかじめ作っていくアプローチです。


二つめのアプローチ


もう一つのアプローチとして、システムを完全に構築しておくことはせずに、最低限のタスク管理を継続していくことで、徐々に良いものを作っていこうとするものがあり得ます。

タスク管理にかける手間を最低限にしているため、緊急時にもそのままの運用で対応できるものと思います。

一例を説明するために、以下の記事を紹介します。

やることリストと同じぐらい重要な「やっていることリスト」の3つの実践例
「やっていることリスト」とは、今とりかかっている作業を紙に書き出しておき、作業が終わったら取り消し線を引く、それだけのリストです。
ただそれだけなのですが、やってみると思いの外効果があることに気がつくと思います。
この、「やっていることリスト」をしっかりとつけておくことだけから始めてみて、必要になったら徐々にタスク管理システムにいろいろなことを追加していく、といった方法が考えられそうです。

とはいえ、こちらのアプローチを実現していくにはまだまだ考察が必要です。


別の話


ここまでで、緊急時のタスク管理のアプローチとして二つ考えました。
  • 緊急時にも対応できるような、強いシステムを作っておく
  • 最低限のシステムにしておき、緊急時にも無理のない運用をしていく
どちらもあり得る考え方だろうと思っています。

さてここで、これまで述べてきたことを前提として、あるいはここから述べることを余談として、少し別の話があります。
これはちょっとした疑問なので、回答はありません。

二つのアプローチとして掲げた内の一つめの方「強いシステムを用意しておく」とは、すなわち「強い武器を用意して、仕事という強大な敵に立ち向かう」ことを意味しています。

この解釈は間違っていないと思います。

ここで疑問なのが、「仕事とは、それほど嫌で強大なものなのだろうか」という点です。
タスク管理のシステムを万全に組み上げて、「いざ」とばかりに仕事に臨んでいる状況を見ると、どうしてもそのように感じてしまいます。

ですが、おそらく「仕事を楽しくする」との考え方もきちんと存在していて、タスク管理といったものも、きっと目指しているところはそのあたりのはずなのです。

ちょっとした疑問でした。


終わりに


「したがって、どうする」といった話はありません。

そんな場合も、世界にはたくさんあるはずです。

2012年2月3日金曜日

KJ法と折衷案

前回エントリの最後に、KJ法のようなボトムアップ的アプローチであっても、扱う情報が増えてくるとそれが困難になることを述べました。

そこでKJ法の完全な適用を妥協することで、これを改善することを考えます。


情報が多い


KJ法において扱う情報が多いというのは、始めに行うブレインストーミング的な作業で書き出されることがたくさんあるような場面です。

残念ながらこれに対応する唯一(と私が思っている)の方法は、情報をあらかじめ分類することです。
ブレインストーミングする対象を狭めておいて、出てくる情報が増えすぎないようにしておくしかありません。

状況としては、メインテーマがあり、それをセントラルイメージに据えたマインドマップで、メインブランチのみを伸ばしたところを想像してみてもらえれば良いです。


メインブランチの先


マインドマップでは、まずはメインブランチを書き入れます。ここに工夫がないため、将来無理が出てきてしまうような分類を作ってしまいやすい点で、前回エントリでは問題視したわけです。

しかし今回は、あえてそれを行います。

具体的には、始めにメインブランチを伸ばし、その先で、その枝に乗せられたワードを元にKJ法を実践し、これをメインブランチの本数だけ繰り返すことになります。
すると、そのワードに関係のある世界でしかJ法は行われないため、扱う情報が少なくて済みます。

このアイデアは、Rashitaさんの以下のブログにも出現してきています。

章立て - Rashitaの日記
最初に章立てして、書き進めながら構造を再構築していくというのは、部分的なKJ法の適用です。
「部分的なKJ法の適用」との表現になっています。


考えること


するとここで重要になってくるのが、やはり、始めにどのように分けるかということです。
考えられるアプローチが二つあります。
  1. 絶対に後で組み換えが起こらないように分ける
  2. ゆるく分けておき、組み換えを繰り返しながら進んでいく
順に見ていきます。


組み換えが起こらない


可能であれば1で進める方が、問題が起こりにくく楽になると思います。

タスク管理についてとなっていますが、ここで活用できそうな記事があります。

タスク完遂の秘訣!3つの視点でタスクを細分化しよう!! | jMatsuzaki
この「アウトプットとパーツ」という視点にのっとってタスクを細分化すると、作業範囲が明確になりやすく、より正確にタスクを洗い出せる場合が多いからです。
アウトプットとパーツの視点です。
どんなものかというと、アウトプット(成果物)をひたすら構成パーツ(部品)に細切れにして行くという方法です。
おそらく構成パーツと呼ばれるものは、後から組み換えが起こることはないでしょう。
しかし、
この視点のアキレス腱は、自分がそのタスクの内容に精通していなければいけないという点です。
ということです。これについては私も前回エントリで触れていますので、詳細は省きます。


組み換える


組み換えを繰り返しながら進んでいくのは、上で紹介したRashitaさんの記事を見ていただくのが良いです。
なんというのでしょうか、書いている内に自分が理解できることってあるんですよね。で、その理解した視点からみると、最初に立てた構造がどうも違う、と感じる。
これが起こることを前提として進めるわけです。

やはりこちらは、複雑で難しいのがネックになります。しかし大変魅力的です。


終わりに


本エントリのことは、わりと実用的かと思っています。

2012年6月30日土曜日

月見坂上り

個人的な近況について、いろいろ書いておきたいと思い立ちました。
理由はわかりません。

今回は、そんな話です。


近況


このところなかなかに忙しくなってきており、いろんなことへの時間が思うように取れなくなってきています。

ですが、読書をしたり、本ブログのエントリを書き進めたりすることは、毎日少しずつではあるものの実行できています。RSSの未読も溜まったりしていません。
このあたりは、自分なりにうまく時間を管理できた結果だと思いますので、満足しています。

さて、そんな忙しい毎日の中で、拠り所とできそうな事柄に出会ったので、それについて書き残しておきます。


小さい頃


私は小さい頃から体調を崩しがちでした。

他方で、私は小さい頃から現在に到るまで、好きな食べ物の一つにそばがあります。これは私の周囲の人たちも承知しています。

すると、小さい頃に体調を崩したりすると、食事がそばになることが多くなります。
これは私としても嬉しいことでしたし、また食事としての観点からも、食欲のないときにも食べやすく、ありがたいものでした。

そうして私は育ってきたわけです。

話は現在に移ります。

先週あたり、体調を崩しました。
自炊(スキャンじゃない方)する気も食欲もわきませんでしたので、何かちょっとしたものを買ってこようと思ったわけです。

そして上述した通り、私は体調が悪いときにはそばを食べることが習慣となっているため、悩むことなくそばを買ってきました。

このとき思ったのが、弱っているときなどに、あれこれ考えることなく心から信頼できるもの、拠り所になるものがあると、非常に楽だということです。

なかなか、そんなに信頼できるものを一朝一夕に用意できたりはしないでしょうが、一つくらい持っておくのは悪くないことと思います。


弱っている


せっかくですので、最近出会ったもう一つの話をしましょう。
次も「弱っているときに、心の拠り所になる」点では先の話と同様ですが、今度は、精神的に元気がなかったり、疲れていたりしたときに利用できそうなことです。

先日、以下の記事を読みました。

出来るかどうかで悩んだら「やる」選択をすること | jMatsuzaki

記事タイトルだけだと、何となくありがちなライフハック記事に見えなくもありません。

しかし、その内容の熱さといったら、筆舌に尽くしがたいものがあります。
おそらく「元気をもらった」と表現すれば間違ってはいないのでしょうが、それでも「間違ってはいない」程度です。

幸いにも、現在の私はそれほど疲れていたり元気がなかったりはしません。そんな私でも「元気をもらった」のですから、本当に弱っているときに読めば、どれほどの効果があるでしょう。
その日に備えて、大切にEvernoteに保存しておきます。

一言だけ、引用させていただきます。
まるで「夜空に輝く星も、照らすものが無ければなんと悲しいことぞいな」とでも言わんばかりに瀬戸際でもキラキラと輝く彼のしぶとさを目の当たりにしたら、私もまだまだ地べたを這いつくばらねばと焦りを感じてきたのです。
いずれにせよ、私もまだまだ地べたへの這いつくばりが足りていないようです。
まだまだ、やれます。


終わりに


やはりありきたりな言葉で言えば、「おすすめの記事」となります。

ところで、言葉がありきたりであるということは決して悪いことではありません。
それだけいろいろなものをくぐり抜けてきているはずだからです。

2012年9月15日土曜日

言いたいことがない

先日、本ブログでこちらの記事を書きました。

23-seconds blog: 私と「cakes(ケイクス)」

ここで、お金を払うことについて言及している部分があります。
いろいろ書いていますが、本エントリに関係してくるのは「お金を払いたい気持ちはあるけど、面倒さを乗り越えてまでは払いたくない」とのことです。

この話がどういった文脈で出てくるかはリンク先をご確認いただくことにして、本エントリは上記のことが前提となります。

今回はそんな話です。


寄付


以前から、寄付に興味がありました。
詳しいことはさっぱりわかりませんし、寄付についての議論に参加したいとか、言いたいことがあるとか、そういったことはまったくなく、単にお金の使い道の一つとして悪くないかもしれない程度のことです。

しかし、寄付をやってみようにも、何を、どこで調べたらよいのかとんと見当がつきません。
もちろん、どうしても寄付がしたいと真剣に調査していれば、必要な情報にたどりつくのはそれほど難しいことではないはずですが、やはりここには冒頭の面倒さが顔をのぞかせてきます。それを乗り越えてまで寄付をしたいかというと、きっとそうではないのです。

そんな折、こちらの素晴らしい記事に出会いました。

募金や寄付がお金に対する執着心を解消する習慣となる | jMatsuzaki

こちらで、「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」なるNGOが紹介されています。

寄付・募金・ボランティア|子どもたちのための国際NGO:セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン

先の記事には、このように書かれています。
1500円から始められて、クレジットカードや口座振替で支払を自動化できるので、手間もかかりません。
1500円から始められ、支払いに手間もかからないとのことです。

これは私には都合が良さそうですので、さっそく寄付の申し込みを行ってきました。これからは、月に1500円が自動でクレジットカードから支払われるようです。
これで一つ、長年気になっていたことが実行に移せました。素晴らしい記事に出会えたことに感謝です。


寄付の目的


上にも書いたとおり、私は寄付について一家言あったりはしません。さらには、貧困や格差の問題などについて、何か主張があったりもしません。
何となくそういった問題があることだけどこかで聞いたことがある、くらいのものです。

ですので、寄付によって困っている人の役に立てているとか、そういった実感などはありません。たぶん、よく知らないためです。
また、先にご紹介した記事にあるような、「お金に対する執着心」のようなものをどうこうしたいと考えているわけでもありません。

大雑把に言ってしまえば、このあたりは私の専門外の分野であるため、よくわからないのです。

したがって、なぜ寄付をするのかと言われると、回答に窮してしまいます。
寄付するために寄付しているのです。


終わりに


書いたものの、あまり言いたいことがないエントリでした。
ただ、言いたいことがないのにエントリを書きたいことは意外とよくあって、今回などはまさにそれです。

2013年4月22日月曜日

ぶつかる経験、あつかう感覚

こちらの記事を読みました。

R-style » 「先輩、なんかオススメの本ありますか?」と尋ねられたら

冒頭に、次のような一文があります。
新年度になり、新社会人向けのエントリーをちらほらと見かけるようになりました。
世相にはとんと不案内な私です。なるほど、新社会人向けの様々な発信が見られる時季を迎えていたようです。
私の視野には現れませんでしたので、想像になりますが、同記事のようにお勧めの本を紹介する内容のものもあったことでしょう。

本をお勧めするという行為は、大変難しいものです。ましてや、単なる娯楽のためだけではない本となればなおさらです。

先の記事も、次のように結ばれています。
やはり人に本を薦める上で、その人の背景や現在の関心領域、そして今後必要になりそうな分野、といった情報は加味したいところです。
かくいう私にも、とても良かったから多くの人に読んでもらいたい、といった本ならたくさんある一方で、面と向かってお勧めの本を尋ねられたときの回答は、あまり持ち合わせていません。どこまで考えても、難しい問題であり続けることと思います。

さて、本をお勧めするのは難しいものの、それに準ずる助言でしたら私にも多少あります。理解すること、情報、知的生産といった話にはもともと関心を持ちますし、それらはいずれも広義には役に立つと言えるものなのです。
お勧めの本を掲げる代わりに、本エントリではそのあたりについて書いてみようかと思います。必ずしも読書とは結びつかないような、軽い話になるはずです。

今回はそんな話です。


お勧めに代えて


書きたいことは二つあります。

一つめは、わからないことにぶつかることです。
やはり想像になってしまいますが、学校を卒業して日が浅いような若い方は、学生の時分とは比較にならないほど多くのわからないことに出会うはずです。それも、教科書を調べればわかりそうな類のものではなく、およそ手も足も出せないような事柄でありましょう。

このあたりには読書の出番があります。
読書でも、自身が専門としない分野の本を読んでいると、さっぱりわからない内容が出てきたりします。

手の打ちようはいくつかあります。辞書や他の本を当たったり、人に聞いてみたり、自分で一生懸命考えてみたり、あるいはいったん保留にしたりとできるわけです。
こういった取り得る手だてがある中で、どれを選択したら良いかを回答するのはやや困難です。いずれも身につけておき、それぞれの場面で、それぞれに最適なものを選び取れるのが理想でしょう。

しかし、そういった具体的な施策の前に、さっぱりわからないことにぶつかって何とかしようとする場面に出くわした経験を、多く持っておくことには意味があります。それは学生の頃にはそれほどないことです。同時に、学校を卒業すれば頻繁にぶつかることです。

読書によってそれに慣れておくことができるなら、とても結構なことです。
以前に本ブログで書いた「無感動な近道」とのエントリでも、抽象的な形で似たことを述べています。三か月越しの伏線回収となったようです。

二つめの話は、情報を取り扱うことです。もう少し言うと、情報を取り扱うことに全力を尽くすことです。

長らく、ここで私が抱いている感覚をうまく言葉にできずにいました。幸運にも下記の記事で言及があり、目にした折には大いにほっとしたのを覚えています。

Evernoteアンバサダー「ブログ・バッグ」に就任しました! #enjp3:[mi]みたいもん!

該当の箇所を引用いたします。
この共通点は、「情報をどう扱うか?ということに投資をする人たち」ということなんだと思っています。
情報を扱うことに投資すること、です。心から納得のいく表現です。

投資すると言いますと、なにやらお金を使うことに考えが向いてしまいそうです。もちろん、それに限定することはないのでしょう。情報を取り扱うことに対して全力を尽くす、真剣になる、といったことを含んでよいと思います。

そういった感覚になじみのない方には、少しわかりにくい表現になってしまったかもしれません。
いま、自分の部屋を考えるとします。きっと誰しも、本棚はここで、ベッドはここで、といったことについて趣向を凝らすはずです。キッチンでも、食器を置く場所は、調味料をしまう場所は、と試行錯誤があるでしょう。

そういった必死さを持って情報を取り扱おうという姿勢のことを、ここでは言っています。
その姿勢を感じるためには、たとえば次の記事が参考になります。

下か?上か?右か?左か?Windowsタスクバーの最適な位置を真剣に考える | jMatsuzaki

記事タイトルで、内容はじゅうぶん説明されているかと思います。
タスクバーをどこに配置するのであれ、それを真剣に考えようとする姿勢は特筆に値します。

一つめの話と同じく、では具体的にどうしたらよいか、については特に語れることがありません。京大式カードが良いかもしれませんし、一冊のノートにまとめるのが良いかもしれません。はたまた、EvernoteやKJ法などですらここには含まれてくると考えられます。

しかし、こういった具体的な施策の前に、情報を真剣に取り扱う心構えを持っておくことには意味があります。ふつう、それは生まれながらに携えられてはいないため、学生の時分には至ることのない感覚でしょう。それが、学校を卒業すると大変意義深い感覚になるのです。

ここまで、二つのことを述べました。
具体的な施策の以前に、経験しておく、感覚を知っておく、といった内容だったかと思います。

まとめとして、『プログラミングの心理学』から引用いたします。

『プログラミングの心理学』(ジェラルド・M.ワインバーグ、伊豆原弓)
※画像は私が購入した紀伊國屋書店ウェブストアのものです
言い換えれば、知的であるということは、あらゆる問題に適用できる魔法の処方をもつことではない。むしろ、数多くの「処方」をもつことであり、どれか1つの方法にこだわって、ほかの方法に切り替えられないという事態におちいらないことである。
知的というと大げさに聞こえますが、良く仕事を進めることと言い換えても構わないでしょう。
そして、ここで「数多くの処方」と呼ばれているものを俯瞰して束ねる役割を、本エントリで述べてきた経験や感覚は果たすのです。


終わりに


本エントリで挙げた話は、特定のお勧めの本によってというより、読書の習慣によって身につくことかもしれません。
それらは処方を俯瞰して束ねるものですので、考えてみればそちらの方が自然です。

2012年6月12日火曜日

ボトムアップのゴール

トップダウンとボトムアップの方式について、本ブログでは幾度か触れてきています。
それらの単語自体は出現せずに、その考え方のみを用いている場面も含めれば、その数はさらに多くなります。

そこから派生した話の一つに、目標についてがあります。

今回はそんな話です。


目標についての記事


こちらの記事を読みました。

【思考の断片】目標を減らす(無くす)という目標 | Find the meaning of my life.

簡単に記事の内容をご紹介します。
引用いたします。
目標を持つことは良いことであり、目標が無いことというのは不幸な状態だという信じる方も多いでしょう。目標がないなんてダメだと言われてしまうことも多いでしょう
そのとおりだと思います。目標がないことは、どこか良くないことのように捉えられてしまいます。
しかし、Less is more という考え方が本当に逆説的に人生に Power を生むのであれば、持ち物を減らすなんてレベルじゃなくて、習慣を変えていくという正統派の自己改革を超えて、目標自体を減らす又は無くしてしまうというアプローチの可能性は・・・ないのかなぁと思うのです?
なるほどと思いました。
「Less is more」の考え方がどこまでも有効なら、目標を持たないことで良い人生を目指そうとするアプローチが存在するはずである、との内容だと理解しました。


自分のエントリ


私はこの記事を読んで、とても嬉しかったといいますか、心強く感じました。

それは、しばらく前に本ブログで以下のエントリを書いており、かつ、現在にわたってもそこで述べている考えに変わりがないためです。

23-seconds blog: 日々の生活をベストに

上で紹介した記事とほとんど同じようなこと、つまり、目標がないといけないのだろうか、といったことを述べているはずです。

エントリとしては、私が以前から疑問に感じていたことを書いてみただけのものだと思いますが、あまりそれを支持するような文章に出会ったことがありませんでした。

ですので、今回先述した記事を読むことになって、私が思ったことがただ無鉄砲なわけでもないことが言えそうですので、それがとても嬉しいです。


次へ進める


私が上記のエントリを書いた時点では、この「目標を持たない」話をこれ以上進めるつもりはなかったのですが、こうなるとその考えも変わってきます。
もう少しこの話を進めてみるのも、悪くないかもしれないと思い始めているわけです。

さて、この話を深めていくには、大きく分けて二つの方向性が思いつきます。
  • 本当に、「目標を持たない」ことはアプローチとして存在するのか
  • 「目標を持たないこと」を基にして、日々の生活をどう組み立てていくのか
この二つです。


一つめ


一つめに関しては、語るべき内容が思い付きませんので、問題提起に留めておくことにします。

つまり、「提案として目標を持たないというアプローチがあり得そうではあるが、実際にはどうか」とのことです。

上で紹介した本ブログのエントリでも、目標が見つからない人が悪いはずはない、といったことを述べており、今もその考えに変わりはありません。
とはいえ、それはある種私の気持ちや願望とも言えてしまいますので、そのことが本当にそうであるかは明らかにしていく必要があります。


二つめ


二つめのことはすなわち、目標を持たないアプローチが確かに有効である場合、「目標を持たないような日々の行動」をどのように設定していくか、といった意味です。
目標を持たないことは良いアプローチであると仮定した上で、その先を考えたいわけです。

ここで考えるべきなのは、とった行動の善し悪しが簡単に判別できないことです。

目標に基づいて生活している場合には、その行動が目標を達成するためのものになっているかどうかで、そのことは判別できます。

しかし今回の場合は行き先が決まっていないために、どの行動が良いものなのか、または無駄なものなのかが明らかにはなりません。
おそらくこれは、論理的や定量的といった観点からは決定できない問題になってくるのでしょう。

したがってここでは、その行動をとったときに後悔がなかったかどうか、を判断基準として提案してみます。
心から「ああ、今日は良い時間の使い方をしたな」と思えたら、それらは良い行動だったとするのです。

実にあいまいな基準ですが、これが今私が思っていることです。


記事


それについて、参考になりそうな記事を読みました。

【7つの習慣】緊急&重要の4領域を自由自在に移動して第二領域に集中するテク | jMatsuzaki

参考になるかどうかを別として、まずは素晴らしいエントリであることを明記しておきます。

さて、こちらのエントリでは、行動自体を増やしたり減らしたりすることなく、それを「重要だけど緊急でない」方向に向けることについてが述べられています。

引用いたします。
無理なく第二領域に集中コツは、第二領域以外の行動を闇雲に減らそうとしないことです。なぜなら、ほとんどの行動は第二領域に自由に移動できるからです。
ここで言われている「第二領域」は、「重要だけど緊急でないこと」を意味しています。

具体的な例についても説明されていますので、一部引用させていただきます。
例えば、トイレや入浴、通勤時間を他人に委任することはできませんが、それらの時間を読書時間に転換できれば「穀潰し」が「備え」に移動したことになります。
通勤時間などのもともとは何でもない時間を、「重要だけど緊急でないこと」を実践する時間にしてしまおうというわけです。

記事では他にも様々な例が挙げられていますので、目を通していただけると良いと思います。

そして、ここで言う
  • 同じ行動でも、第二領域に振り向けられるように工夫すること
と、私が本エントリで述べた
  • 後悔のない行動をとること
が何か関連しそうだと思って、こちらの記事をご紹介しました。

具体的にどこがどう関連するのかは自分にも明らかになっていませんが、とにかく関連しそうだと思いました。
このあたりは今後考えていくことにします。


終わりに


で、これがボトムアップ的な考え方だというわけです。