2012年2月29日水曜日

写真を撮ろう

Clip to Evernote
最近の私に起こった、二つの新しいことについて書いてみます。


一つめ


私はiPod touchを様々な作業に使用しています。
つい最近、思うところがあってDock入りしていたfoursquareのアプリを削除しました。

そして新たに、Dockの一番左にaTimeLoggerを配置し、ホーム一画面めの4行1列めにOneCamを置きました。
OneCamはもともと3行1列にありましたので、一つ下にさげた形になります。

OneCamは、私が普段使いするカメラアプリです。


foursquare 4.2.1(無料)App
カテゴリ: ソーシャルネットワーキング, 旅行
販売元: foursquare - Naveen Selvadurai(サイズ: 8.1 MB)



aTimeLogger 1.9.5(無料)App
カテゴリ: 仕事効率化, ユーティリティ
販売元: Sergei Zaplitny - Sergei Zaplitny(サイズ: 6.3 MB)



OneCam[連写,静音,ジオタグ] 2.7.1(¥85)App
カテゴリ: 写真/ビデオ
販売元: Walker Software - masahiro seto(サイズ: 3.8 MB)




二つめ


二つめは、スマートフォン用手袋を導入したことです。
これにより、手袋をしたままでスマートフォンを操作できるようになったわけですが、ここでは、手袋を着用した後でスマートフォンが操作できるようになった、と表現しておくことにします。

いま、私が駅前に到着したとしましょう。しかもそのとき、手袋は着用していないものとします。
ここで従来だと、iPod touchを用いて駅にチェックイン(に準ずる行為です。foursquare用語を借用します)し、それが済んだ後に手袋をはめることになりますが、それがスマートフォン用手袋であった場合、先に手袋を着用することが可能になり、寒い思いをせずに駅まで歩くことができます。


共通点


ここまでで挙げた二つのことはどちらも、私にとって無意識に行うことです。

OneCamの例で言えば、
  • 写真撮りたい
  • iPod touchを取り出そう
  • OneCamを起動しよう
  • 撮影ボタンを押そう
ではなく、
  • 写真撮りたい
  • 撮影ボタンを押そう
しかないのです。消えた項目は、意識下に現れません。

スマートフォン用手袋の話も同様で、
  • 駅前についた
  • チェックインしたい
  • iPod touchを取り出そう
  • アプリを起動しよう
  • チェックインしよう
  • 寒いから手袋をしよう
  • 駅まで歩こう
ではなく、
  • 駅前についた
  • 駅まで歩こう
なのです。

なお、以降はわかりやすさのためにOneCamの例を用いて話を進めることにします。


起こること


さて、今回は、OneCamが配置されている位置が変わっています。
もし私が、先に挙げた
  • 写真撮りたい
  • iPod touchを取り出そう
  • OneCamを起動しよう
  • 撮影ボタンを押そう
の行程を踏んでいるなら、「OneCamを起動しよう」の時点でそれの配置が変わっていることに注意すればよいです。

しかし、行程が無意識に過ぎていると、いざ「撮影ボタンを押そう」とした瞬間に、OneCamが起動していないことに気づくのです。
これは、私にとっての写真を撮る行程が
  • 写真撮りたい
  • 撮影ボタンを押そう
しかありませんので、ある意味仕方のないことです。
したがって、私がOneCamの位置の変化に対応するためには、「写真を撮りたい」と思うと同時に、「OneCamの位置は変化している!」と思う必要があるのです。これは少しでも遅れてしまうと、「撮影ボタンを押そう」としてしまっているので、良くありません。

これは、「写真を撮ろう」とする行動そのものを変質させてしまっています。

「写真を撮ろう」と思うのは、ほとんど反射です。
つまり、私の行動が、そして思考が、根本から変わっているのです。

普段の生活で、「思考が根本から変わってしまった」と感じるような場面がどれほどあるでしょうか。
まさにこれは、人生が変わった瞬間と言っても過言ではありません。


ちなみに


余談になりますが、もともと
  • 写真撮りたい
  • iPod touchを取り出そう
  • OneCamを起動しよう
  • 撮影ボタンを押そう
となっていたものを、
  • 写真撮りたい
  • 撮影ボタンを押そう
にすることを目指すのが「タスク管理」なのではないか、と感じました。
特に「やる気がない中で作業を進める」といった考え方の辺りが、ここに相当するように思いますが、この点については改めて検討が必要です。


終わりに


こういうことを言うと、頻繁に人生が変わっているように思われてしまいそうですが、全くそんなことはありません。