2012年2月4日土曜日

KJ法と音楽理論

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たびたび為される議論に、音楽理論の是非についてがあります。
「議論」と呼ぶのも「是非」と呼ぶのも適切でないような気がしますが、そこは置いておきます。


音楽理論


簡単にまとめてしまえば、音楽を演奏する側の人が、音楽理論を勉強するかどうかの話です。

クラシックやジャズ畑の人たちには、あまり当てはまることはないと思います。
多くの場合、そういった人たちは十分に音楽理論を学んでいるでしょうし、その知識は実際の演奏時にもしっかり役立っているはずです。例えばジャズを弾く人が、テンションノートやアッパー・ストラクチャー・トライアドといった概念を知らずに演奏していることは考えにくいです。

ところがこれがロックンロールになると、話が変わります。

どうやらロック畑には、音楽理論を学ぶと表現の幅が狭くなると認識している人が多いらしいのです。(出典は昔読んだ雑誌です。)
自分の音楽を規制するものであり、学んでもデメリットしかない、といった感じでしょうか。

音楽理論を知っているプロデューサが、それを知らないロックミュージシャンに「このフレーズはどうしてこうなってるの?」と聞いたら「いやー、それが自分でもよくわからないんですよねー」となぜか嬉しそうに答えた、というエピソードが紹介されていました(と記憶しています)。


音楽理論に従う


ここで確認しておきたいのは、別に音楽理論はできることを狭めるためにあるわけではないということです。
アレンジや使われている楽器、音色などの様々な要因によって、音楽理論では否とされていることも「気持ちよく」聞こえることは多々あります。有名なのは連続5度でしょうか。これは音楽理論では禁止されていますが、ロックンロールでは普通に使われていますし、クラシックでも使用例があるようです。
音楽理論が絶対といったことはなく、聞いてみて「格好いい、気持ちいい」メロディや和音を採用して構わないのです。

するとなおさら音楽理論は不必要なものに見えてきますが、それがそうではないと考えています。

何も知らずに気づいたら音楽理論に違反しているのと、違反を理解しているが気持ちいいので採用したのとでは、次元が全く異なるからです。

こういったところに、本当に素晴らしい自由があると思います。


お仕着せの手法


私が複数エントリにわたってKJ法について述べてきたのは、これを説明したかったからです。

KJ法に限りませんが、こういった話には必ず、そんなお仕着せの手法を使うだけで簡単に生産性が上がるはずがない、といった物言いがあります。
それは、確かにそうでしょう。

生産性を上げるためにはそれなりの訓練が必要ですし、その人には合わないこともあります。
しかしそこで、押しつけられた手法を使うくらいなら自分なりに自由にやった方が良いアイデアが生まれる、などの主張は、私は違うと思うのです。

もちろん、自分なりに自由にやるのが一番良いと思います。その人に適したやり方はどこかに必ずあるはずです。
しかし、「何も知らずになんとなく自分なりにやっている」のと、「これは自分なりにやっているがあの手法とはここが異なっている」ことを理解しているのとでは、次元が全く異なります。

こういったところに、本当に価値ある自由があると思っています。

少し表現を変えます。
しっかりと自由にやるために、お仕着せの手法が必要です。

当然お仕着せの手法をただ使っているだけでは、良い結果は得られません。ちょうど、ただ音楽理論をなぞっているだけでも感動的な音楽が作れないのと同様です。
ただしそれをもってお仕着せの手法が無駄だといったことにはならないのです。


KJ法


今回とここ数回のエントリから、言及する価値のあることが二つ出てきます。
  • KJ法は、カードを使うことが本質ではない
  • KJ法そのものは役に立たないかもしれないが、それは問題ではない
こういったことを考えておくと、いろいろわかりやすくなると思います。


終わりに


これでKJ法の話は完結です。以下にそれらのエントリを掲げておきます。

それから、私が好きなロックミュージシャンはほとんどが音楽理論に詳しいようです。
やはりその方が格好いいです。