2012年5月12日土曜日

永遠のテーマ

Clip to Evernote
「永遠のテーマ」という表現があります。
おそらく多くの方は耳にしたことがあるでしょうし、その意味するところもまず取り違えることなくつかんでいるものと思います。

今回はそのあたりについて少し考えてみます。


問題のようなもの


本当は、永遠のテーマとは何のことかを厳密に定義してから話を進めるのが良いのかもしれませんが、私があまり好きでないためそういった手続きは飛ばすことにします。

一応、「時間をかけても解決できない問題のようなもの」といった言葉で説明しておきます。
実際に「永遠のテーマ」と表現されるのは良くないことだけとは限りませんので、「問題」かどうかはわかりませんが、とりあえず今回はこういった形にします。


理解する


「永遠のテーマ」を上記のように理解してみると、それが「歴史は繰り返す」との言葉に近づいていくように感じられます。

つまり、問題であると考えている点が、同世代の人にも、また他の世代の人にも共通であるのにもかかわらず、誰がその問題に取り組んでも解決できないような状況を想像していただければよいです。
このことを「永遠のテーマ」と表現しても構わないように感じられますし、「歴史は繰り返す」としてもしっくりきます。

繰り返すものが永遠のテーマということになるかもしれません。


実例


少し実例を見ます。
ここでは大学受験の受験勉強を持ってくることにします。

物事には「初めてのことだから失敗して当然だ」といった考え方をされるものはよくあります。
その一方で、大学受験は一回目からある程度の結果を出すことが求められてしまいます。
(いろいろ複雑な話を省略します。)

一回目から結果を出す必要があるのであれば、自分の経験を基にして行動することができません。多くの場合は、他者からの経験談をたくさん仕入れて、参考にしたりしなかったりしていくことになるでしょう。

参考にするのが自分の経験か他者の話かで最も違いが出てくることの一つは、そこに実感が伴っているかどうかです。

すでに大学受験を終えた他者が、自身の経験からの何かをどうしても次の世代に伝えたいと思っていたとして、さらにそれを一生懸命話す機会にも恵まれたとしても、その「経験に基づく」一生懸命さは聞き手である次の世代の人には伝わらないのです。

つまり、
「自分は数学の勉強法でこういう部分で失敗した。だから皆さんにはここをこのように勉強してほしい。」
とどんなに一生懸命話しても、聞き手には事態の深刻さが伝わりません。

これは、話し手は自分にとっての経験は唯一のものである一方で、聞き手は「話として」この類のことはとてもたくさん聞かされていることも、同種の理由として付記しておきます。

そして、聞き手がその深刻さを本当にわかるのは、同じ問題に直面したときになります。そこで初めて、「ああ、ちゃんと話を聞いておけばよかったな」となるわけです。

この聞き手はこの後、同じ内容を話す側に回ります。
話す際には、実感を込めて「ここをこのように勉強してほしい!」と言いますが、やはりそれを聞いているその次の世代の人たちには、その一生懸命さが伝わりません。

これが永遠のテーマです。


学べること


事態の深刻さはどうしても理解できませんが、この話から何か学べることがあるはずです。

それは「人の話はきちんと聞く」といったことでも、もちろん良いでしょう。
しかし、話の深刻さが実際には伝わっていない以上、この「きちんと」を実践するのはかなり困難です。聞き手がどんなに一生懸命聞いているつもりでも、その話は必ずそれを上回って深刻なのです。

ですが、少なくとも、こういった「永遠のテーマ問題」が発生することは避けられないと認識することはできます。
認識さえしていれば、何かしらできることはあるはずです。


ちなみに


ちなみに、今回は大学受験の例を出したため「深刻さが伝わらない」話になっていますが、他方で「単純さや軽さが伝わらない」話ももちろんあるでしょう。

それからもう一つ、「認識さえしていれば、何かしらできる」のは、聞き手と話し手の双方にとってです。決して聞き手だけが「話をきちんと聞」けば解決するものでもないはずです。


終わりに


この「永遠のテーマ問題」は、直面したことのない方には事態の深刻さが伝わりにくいと思います。
永遠のテーマです。