2012年3月5日月曜日

言葉を定義すること(2)

Clip to Evernote
以前、このようなエントリを書きました。

23-seconds blog: 言葉を定義すること

実に唐突に終わっていますが、今回がその続きです。


確認


前回エントリから、二点確認しておきます。
  • 定義であっても「ある程度の認識を共有している」ことは前提にある
  • 「文字」と「人間の理解」は全く別のレイヤにある
これらを踏まえた上で、話を進めます。


日常会話


本エントリでも、スコープを数学と日常会話に限ることにします。
(ただ、ここでの「日常会話」は、問題のない範囲で広義のものとしておきます。すなわち、普通のやりとり、といった意味です。)

さて、数学ではすべての情報が文字として見えているため、議論の出発点として何かを定義することには意味があります。

これが日常会話だとどうでしょう。

日常会話は、文字の上で論理を展開していくことが目的ではありません。たとえ文字として見たときに何の意味も成していなくても、会話に参加している当人たちが「理解」できていれば問題はないわけです。
もとい、問題がないどころか、完全に目的は達成されています。

この点で、そもそも日常会話において言葉を文字の上で定義することには意味がありません。
もし定義したとしても、それを受け取った複数の人たちの間では「理解」のレベルで全く異なるものになってしまっています。文字は、常に文字以上の情報を含んでいるのです。
上述した「会話に参加している当人たちの理解」についても同様で、会話に参加している人たちが皆「理解できた!」と思っていることに意味があり、各々の「理解」がすべて同一のものである保証はありません。
さらに言えば「理解」どうしを他人と比べる手段はありませんので、100パーセント、各人の「理解」は異なっています。


それ以外ではない


また、言葉を定義するためには「この言葉はこうである」ことと同時に、「その言葉はそれ以外のどんなものでもない」ことも断定できる必要があります。
数学でしたら、「それ以外はない」ということにして進んでいけばいいので、問題は起こらないでしょう。

一方、日常会話上での定義は不可能です。
これは先ほど述べたとおり、文字は常に文字以上の情報を含んでいるためです。
話が「理解」のレベルに及んでしまう時点で、定義はできないのです。


定義から出発できない


数学は、たくさんの「前提となる認識」と、決めたばかりのほんの少しの「定義」から出発できます。

しかし、これまで述べてきた通り、日常会話は定義から出発することができません。
再度まとめれば、定義を見た瞬間に、各々の前提となる知識に従って全く別の「理解」となるためです。
つまりここで出発できるのは、「前提となる認識」からのみです。


いろいろな話


この立場を取ると、いろいろなことに新しい見方ができます。

例えば「言葉の定義がわからないから、会話ができない」といったことが、少し妙な話になってきます。

また、ある言葉を辞書で調べたときに書いてあるのは、人間の「理解」を助けるための何か、ということになるでしょう。これは直感的にも正しそうです。

それから、先ほど定義から出発はできないと言いましたが、後から定義(らしきもの)を付けることなら可能です。
仮に、ある単語を頻繁に使って何か話をしたとします。そしてその話が終わった際に、その単語をきちんと定義してほしい、などと言われたことにしてみましょう。
この場合の返答としては、「これまでの話をあなたが理解するために、取り立てて問題の起こらないような何か」が定義である、とすれば良さそうです。
これだと一見、相手が全く別の理解をしてしまうようですが、ここまで繰り返し述べてきたとおり、どんなに注意深く説明しても、自分と相手は全く別の理解をしています。

「理解できた」と思えた瞬間(厳密に言えば、思う直前)だけが、共通なのです。

要するに、人間が理解したかどうかが問題のところへ定義などというものを持ち込んでしまっているために、妙な話になってきてしまうのでしょう。


終わりに


もちろん今回の話は、「定義とは厳密なものである」といった前提の認識の上に成り立っています。