2012年3月20日火曜日

悪くない事実の確認

Clip to Evernote
よく言われることには気になる部分が付きものですし、それが「~すべきである」といった事柄だと尚更です。
本ブログでは何度も行っていることですが、今回も、そこから一つ取り上げて考えてみます。


よく言われること


よく言われることの一つに、「借り物ではなく、自分の言葉で語るべきである」といったものがあります。
これは、借り物の言葉では人々は振り向いてくれない、などのことを根拠としている場合が多いです。

本エントリで取り上げたいのはそれです。
ただ、これも非常によくあることですが、こういった話を突き詰めていくと、最終的に「借り物の言葉」や「自分の言葉」をどのように定義するか、の話に行きついてしまいます。

それだと単なる言葉遊びめいてきてしまい、陳腐です。よって、そういった話をするべきではありません。
と論理的に結論付けても構わないのですが、そんなことより、そういった話をするのは私があまり楽しくなかったりします。

ですので、それはしないことにして進めていきます。


借り物の言葉


確かに、「他人が言った言葉を借りてきて」よりは、「自分で考えて」の方が字面的には良さそうです。

実際、もっと前の時代ではそれで正しかったと思います。
以前は、表に出ている情報が現在よりずっと少なかったため、自然と自分で考えて発信する必要があったはずです。言葉を借りてこようにもその選択肢は少なく、同様のソースを他の人も読んでいる可能性も大いにあります。

他方、現在の状況は違います。無料で手に入る情報だけでも、完全に手に負えない量に達しています。
すると、他人が同じソースを目にしている可能性は非常に低くなります。また、使える時間のほとんどを情報収集に充てることは珍しくなくなっています。

そのことから、大量にインプットされた情報を厳選してアウトプットに回すことは、現在においては十分にオリジナリティのある情報発信であると言えます。


賢い人


もちろん、賢い人は大量のインプットを経るなどといった苦労をしなくても、ユニークな発信をすることができるでしょう。そのような方は、そのままで構わないと思います。
そして同時に、今よりもっと前の時代は、素晴らしい発想は賢い人にしかできないものだったということも言えるかもしれません。

しかし現在は、多様な情報をインプットして様々な工夫を凝らすことにより、賢くない人にも良い発信を行うことが不可能ではなくなっています。

私はこのことを、なかなか悪くない事実だと認識しています。


終わりに


こういうことをわざわざ確認しておかないと、駄目な私が現れてきてしまうのです。